『神曲』地獄巡り2.地獄門 | この世は舞台、人生は登場

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1300年ボニファティウス8世



 日は暮れかかり、夕靄がこめて、地上の人や動物は解き放たれたが、ただ私だけひとり、旅路の困苦と哀憐の苦悩にたいして、戦いの備えをかためていた。(『地獄篇』第2歌1~5、平川祐弘訳)

 昼間は森の中をさ迷ったダンテは、ウェルギリウスの説得で地獄を通り抜ける覚悟をしましたが、しかしもう一つ「生身のまま」冥界に行くことができるのか躊躇いがありました。確かにアエネアスは生きたまま冥界に行って帰って来ました。しかし彼はローマ帝国の祖と言われているほどの偉人ですが、ダンテは並の人間です。本当に、そんな凡人が冥界訪問など可能なのか不安に襲われました。そのことを察知したウェルギリウスは、ダンテ救出のために自分をここに遣わしたのはベアトリーチェであることを明かしました。

下の挿絵はギュスターヴ・ドレ(1832~1883)の作です。
地獄のベアトリーチェ

 ベアトリーチェは、天国でも最上界の至高天で至福の時間をおくっていましたが、わざわざ地獄界まで降りてきて、ウェルギリウスにダンテ救済を懇願して、次のように言いました。

 
 「さあ急いで、あなたの雄弁で説き伏せて、救えるものならどうかして救ってやって、私を喜ばせてくださいませ。あなたに使いをお願いする私はベアトリーチェです。すぐに戻りますけれども天から降りて来たのです。」(『地獄篇』第二歌67~69、平川訳)

 さらに、ダンテ救出劇にはベアトリーチェの他に、聖母マリアと聖ルチーアの二人の聖女が絡んでいました。聖母マリアについては説明の必要がないのですが、ルチーアに関してはその人物を特定できる叙述が作品中には見つかりません。マリアがルチーアを指して「すべての残虐なる者に対して敵対する女‘nimica di ciascun crudele’(『地獄篇』第二歌100行目)」と呼んでいます。また、煉獄の前庭で登り疲れたダンテを抱きかかえて煉獄門まで運んだのもルチーアでした。(『煉獄篇』第9歌51行付近)。最後に『天国篇』第32歌で描写されている「至高天」では、聖母マリアや洗礼者ヨハネや聖者フランチェスコなどの高名な聖人と並んでルチーアが坐っています。この三カ所に登場するだけでは、『神曲』のルチーアが誰なのか特定するのは困難です。誰もが思い当たる人物は、「シラクサのルチーア」と呼ばれ、『サンタ・ルチーア』というナポリ民謡に名を残した聖女です。
 西暦313年、キリスト教をローマ帝国の国教に公認したコンスタンティヌス1世(在位306~337)の前任者ディオクレティアヌス(在位284~305)は、最後のキリスト教徒大弾圧を行ったことで悪名高い皇帝です。聖ルチーアは、その弾圧で、あらゆる拷問に屈することなく殉教した聖女でした。おそらく、ダンテ救出に関わったには、その聖ルチーアだと思われます。
 ダンテの救出を最初に提案したのは聖母マリアでした。マリアはルチーアを呼んで「あなたの信者があなたを必要としていますから、あの者のことはあなたに任せます」と依頼します。すると今度は、ルチーアがベアトリーチェを呼んで、次のように命じました。


 「神の讃えのベアトリーチェ、なぜ貴女をあれほど愛した人を助けないのですか?貴女のために彼は俗物の群を離れたのです。あの人のあわれな嘆きが貴女の耳に聞こえませんか?荒波も及ばぬような大河のほとりで、死が彼を襲っているのが貴女には見えませんか?」(『地獄篇』第2歌103~108、平川訳)

 ダンテの救出と冥界訪問は、ウェルギリウスの一存で決めたことではなく、神の御座近くに仕えるマリアとルチーアとベアトリーチェの三聖女の協力が得られたものだったのです。そのことを知ったダンテは、勇気を持って地獄へ降りて行くことを決心しました。そしてウェルギリウスの後ろについて、ダンテは険しい道を進み、地獄の入口に聳える門の前につきました。

地獄門

ロダンの地獄門

ブレイクの地獄門

 この地獄門の天辺に次のような言葉が刻まれていました。

憂の国に行かんとするものは我を潜れ。
 永劫の呵責に遭わんとするものはわれをくぐれ。
 破滅の人に伍せんとするものはわれをくぐれ。
正義は高き主を動かし、
 神威は、最上智は、
 原初の愛は、われを作る。わが前に創られし物なし、
 ただ無窮あり、われは無窮に続くものなり、
われを過ぎんとするものは一切の望を捨てよ。

        (『地獄篇』第3歌1~9、平川祐弘訳)
〔原文解析〕

〔直訳〕
   私を通って行け、憂いの国の中へ。私を通って行け、永遠の苦悩の中へ。私を通って行け、堕落した者たちの中へ。正義は私の高き創造主を動かした。私を建造したのは、聖なる力、至高の英知そして原初の愛である。永遠なるもの(純粋形相の天使、形相と質料の合成物の天球そして純粋質料の地球)を除いて、私より以前に造られたものはなく、私は永遠に存在し続ける。ここに入るお前たちよ、すべての希望を捨てよ。

 この詩文は、門自身が一人称で語る碑文の形式になっています。また、「アナフォラ」という修辞法が使われている名文です。それゆえに、多くの文人に感銘を与えてきました。森鴎外は『即興詩人』の中で、夏目漱石は『倫敦塔』の中で漱石自身の翻訳を載せています。(漱石の日本語訳は末尾に載せておきます。)かなり難解だと言われていますが、私なりの解釈と解説をしておきましょう。難解な謎めいた詩文を解くためには、どうしてもイタリア語の原文に当たらなければなりません。一応、簡易のイタリア語の読み方は付けておきましたが、イタリア語の嫌いな方は、斜め読みしてください。「見るだけで通り過ぎてください。(guarda e passa)グァルダ エ パッサ
 この門の碑名は、門自身が命令を下している形式で書かれています。1行目のダンテの原文は、すべて大文字で“PER ME SI VA NE LA CITTÀ DOLENTE”と書かれています。それを直訳すれば、「私を通過して(per me:ペール メ)」「憂いの(dolente:ドレンテ)」「都市の中へ(ne la città:ネ ラ チッタ)」「行くように(si va:シ ヴァ)」という意味になります。最後の語句は、‘andare(行く)’の三人称単数‘va’が、代名詞‘si’を非人称の主語として使われた命令形です。そして3行目までは同じ動詞の用法が使われています。(※‘va’は命令形の二人称単数も同じ形なので、そのように解釈している訳も多い)
 「憂の国 (CITTÀ DOLENTE)チッタ ドレンテ」が「地獄」のことであることは説明の必要はありません。しかし次行の「永劫の呵責(ETTERNO DOLORE)エテールノ ドローレ」の表現には説明が必要だと思います。「永劫の」を意味している‘etterno’は現代イタリア語では‘eterno’と綴ります。『地獄篇』第1歌(113~114)にも、ウェルギリウスがダンテに向かって「私が案内者になって、君を永劫の場所へ連れて行くことにしよう」と言って「永劫」が使われていました。この「永劫の場所(loco etterno:ローコ エテルノ)」も「地獄」を指していました。『神曲』の中には「地獄」と「煉獄」と「天国」の三界があります。その中で「永劫・永遠」という概念が当てはまるのは「地獄界」だけなのです。「永遠の愛」とか「永遠の命」という良い意味の「永遠」に慣れた現代人には不思議に感じるかも知れません。しかし『神曲』の世界では、煉獄界の人間は罪を浄めるごとに上層部へ上がって行くので、絶えず変化しています。天上界でも天使たちや天国の住人たちは移動を行ったり、また徳を積むことによって光輝を増すこともあるので、良い方の変化があります。ところが地獄界だけは、その場所に堕ちたら最後、出ることはできません。また、仏教のようにお盆だけには地獄の蓋が開くなどという特例はありません。また仏教の地獄に堕ちた悪人カンダタが蜘蛛を助けただけで蜘蛛の糸を垂らされて脱出の機会が与えられましたが、『神曲』の罪人は、地獄へ堕ちたら、何があっても〈永遠に〉許される機会は与えられません。そしてもう一つ永遠・永劫なことがあります。罪状が明らかになって、ひとたび刑罰が決定されると、その同じ刑罰を永遠・永劫に繰り返し受け続けなければなりません。たとえば火炙りの罰に決定された罪人は永遠に、しかも常に休みなく火で焼かれ続けられるのです。
 次に3行目の「破滅の人」とは、原文では“perduta genteペルドゥータ ジェンテ)”で、「地獄に堕ちた者」という字義通りの意味でしょう。
 それに続く4行目には、「正義(GIUSTIZIA)ジュスティーツィア」は「私の高き主(MIO ALTO FATTORE)ミーオ アルト ファットーレ」を動かした、と続きます。そして5行から6行は、「神威(DIVINA POTESTATE)ディヴィーナ ポテスターテ」と「最上智(SOMMA SAPÏENZA)ソンマ サピエンツァ」と「原初の愛(PRIMO AMORE)プリーモ アモーレ」は「私=地獄門」を作った、と書かれています。この3行には「神の三位一体」が表現されていると言われています。正義が「高き主(=父なる神)」を鼓舞して、「神威(=父なる神の権威)」と「最上智(=子なるキリスト)」と「原初の愛(=精霊)」の三体が一体となって地獄門を建造したという意味です。
 そして次の2行(7行目と8行目)は難解です。地獄の門よりも前に創造されたものは「無窮」の他はない、と言っているのですが、この「無窮」は‘ETTERNE’の平川祐弘先生の和訳語です。この単語は「永遠な」という意味の形容詞‘eterno’の女性形の複数形です。『神曲』の中では、〈t〉が一文字多い‘etterne’の形で10箇所ほど使われています。たとえば「永遠の美」という意味で‘bellezze etterne:ベルレッツ エテールネ’が『煉獄篇』第14歌149と『天国篇』第7歌66の二カ所で使われています。この地獄門の碑文中では、前の2行目では男性形容詞として‘etterno dolore(永遠の苦痛)’と使われ、この8行目の詩句「われは無窮に続くものなり」の原文は“io etterno duro:イーオ エテールノ ドゥーロ”ですが、この‘etterno’は副詞として使われています。
 さて、ここで問題にしています‘etterne’は、西洋のどの言語でも普通の文法ですが、形容詞を名詞として使用しています。ゆえにその意味は「永遠なるもの」となります。そしてその「永遠なるもの」が具体的には何かは、謎めいていて難解なのでが、その形容詞が〈女性形複数〉なので「事物(cose)」を指すとするのが妥当です。その難解な説の中でも、私が最も納得している解説を紹介しておきましょう。その種本は、私のダンテ理解の源泉になっているシングルトン(Charles Singleton)によるものです。


神は最初に何を創ったか?

 神が天地創造をおこなった時、最初に創ったものは『創世記』に書かれています。

 「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。」

 上の聖書に描かれている状態が具体的な映像として描くことができるのでしょうか。私たちは、その文字表現から、最初に神が創造したモノは、「天」と「地」と「神の霊」であると理解してきました。その三つの創造物に関しては、ダンテも『天国篇』(第29歌10~48)でベアトリーチェがダンテの質問に答えるという形式をとって、哲学的に解説しています。神が最初に創った「天と地」は、「天」は〈形相=形だけで物質のない状態〉で「地」は〈質料=物質だけで形のないもの〉だと考えました。そしてその時、実際に形として創られたものは、形相だけで創られた《天使》と、形相と質料の両方から創られた《天球》と、質料だけで創られた《地球》の三種類の被造物でした。次に、形相だけの天使は最上部に置かれ、質料だけの地球は最下部に置かれ、両要素を持つ天体はその中間部に置かれました。ということは、天使は、天地創造の初日に創られたということです。その説には異を唱える人もいるでしょうが、創造を手助けする天使がいなくて、その後の天地創造の仕事は困難であった、とするのがダンテの考え方です。ということは、大天使サタンが起こした天国の戦争も、サタンの地獄堕ちの出来事も、天地創造の初日に起こったことになります。地獄門が一人称で叫んだ「永遠なるもの」とは、この初日に創造された「天使」と「天球」と「地球」のことで、サタン一派の反逆と地獄堕ちは、その当日の出来事でした。地獄門の建造も地獄の形成とほとんど同時期ということになります。地獄門の言葉を字義通り訳せば、「永遠なるものである天と地を除けば、私より前に創られたものはない。そして天と地がある限り(地獄門は)永遠に存続し続ける」ということになるでしょう。
 この地獄門をくぐったら最後、地獄には、いかなる「希望(SPERANZA)スペランツァ」も存在しないのだから、「われを過ぎんとするものは一切の望みを捨てよ」と、地獄門の碑文は言っているのです。
※ サタンの地獄堕ちに関して詳しく知りたい人は、私のブログ「『失楽園』の物語」を読んでください。



夏目漱石の地獄門碑文の訳文
憂いの国に行かんとするものはこの門を潜れ。
永劫の呵責に遭わんとするものはこの門を潜れ。
迷惑の人と伍せんとするものはこの門を潜れ。
正義は高き主を動かし、神威は、最上智は、最初愛は、われを作る。
我が前に物なし、ただ無窮あり、我が無窮に忍ぶものなり。
この門を過ぎんとするものはいっさいの望みを捨てよ。


次回は三途の川アケロンの船着き場に向かいます。