73 日本語ウィキペディアを管理し情報操作するロシアKGB | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

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秘密警察国家・ロシア



ロシア(KGB)に情報操作されているおそまつな国日本






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73 日本語ウィキペディアを管理し情報操作するロシアKGB



2010年03月15日 22:21





二十一世紀日本は、まったくの“ロシアの属国”である。日本国民が日本の歴史に関する正しい情報を手にすることができないよう、そのような操作をしているロシアに対して、怒りもなければ、抗議もしないからからである。日本は、“情報”という主権国家の要諦の重要柱を軽んじて、省みようとはしない。日本人は、非国民化の病がますますひどくなっている。

この情況について、日本語ウィキペディアの一部を紹介することを通じて、明らかにしておこう。これはまた、麻布台のロシア大使館の10階と11階にあるSVR(対外諜報・謀略庁、旧KGB第一総局)東京事務所のさまざまな非合法・合法活動に対して、日本の内閣調査室も公安調査庁も、無為に徹して何一つなさない堕落と腐敗のひどさを物語るものでもある。

彼らには、“ウィキペディアでの情報戦争”をしなければならないという、職務意識がゼロである。職務放棄をしているのである。この事実は、彼らが、ロシアと間接的に通謀しているのと同じであり、分限処分に相当する。
以下、わずか三ケースだけだが、それも簡単にだが、例示しておこう。










一、ウィキから消された、“ロシアのスパイ”末次一郎と吹浦忠正の項目

 KGBプリマコフ機関の日本人工作員は、私に知る限り十数名いるが、次にその一部をあげる。 末次一郎、吹浦忠正、田久保忠衛、佐瀬昌盛、猪木正道、袴田茂樹など。このうち袴田は、元はコワレンコ機関員であったが、コワレンコの引退に伴い、プリマコフが引き継いだようである。

 これら六名はすべて、当然ながら、ウィキの人物項目となっていたが、二〇〇八年、末次と吹浦の二名について突然削除された。この年、ある権威ある専門家が、両名について公刊の書物でそのスパイぶりを明らかにしたからであるあろうか。時期が、ぴったり符合する。
 


 ならば、この削除行為そのものは、末次と吹浦が、ロシアのスパイだという動かぬ状況証拠になる。このような証拠ならば、末次に関して、もう一つある。それは、末次一郎の墓参りを、KGBの高官であったエフゲニー・プリマコフがしたからである。二〇〇六年五月三十一日のことであった。このとき、佐瀬と袴田と吹浦が、この墓参りに陪席している。つまり、佐瀬/袴田/吹浦がKGB工作員である証拠の一つである。

 このプリマコフ機関に所属した日本人スパイの中でも、学界の大物であった猪木正道(元防衛大学校校長)のネットワークは大きく、日本の国際政治学界とソ連(ロシア)研究の学界が親ソ一色の真赤になった原因の一つは、猪木正道の存在による。この理由において、ウィキの項目「猪木正道」は、余りに異様なほど簡単な記述で、無名な人物並みに少なすぎる。


 産経新聞社はいまや朝日新聞社に優るとも劣らぬ“KGBの巣窟”となっており、つまり「産K(経)GB新聞社」と化してしまったが、これもまた猪木正道の功績であった。だから、ロシアのウィキ管理人が、勲一等まで叙勲された猪木正道の「項目」について極度に簡素な記述にして、その主要な活動についてすら記述させないのである。
 










二“ベリア直属のNKB工作員”近衛文麿の真像を隠蔽する、ウィキの情報操作

 戦後の日本人スパイをこのように隠蔽するのだから、ロシアのウィキ管理人たちが、戦前・戦中の日本人ロシアスパイについて、その証拠隠滅や、その存在の抹殺をしないはずはなかろう。とりわけ、アジア共産化を目的とした大東亜戦争は、スターリンの命令を受けたコミュニスト近衛文麿の独断的に牽引したものであり、大東亜戦争を日本の政府や軍部にけしかけた、近衛文麿周辺の日本人NKGB工作員やGRU工作員については、ロシアとしては、その歴史的真実をどうしても闇に葬りたいのは当然であろう。

このロシアの情報隠蔽工作の一端は、ウィキでも、あからさまになされている。たとえば、戦前日本で最大の総理権力をほしいままにした近衛文麿についての、ウィキの記述が歪曲著しいのは無論だが、この近衛の周辺の人物について、ウィキは抹殺することに全力をあげる。たとえば、近衛のふたりの秘書官であった牛場友彦と岸道三については、これほどの大物でありながら、しかも戦後はともに財界人として活躍した人物でありながら、ウィキには今、項目がない。そればかりか、牛場友彦については、二〇〇八年まであった「項目」が突然に削除された。
 


牛場友彦は、戦後の牛場信彦駐米大使の実兄であるだけではない。国策会社のアラスカパルプの副社長をしたり、財界ではそれなりの活躍をした。戦前は、近衛に二十四時間仕えた第一秘書で、その内政・外交・戦争に絶大な影響を与え続けたGRU工作員であった。戦後も、近衛のアンコン号での訊問に立会い、青酸カリでの服毒自殺のとき近衛に付きっ切りであった。通説では、近衛に青酸カリを渡したのも自殺を教唆したのも、この牛場友彦であろうとされている。

もう一人のコミュニスト秘書官である岸道三については、近衛文麿の大政翼賛会をスターリンのソ連共産党そのものにしようとするなど、キチガイじみたスターリン教徒であった。戦後は経済同友会代表幹事、日本道路公団初代総裁、同和鉱業副社長などを歴任した、それ相当の財界人として活躍した。それがどうしてウィキの対象にもならないマイナーな人物なのか?
 











三、尾形昭二(戦中外務省のコミュニスト三羽烏の一人)のウィキからの削除

 近衛文麿に触れたので、彼が可愛がった外交官の伊藤述史について、ウィキを調べて見た。驚くなかれ、たった二行である。日本国民や政府全体を対英米戦争にみちびくに、コミュニストの伊藤は、閣僚あつかいの情報局総裁として、過激に煽動的な活躍をした。彼もまたGRU工作員であった。

伊藤述史がソ連のスパイであったことについて書かれていないのは、名誉毀損の問題から妥当であるとしてもよい。が、伊藤述史の情報局総裁として現代史上の行動が、一文字も記述されていないのは、明らかにロシア(に雇われた日本人の)管理人の仕業である。
杉原荒太については、防衛庁長官をしたため、ウィキには項目があるが、この杉原荒太と河野一郎(農林大臣)とがソ連に通謀して、鳩山一郎の日ソ共同宣言で、国交回復の見返りとしての北方領土返還を妨害した張本人であった。このことは、一九五五~六年にかけて、巷間でも噂になるほどで、誰でも知っている事実である。
 


それにしても、鳩山一郎という人物は、当時政界では常識でもあった「杉原荒太と河野一郎はコミュニスト/ソ連のスパイ」の、まさにこの二名を閣僚に抜擢したのだから、その罪は万死に値する。孫の鳩山由紀夫が共産党系の菅直人と昵懇な同志だが、これも鳩山家のDNAであろう。
さて、ウィキが奇怪なのは、戦時中、外務省のソ連課長として、ソ連と密接に接触し、ソ連軍の日本侵攻の手引きを直接やっていた“GRU工作員”尾形昭二について、その項目をバッサリ削っていることだろう。吉田茂は戦後すぐ、杉原荒太と一緒に、尾形については名指しで外務省からの辞職を強制した。有名な話である。

その後の尾形は、伊藤述史や杉原荒太のようにコミュニストであるのを隠そうとはしなかった。堂々と日本共産党に入党し、ソ連の美化宣伝に努めるソ連の対日プロパガンディスト要員の道を選んだ。『ソ連二十話』(一九四八年)『ソ連外交の三十年』(一九四九年)『私はソ連をこう見る』(一九五〇年)などを矢継ぎ早に出版した。
 



 中西輝政が、インテリジェンスの専門家を自称し、インテリジェンス・リテラシーをもてなどと大上段な教訓を垂れるが、現在の問題であるウィキペディアにおける、北朝鮮/中共/ロシアの管理人らによる、このような情報操作問題については、知っていながら沈黙する。それは彼が、どの程度のレベルかは知らないが、これらの三ヶ国と通じているからだろう。 









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