『キングダム』~史実で学ぶ~

『キングダム』~史実で学ぶ~

中国・春秋戦国時代を舞台にした人気漫画『キングダム』
壮大なストーリーを史実を元に解説します!

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史実で見る【秦の六大将軍】

キングダム登場人物>>>登場人物【昭王と六大将軍】

キングダムでの秦の六大将軍(白起、王齕、胡傷、司馬錯、摎、王騎)は、実際に史実に出ている人物となりますが、【六大将軍】というのは漫画「キングダム」の中での呼称となるようです。

昭王に仕えた将軍たち
実際に圧倒的に活躍をしているのは白起でしょう。


詳細はここから>>>
天下随一の名将【白起】

白起は天下随一の名将として、後世までその名をとどろかせてます。

また、白起以外だと司馬錯の功績も大きいです。三国志で出てくる蜀地方の平定を提案し、秦の後方生産地として経営することに成功してます。
生産力の低い秦が戦線を拡大できるようになった礎を作った人ともいえます。

キングダム六大将軍経歴

司馬 錯(しば さく 生没年不詳)
中国戦国時代の秦の将軍。司馬靳の祖父、司馬遷の八世の祖。恵文王・武王・昭襄王の3代に仕えた。蜀の併合と経営に尽力し、また楚や魏との戦いで功績を挙げ、秦の勢力拡大に貢献した。


胡傷(こ しょう 生没年不詳)
中国戦国時代の秦の武将であり、紀元前269年、胡傷は趙の閼与(あつよ)を攻めるが、趙奢(ちょうしゃ)の奇策にはまり、大敗した。

(きゅう、生没年不詳)
中国戦国時代の秦の将軍。
紀元前256年、韓を討ち、陽城・負黍を取り、首級4万を挙げた。
紀元前254年、魏を攻め、呉城を落とした

王騎(おうき)と王齕(おうこつ)は同一人物!?
  
 キングダムで存在感が強く六代将軍筆頭的な存在となった王騎ですが、史実上では存在感がなく実在したのかも定かでありません。

実は、王騎と王齕が同一人物であったという説があります。

王 齕(おうこつ)経歴

紀元前260年(昭襄王47年)、趙を討って、上党を取った。趙も反撃してきて、秦は内密に白起を増援させて上将軍とし、王齕をその副将とした。長平の戦いでは、趙を大いに破った。

紀元前259年(昭襄王48年)、白起に代わって、将として趙の武安君を討ち、皮牢を取る。

紀元前258年(昭襄王49年)、王陵が趙の邯鄲を攻めて増軍もしたが、戦況が思わしくないので王齕が代わって将となる。

紀元前257年(昭襄王50年)、邯鄲を攻めたが落とせないので、汾城郊外の秦軍と合流した。その後、魏を攻め、首を斬ること6千、魏軍は敗走し、黄河で2万人が流れ死んだ。汾城も攻め落とし、張唐に従って寧新中を抜いた。

紀元前247年(荘襄王3年)、韓の上党を攻めて、太平郡をおいた。魏の信陵君が五カ国連合軍を率いて秦を攻めてきたのを蒙驁と迎え撃ったが敗れた。秦軍は河内から河外(河南の地)に退却し、その軍を解散した。

 王齮(おうき)経歴
紀元前257年(昭襄王50年)、趙の邯鄲を包囲した
紀元前247年(荘襄王3年)、韓の上党を攻めて、太原郡をおいた

紀元前246年(秦始皇元年)、秦王政が即位すると、蒙驁、麃公らと共に将軍に任じられる。
紀元前244年(秦始皇三年)、同僚の蒙驁が韓を攻め十三城を取るも、同年に死没。


※上記のように、紀元前257年、紀元前247年には同じ戦場にいたにも関わらず、行動を共にしたとは記されていません。
また、
『史記』の「秦本紀」に登場し長平の戦いなどで活躍した将軍王齕は「秦始皇本紀」では一切触れられず、逆に「秦始皇本紀」で初めて現れる王齮は「秦本紀」には登場しない王齕と同一人物である可能性が論じられています。


尚、キングダムでは若き日の汗明(かんめい)に切り裂かれ、早々に撤退したとされている王 齕(おうこつ)ですが・・

 
汗明は遊説家(ゆうぜいか)という弁舌と頭の回転で自分を売る人物であり、汗名が戦場に立ったなどとは一切記されていないとのことです。
王騎将軍が実際に「コココ」と笑ったのかは不明です(笑)

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