心に実りを。 | 栗原健太オフィシャルブログ「“KONG”栗健 #0」Powered by Ameba

心に実りを。

2015年8月6日。広島は被爆70周年を迎えました。

8時15分、黙祷。

式典に出席した義父に送ってもらった今日の広島です。

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栗原のブログ、今年も更新するんかのう?と

思い出してくださった皆様、

1年ぶりに僕のブログを見てくださっている皆様、

ありがとうございます。

まさか数年前のブログをきっかけに、

ピースナイターが始まることになるとは夢にも思っていなかった、そして、

8月6日が僕にとってこんなに大切になる日になるとも思っていませんでした。


この日が近くなってくると、

僕の周りがざわざわしてきます。


正直、今は地味にただただ練習を続けている僕です。

ブログを書いても、どうなんだろうとは思います。

でも被爆者の方々、遺族の方々、報道の方々、カープファンの方々、カープファンではないけどのたくさんの方々、知り合い、

この間は芥川賞作家の小山田さんも取材ということで会わせて頂き、

微力な僕が今しか伝えられないことがもしあるなら、

平和を語り継ぐことにほんの少しでも貢献できるなら、

そして僕自身、平和をみつめるため、

いつも野球でしか使ってない脳みそで一生懸命考えて、太い指で書きます。

僕は、日本の政治とかにどうのこうの言えたりするような、

難しいことを書くことはできません。

拙い文章ですがご了承ください。




プロ野球の世界は、1軍だけではありません。

1軍はプロ野球選手の中から選ばれた選手だけがいる、

華やかで派手で、

子ども達の夢も大きく膨らむ場所です。

1軍に登録されても、その中で、

打席に立つ、レギュラーになる、タイトルを獲る、記録をつくる、

上には上があります。


そして、カープには、2軍と3軍というところもあります。

僕は長年肘にかけた負担のため悪くなった肘の手術の3回目が終わり、

3軍で調整した後、今、2軍にいます。

2軍には色んな立場の選手がいます。


例えば僕の今。

痛みに耐え切れず1回目の手術をし

それでは治らず2回目の手術をし

多少よくなったものの回復具合に納得することができず

野球人生をかけた3回目の手術をさせてもらいました。


僕の状態を客観的にみた時、

そろそろ僕は、やってやる自信があります。

ただ、チーム事情ももちろんあります。

そして、3回も手術をして、

失った信頼というものが大きくあると思っています。


今、僕は遠征に行けず、

試合に出してもらっても代打という立場です。

1度だけもらうチャンスに

100%の結果を残さなければいけません。

プロの世界にある、

運も味方につけなければいけません。

運も実力、本当に、その通りです。



2軍には1軍経験がまだない若い選手もたくさんいます。

もちろんかつての僕もそうでした。

僕の時は、2軍で活躍して、タイトルを2つ獲ったとしても、

打つ自信と打てた結果があっても、

1軍にはなかなか行けませんでした。


2軍には、プロの選手なのに地味で、

注目もなかなかしてもらえず、

不満があったり、結果が残せないと焦ったり、

身体の状態と気持ちの葛藤などがあります。


1軍でもバッターボックスに立つ時は大きな期待を背負って、

中の自分とたたかわないといけない時がありますが

2軍の選手は、もう下がないということもあり、

1軍の選手と同じくらい身はもちろん、

心もケアしなければいけません。



そんな時に僕がよく言う、

『心が腐らないように』ということ。

よく言われる、

『心だけは腐らせないように』ということ。



いつの間にか心は腐りかけたりします。

ぼーっとしてたらあっという間に腐ります。

俺はこんなにがんばってるのに、なんで○○なんだ?とか、

不平不満ばっかり思ってると、

思ってる時点で腐り始めます。

自慢のようになってしまうのですが、

僕の心は全く腐りません。
(腐りかけたことはあった気がしますが、野球してたら忘れました。)

僕には腐らない方法みたいなものがあります。



『いつも満足しないようにすること』



ある日「栗原はまだ肘が痛いんかのー、調子はまだまだって言っとるらしいで」

という僕に気付いてない男性2人の会話が背中の方から、ちらっと聞こえました。

嫁にはずっと前から「新記録まで出して、すごい打ってんのに、調子いいねって言うと、いつも首を傾げるよね」

と言われました。

電話で、知り合いに「調子どうか?」と聞かれると打ってる時も打ってない時も「まずまず」って言ってると、

「面倒なん?」とちょっと怒られたこともありました。

打ててる時は、嬉しいのはもちろんですが、

打ててるからこそ、その先を見たくて、

心の底から満足した打席は、

確かにまだありません。

自信はあるけど、満足はできません。

上には上がある、上には上がいる。

ずっと先を見たいと思っています。


そして時々、満足はしてないけど、

野球ができることに感謝します。

心を腐らせて、努力を怠り、不平不満を言って、運がないことを悲しむ、

そんな風にはなりたくないと思います。



なんで僕がこの日にこんなことを書いたのか、

70年前、家も思い出も生命も、

何もかも焼けてしまった街を、

また1から作り始めたのは何か、誰なのかを想像した時、

それは絶望的な中、

心だけは腐らなかった人々の働き、気力だと思ったからです。

僕と比べるのは失礼であることは、承知してます。

心を腐らせなかった人々がいたことで、

広島はこんなに綺麗な街に復興し、

戦争のない平和な日本があるという結果、2015年の現実があります。

結果と言っても、上に書いたように、

まだ現状にきっと満足をされていないのだと思います。


もう生存されている被爆者の方々は減ってきましたし、

平均年齢も今年初めて80歳を超えたそうですが、

被爆者には、

自分達の役目だからと原爆や戦争が語り継がれることの活動に尽力されていらっしゃる方々がいます。

それは、自分達のためではなく、子ども達や孫達、そのまた未来の人々が、

同じような辛い思いを決して二度としないようにです。

命をかけて僕達のために、今も行動されている姿を知ると、

日本がこの先どうなってしまうか不安にさせてしまうようなことも、

僕達は決してしてはいけないと強く思います。



この日にずっとブログを書いていると、今年は何を書けばいいのかすごく難しく分からず、

1ヶ月前ぐらいから嫁や広島の知り合いと確認してもらいながら

何日にも分けて書いてます。

昨日は緊張もあり寝付けずちょっと睡眠不足気味です。

僕はブログの題名を考えるのが苦手です。

すみませんが、今年のブログの題名は嫁が考えてくれました。



私事ですが、今年の5月27日、

嫁がまた1人、娘を生んでくれました。

結婚11年、嫁が辛い思いをしながらも続けた12年の不妊治療で、

やっとやって来た娘です。

娘がお腹の中にいた時、産婦人科の先生が

「見たこともない真っ白で太く長い骨だ。」と言っていて、

まず驚かしてくれました。

それからものすごいスピードで大きくなって、

ついにはエコーでもう計測ができなくなり、

陣痛が来たら危険な状態だということになったそうです。

3人目ですが危険なので帝王切開で生まれてきました。

予定日より15日早かったですが、

5月27日0時55分、
55.5cm、
5172g

僕は試合で付き添えませんでしたが、

その場にいた方達、家族がみんな驚くほど大きく元気に生まれてくれました。

僕自身が4500gで生まれ、大きいと驚かれますが、

それ以上でした。

予定日を待っていたら6kgは超えていました。

妊娠中、嫁は中毒症というものでもなく、その他数値は全て正常だったのですが、

ひどい浮腫み、初めての帝王切開、大きい赤ちゃんだったので、貧血、胎盤が残っていたりと産後も色々あり

選手会に報告した後、球団に報告を忘れてしまっていましたが、

もう今は日常の生活に戻りました。

また僕のことは、只今育児休暇中の嫁のブログが再開したら書いてもらおうと思ってるので。

最近栗原は元気かのー、とふと思い出して頂くことがもしもありましたら、

よろしくお願いします。

必ず復活してみせます。


最後に、娘の名前は。

上から、心愛、心暖、と来て

『心杏』みあん、あんチャンになりました。

あんチャンが生まれた時期は、

杏の実が実る頃だったようです。

心に実りを。


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