子供が進学や将来の仕事のことを考えるようになるにはどうしたらいいかという話を聞いて、自分のことを書いてみる。親(や周りの人)が誘導(悪く言えば洗脳)するようなケース※1を除くと、できることは限られているように思う。

 

・言っていることを否定的に扱わない

・きっかけになるような体験やモノを与える(せがまれた時に断らない)

 

くらいだろうか。言い方を変えると、介入できるのは「興味を持ったものを潰す」ことだけで、「狙ったものに興味を持たせる」ことはできないのではないか。そして、「潰す」ことは興味対象が反社会的である場合などの例外を除いてやるべきではないと思う。

 

私は「興味を持つ」というレベルではなく「平均から並外れてのめり込む」ものには(内容に関わらず)希少価値があると考えている。「何かをできるようになる」は努力で達成できるが、「特定のモノにのめり込む」は努力してできるものではないからだ。

希少価値が単なる趣味で終わるか、仕事に結びつくのかは興味の対象に依存するが、他人と違う部分をうまく使うことが、希少価値のある人になるためには重要だと思う。小中学生に強調して教えるべきことは「好きこそものの上手なれ」ではないだろうか。

 

 

上にリンクをはったブログで、中学生の時にプログラミング関数電卓を買った話を書いているが、これはかなり話が進行した後だ。原点はおそらく幼稚園の時に、祖母に(普通の)電卓を買ってもらったことだったのではないかと思う。家には電卓があったはずなので、「自分用の」電卓が欲しかったのだと思われる。「なんでこんな小さな機械で計算ができるのか」と不思議に思っていたのだろう。買ってもらった電卓のカバーを外してどうなっているのかを調べたこともあった。とは言え開けたところで、キーボードと表示部以外は集積回路が一つあるのが見えるだけで、中で何をしているのかは全く分からない。小学生ではどうにもならず、調べることを諦めてしまった。この疑問が一応解決したのは大学で論理回路の授業を受けたときだ※2。

 

買ってもらった電卓には(買うときには気にしていなかったが)√キーがついていた。四則計算を理解しても√の意味は分からないままだ。数値を入れて√を連打すると1に近づいていくのを見て「これは何なんだ」と思ったのをおぼろげに覚えている。その後、九九を理解した後で、4なら2、9なら3になることに気づいたときに√の意味がわかった。その時の快感も覚えている※3。当時の私は認識していないが、これが「関数」に初めて触れた瞬間だったはずだ。

 

小学校高学年になって、電卓のカタログで関数電卓というものが存在することを知った私は、母に頼んで買ってもらった。関数電卓には√だけではなく、三角関数や対数関数など当時の私が知らない機能がたくさんついていた。小学生には明らかにオーバースペックで多くの機能は使いようがなかったが、括弧、かけ算、割り算を優先して計算する機能と、分数計算、時間計算は小学生でも理解できた。四則演算や√(=入力と出力が1対1に対応している関数)でもどうやって計算しているのは分からなかったのに、これらの機能の実現方法など全く想像もできなかった。場合の数の授業の後、階乗、nPr、nCrが関数電卓にあるのを知って仰天した。関数が具体的に何かの役に立つ実例を示されたように思った。

 

 

最初に買ってもらった関数電卓、Casio fx-570D。

 

この関数電卓の後でプログラミング関数電卓を買った。この頃には機械が計算をどうやって実現しているかを知ることよりも、プログラムに何をやらせるのかに興味が移っていた。プログラミングができるということは、あらかじめ決められた計算をするだけではなく、どのように組み合わせるのかを指示できるということだ。プログラムを書くことでどんなことが実現できるのか、無限の可能性を感じた。この後パソコンでBASICを使ってプログラムを作るようになった。単なるユーザーにならずに作る側の視点を持てたのは、スタートが電卓だったからではないかと思う。

 

PCを使うようになって、計算速度に驚いた。電卓でも速いと思ったが、さらに桁違いに速かったのだ。道具というのは人間の能力を拡張するものだが、倍率の凄まじさは(物理的な機械や乗り物などと比較して)コンピュータがダントツだと思う。これが大学でコンピュータの勉強をしたいと思うに至った決定打だったように思う。

 

話を元に戻すと、祖母や母は積極的に電卓に興味を持たせようとしたわけではない。私が買って欲しいと言ったときに「子供にはまだ早い」とか断る理由はいろいろあったはず※4だが、買ってくれた。どこまで考えていたのかは分からないが、興味を持ったことを潰さずに尊重してくれたことに感謝している※5。

 

 

※1 誘導して興味を持つのかは疑問だが。ただ機会を与えないことには興味を持つきっかけもないので、与える内容を取捨選択することはできる。

 

※2 電気系の共通授業で受けただけで専攻は回路とは無縁な分野に進んだ。ANDやORをやって加算機を理解したくらいで終わってしまったので偉そうなことは言えないが。ただ、このレベルでも「これらを大量に組み合わせれば何でもできる」ということは理解できた。

 

※3 周囲の大人に聞いたのかどうかは記憶にない。聞けば教えてくれたとは思うので、あえて聞かなかったと思われる。なぜ聞かなかったのかは今となっては分からない。教えてもらってたら快感を感じることはなかったと思われるので、聞かない方が結果的にはよかったのかもしれない。

 

※4 特に関数電卓は宿題を簡単に済ませる手段として使えてしまう。

 

※5 電卓だから買ってもらえたというのはあると思う。これがゲーム機だったらそう簡単ではないだろう。