裕仁は明治三十四年(1901年)四月二十九日に誕生

し、大正十五年・昭和元年(1926年)十二月二十五日に

日本国第百二十四代天皇として即位し、大日本帝国の

統治者となりました。

 昭和十二年(193七年)七月七日盧溝橋事件が起こり、

大日本帝国と中華民国の戦争が始まりました。天皇は

大日本帝国の陸海空軍の統帥者であることが大日本帝

国憲法で規定されています。よって、日中戦争の全責任

は、裕仁にあります。

 

 同年十二月十三日、裕仁が統帥している大日本帝国

軍隊は、南京に侵攻し、沢山の中華民国市民を虐殺し

ました。

 

 昭和十三年(1938年)一月十一日御前会議で「支那事

変処理根本方針」を決定しています。

 

 

 朝鮮人女性従軍慰安婦問題においても、全責任は裕

仁にあります。裕仁が統帥していた大日本帝国軍隊の

軍人が朝鮮人女性を慰安婦にして強姦しました。

 昭和十六年(1941年)大日本帝国とアメリカ合衆国・イ

ギリスとの対立が激化します。十二月八日裕仁は「米国

及ビ英国二対スル宣戦布告」を出し太平洋戦争が起こり

ます。

 日中・太平洋戦争で大日本帝国の敗色は昭和十八年

(1943年)頃には決定的になってきました。それでも裕仁

は敗戦決定の後、自分の命が助かり天皇の位に安住で

きるかどうか確信が持てず不安になり、終戦決定を遅らせ

ます。

 昭和十九年(1944年)十月二十日関行男を始めとする

軍人達が体当たり出撃を命じられ、隊の名が神風特別

攻撃隊と決まります。関は二十五日に突撃し戦死しま

した。

 昭和二十年(1945年)三月十日に東京大空襲がありまし

た。三月二十六日から六月二十三日には沖縄戦がありま

した。

 ハリー・S・トルーマンアメリカ合衆国大統領は八月六日

に広島、九日長崎に原子爆弾を投下します。

 

  八月十五日裕仁はポツダム宣言を受け入れ、

連合国に降伏する事を放送で発表します。

 

  昭和五十年(1975年)十月三十一日、宮殿石橋の間におい

 て、天皇裕仁後の昭和天皇、皇后良子後の香淳皇后の記者

 会見が開催されました。日本記者クラブ代表五十人が出席し

 ました。

  この月天皇はアメリカホワイトハウスを訪問し、ジェネラル・

R・フォード大統領は晩餐会を開いて迎えました。

  

    記者「陛下は、ホワイトハウスの晩さん会の席上、私が

        深く悲しみとするあの不幸な戦争というご発言

        をなさいましたが、このことは陛下が、開戦を含

        めて、戦争そのものに対して責任を感じておられ

        るということですか。また、陛下はいわゆる戦争

        責任について、どのようにお考えになっておられ

        ますか?」

 

    昭和天皇「そういう言葉のアヤについては、私はそう

           いう文学方面はあまり研究していないの

           で、よく分かりませんから、そういう問題

           についてはお答えができかねます。」

 

 

    記者「陛下は、これまでに三度広島へお越しになり、

       広島市民に親しくお見舞いの言葉をかけてお

       られる訳ですが、戦争終結に当たって、原子

       爆弾投下の事実を、どうお受け止めになりま

       したでしょうか?」

    昭和天皇「原子爆弾が投下されたことに対しては

           遺憾に思っていますが、こういう戦争中

           である事ですから、どうも、広島市民に

           対しては気の毒であるが、やむを得ない

           と思っております。」

(画像出典『陛下、お尋ね申し上げます』

 高橋紘著 1988年3月10日 第1刷発行

 文春文庫)

 


 昭和天皇裕仁は大日本帝国の統治者でした。

日中戦争において、大日本帝国は中華民国を侵略

し、日本軍は中華民国の市民を虐殺しました。

 太平洋戦争において大日本帝国は連合国とい、

沢山の外国人・日本人が戦死しました。

 昭和二十年(1945年)八月、アメリカ大統領ハリー・S・ト

ルーマンは六日に広島、九日に長崎に原子爆弾を投下

したまし。沢山の人々が原爆で虐殺された。昭和天皇の

終戦決定が遅れた。戦後自身の命と身分が保証され

るかどうか、彼は不安に感じていた。アメリカ政府は降伏

を中々受け入れず迷う日本に原子爆弾を投下しました。


 戦後天皇の戦争責任は許され、天皇の地位に居れるこ

とを確認して、八月十五日にポツダム宣言受諾を、裕仁

は発表したのです。

 

 大日本帝国統治者であったが、「戦争責任」を問われれ

ば、「言葉のアヤ」で、「文学方面は分からない」という、

ふざけた暴言を吐きました。これほど無責任な暴君は、他

にいないでしょう。この人を守る為に、数多の日本人・外国

人が犠牲になったのです。

  「天皇陛下万歳」と叫んで戦死した日本軍兵士の無念

を思うと、憤りが心中に湧きます。亜細亜諸国で残虐行為

を侵した兵士達も、天皇陛下を守る為に、お国の為になる

ことと思いこまされ、軍隊での存在感を増す為に、勇敢に

見せる為に惨たらしい蛮行を犯していた。

 特攻隊の兵士は、裕仁を守る為に、命を捨てて

連合軍に激突自爆死しました。

 その裕仁は連合国軍のリーダーであるダグラ

ス・マッカーサーに泣きついて、自己自身だけが

助かり税金で贅沢暮らしをする生活を許してもら

うことを求め、戦争責任を東條英機ら補弼の臣に

擦り付けて逃げました。


 大日本帝国軍隊を統帥していた大元帥は、「言

葉のアヤ」は文学方面で「研究していないから分

からない」という卑怯な発言をしている。

 

 「広島に原子爆弾が投下」されて、昭和二十年に二十万

人が死亡した。

 この痛ましい事実に、統治者であった裕仁は、「仕方が

無かった」と軽々しく述べ、犠牲者を冒涜しました。

 朝日新聞は令和元年(2019年)九月五日の記事で、昭和

天皇が「あゝ悲し 戦の後 思ひつゝ しきに いのりをさゝ

げたるなり」と詠んだと述べています。

 昭和天皇が日中戦争・太平洋戦争に「あゝ悲し」と思った

としても、「いのりをさゝげ」たとしても、責任が免罪される

訳ではないのです。

 当人が戦争責任は「言葉のアヤ」とごまかし、「研究して

いないから分かりません」ととぼけて逃げているのです。

 戦争を起こしながら、国民が原爆で虐殺されたことに、

「仕方がなかった」と愚弄する無責任は糾弾すべきです。

 

 戦後七十五年間、日本国民は、アメリカ政府の意向を

受けて、「昭和天皇は戦争に反対したが、軍部が陛下の

御意向に逆らって戦争を侵したことを悲しまれて、昭和

二十年に戦争を終えて下さった」という嘘のシナリオを

思い込み、「天皇戦争責任に触れるとどこから攻撃・襲

撃を受けるか分からないし怖いので黙って、マスコミの

先導に従って神格化しておこう」と自主規制してきました。

 天皇は責任を取らず、国民が払う血税で贅沢な生活

をして、国家主導の万全の警備体制に守られ、最先端

の医療を受け、安楽に八十七歳まで生きました。

 明治三十四年(1901年)四月二十九日に誕生し、昭和

六十四年(1989年)一月七日に死去した昭和天皇。そ

の八十七年の生涯で、彼に面と向かって、戦争責任を

糾弾した存在は、昭和四十四年(1969年)一月二日の

奥崎謙三だけでしょう。

 

 令和二年(2020年)二月三日の今、安倍晋三政権によって

日本国憲法が改変され、第一条の天皇は象徴から元首

になり、日章旗・君が代への敬意が国民に義務付けられ、

第九条の戦争放棄の誓いに自衛隊が明記されることが

狙われています。

 自民党の草案は、日本国憲法を大日本帝国憲法に

戻す為の第一回作戦であり、第二回以降は大日本

帝国憲法完全復活が目論まれていることは明白です。

 安倍晋三総理は何度も国民投票を繰り返すでしょう。

 

 昭和天皇が統治していた大日本帝国が、中華民国

を侵略して負けた。このことに731部隊の責任者石井

四郎の上司であった岸信介は逆恨みを抱いていま

した。

 助けてくれたアメリカ合衆国と組んで、日本を再び

天皇元首の戦争国家にする。この野望を果たせなか

った岸信介は、孫の安倍晋三に課題を託しました。

 安倍晋三は、是が非でも日本国憲法を改変し、天

皇元首・戦争遂行国家再建を果たしたいと狙ってい

ます。その為に大手新聞五紙や大手テレビ局や

有名週刊紙に圧力と食事接待で手なずけ、都合の

良い情報を語らせ国民を洗脳しています。

 

 

 テレビ局には国民投票の際には、電通が用意した

数百億円と言われる広告料が贈られます。テレビ局

は金が欲しくてしょうがない。

 

 大手新聞・大手テレビは日本会議の手先です。

 

 安倍晋三政権・日本会議が神格化している存在が

昭和天皇です。

 

 橋下徹弁護士が、文楽を鑑賞して、内容を理解

できず、自身の古文学力零を痛感せしめられた事

を逆恨みして、補助金問題を人質にして、「文楽は

お客さん集めの努力をしてない」と事実無根の嘘を

捏造して、悪口雑言を喚きました。

 

 この蛮行を朝日新聞は改革として支援して

日本古典誹謗を増長させました。

 

 今、日本の平和平等の危機です。しかし、戦後七

十四年間、「昭和天皇だけは特別扱いして戦争責任

を問わず、とにかく崇める」という政府・官僚のシナリオ

に国民も忖度して法の不平等を暗黙の了解にしてき

たのではないでしょうか?

 

  ☆平和安全法制を名乗る集団的自衛権行使

  ゴリ押し

  

  ☆森友学園国有地格安売却問題

 

  ☆四十年来の腹心の友加計孝太郎理事長に

   対する依怙贔屓で獣医学部設立への応援

 

  ☆山口敬之による伊藤詩織氏強姦の罪を

    逮捕もみ消しで許す

 

  ☆辺野古沿岸埋立によるアメリカ軍基地建設

    強行

 

 安倍晋三政権のお友達優遇・軍国化政策爆走

は凄まじいです。本来チェックすべきマスコミや

司法も、政権に忖度して批判・糾弾封じどころか

媚び諂って応援しています。

 

 司法やマスコミは、「安倍晋三総理に日本国憲

法改変をさせてあげたいから特別優遇を暗黙の

了解にしよう」と忖度しています。

 

 しかし、これは今に始まったことではありません。

 

 亜細亜諸国侵略・中華民国国民虐殺・慰安婦にされた

朝鮮人女性への日本軍兵士の強姦・日本国民の戦死。

 こうした戦争犯罪の主犯であった存在昭和天皇を、戦

後日本人は、甘やかし守り、その悪弊を今も連綿と続け

ているのです。

 

 安倍晋三政権や日本会議が昭和天皇を平和の守り神

として神格化し、朝日新聞を始めとする傘下のマスコミが

その嘘を喧伝していますが、彼裕仁がいかに無責任な

卑怯者であった事実は、その発言に露呈しているの

です。

 

京都市長選挙で日本会議重鎮門川大作市長が勝ちました。


安倍晋三総理は憲法改変国民投票に向かって暴走

するでしょう。


憲法改変を阻止する。


裕仁の亜細亜市民虐殺の罪を糺し天皇制・皇室を

廃止しよう。

                         文中敬称略

 

                             合掌