「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(20日)、

名古屋市交通局主催ヒラメキサンポに参加…№5

途中

堀川に架かる岩井橋、

に立ち寄りデジカメ。

 

  

👅岩井橋

☟東南角にて

☟東北角にて

☟岩井橋上から北方面

↓ネットより

岩井橋は、

土木学会選奨土木遺産に認定

認定番号…第32号

認定年月日…2007年(平成23年)10月17日

所在地

 中区大須一丁目、松原一丁目(左岸) 

 中村区名駅南三丁目、中川区松重町(右岸)

年代…大正12年(1923)

構造等…単純鋼アーチ橋

選奨理由

 現存する鋼アーチ桁橋では、日本で2番目の古さを誇っており、

 側面にはアングル材を巧みに曲線加工した飾り板が施されている。

特徴

 意匠設計は、京都市役所本館などを設計した武田五一と言われている。

 大正期の鋼アーチ橋で、橋の四隅には船の荷揚げ用に親水階段が設けられ今も残っている。

 平成19年(2007年)に土木学会選奨土木遺産に認定された。

諸元・形式:

形式 鋼製単アーチ橋
規模 橋長30.0m/幅員29.5m
竣工 1923(大正12)年
管理者 名古屋市

平成23年(2011年)には市認定地域建造物資産に指定されている。

 

☟手持ち資料より

岩井橋は大正12年(1923年)に架けられ、舟の荷揚げ用に設けられた親水階段が現在も残る。

鋼製アーチ橋では、大阪の東横堀川に架かる本町橋に次いで日本で二番目に古い橋で、

優美なアーチ、どっしりとした石の欄干、四隅に設けられた石造りの共同物揚場の川岸

には舟を係留する石のビット(係留柱)があり、架けられた当時の土木技術と輸送幹線

だった堀川の姿を今に伝えている。

☟ネットより

↓戦前からの飾り板       かつて艀を舫った石柱(北東橋詰)
                  今は存在しない

 

 

(特記)

名古屋市交通局主催ヒラメキサンポに参加

今回の№5で最終とします。

№4は、2024-04-28

堀川にかかる七橋の一つ『日置橋』:日置橋について

№3は、

堀川にかかる山王橋、松重橋:松重閘門:中川運河に架かる南北橋

№2は、

堀川にかかる七橋の一つ『古渡橋』:古渡橋について

№1は、

堀川にかかる七橋の一つ『尾頭橋』:尾頭橋について

先日、

早朝散歩の途中、

某お寺様の掲示板にあり…デジカメ。

 

熟読後➡デシカメ

人間は、何のために生きているのかなって、

考えることが、生きている意味だ。

           所ジョージ

 

🔶人間は、何のために生きているのかなって、

人間は、

「日常生活活動」

「仕事・生産的活動」

「遊び・余暇活動」の3つをバランスよく行うため生きている。

🔶考えることが、生きている意味だ。

人間は、

外部から何らか のエネルギーを取り入れ、考えながら活動(行動)し生きている。

 

 

(日めくりより)

今日(3日)の言葉

『知恵と力は重荷にならぬ』  

 👅 

知恵と力はいくら持っていても負担にはならない。 あればあるほどよい。

 👅

あればあるほどよいのでできるだけ身につけるべきだということ。

先日、

早朝散歩で

中区伏見交差点、及び近辺でデジカメ。

 

帰宅後、

中区伏見の沿革・町名の由来等につて調べました。

伏見とは、中区錦にある一地域である。

元々伏見町と呼ばれていたが、現在の行政地名には残っていない。

 

中区伏見町について

↓碁盤割図一部スキャンより

 

伏見町は、

名古屋市の地名で消滅済。

現在の丸の内一・二丁目および錦一・二丁目の各一部に相当する。

(沿革)

中区伏見町、

1966年(昭和41年)3月30日 - 住居表示の実施に伴い、

          1~4丁目が丸の内一丁目・丸の内二丁目、

          4・5丁目が錦一丁目・錦二丁目にそれぞれ編入され消滅

(町名の由来)

↓ネットより

・名古屋の伏見は京都の地名が由来となっていて、

 山城国伏見(京都市)の人、「伏見屋六兵衛」が居住したことからこの町名が生じた。

・慶長年間において山城国伏見に住んでいた伏見屋六兵衛なる人物が当地に移り住んだ

 ことに由来する。

文献より

(付記-1)

(付記-2)

 市電は、

1898年(明治31年)に名古屋電気鉄道によって日本で2番目の電気鉄道として開業され、

1974年(昭和49年)3月31日に全廃された。

 

 

 

先日、

守山区大森大森5-1916にあります

斎穂社・千手観音

を訪ねデジカメきました。

の場所…大森新田集会所

 

斎穂社について

↓ネットより引用

創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 大年神(おおとしのかみ)
御年神(みとしのかみ)
御食津神(みけつのかみ)
事代主神(ことしろぬしのかみ/恵比寿)
大宮賣神(おおみやのめのかみ/大黒天)
その他    八剣神社(大森) 境外末社

明治11年(1878年)に、内務省から令達が来て大森村、八劔神社の末社となった。

 

↓守山区史跡散策路よりスキャン

 

↓手持ち資料をスキャン

 

↓石碑より

 

デジカメ

↓祭神

  

☟手持ち資料よりスキャン

↓境内にて

 

(付記)

守山区大森:地名の由来

 

(日めくりより)

今日(2日)の言葉

『水は方円の器に随う(みずはほうえんのうつわにしたがう)』  

 👅 👅

水は容器の形によって、どんな形にでも順応することをいう。

人も交友関係や環境によって、善にも悪にも染まりやすいことにたとえる。

 

 

 

 

 

先日(4月23日)に、

鯱城某クラブOB会の行事、

バス日帰り旅行:鳳来寺・長篠設楽原PA見学に参加…№2

↓標札

鳳来寺山

↓鏡岩 ・東照宮本堂

鳳来寺山の顔となる高さ70m、幅は250mにもなる立派な岸壁。

 

↓駐車場から鳳来寺に向かう参加者の皆さん

↓途中の売店の看板…当日はお休みでした

↓五郎塚からの眺望

深い谷あいにある静かな門前町。

※鳳来寺山登山口の門谷の集落を望む

↓宿坊…荒れ果てていました

↓鳳来寺に向かう途中あり。

↓鳳来寺に到着

 

↓鳳来寺の本堂

薬師如来を祀る真言宗五智教団の本山で、昭和49年に再建される。

☟鳳来寺さんの内部を拝観

    

↓田楽堂(山頭火句扁額)…本堂の前に建つ:休憩舎の中にあり

☟休憩舎の中にあり

                

↓階段で登り到着地点

↓奥之院か…分かりません??

 

 

 

私「洋ちゃん」3月に名古屋高年大学鯱城学園を卒業すると共に、

所属していました某クラブのOB会に入会しました。

 

先日(4月23日)に、

某クラブOB会の行事、

バス日帰り旅行:鳳来寺・長篠設楽原PA見学に参加…№1

 

同期の学友も12名、参加。

何故か、久しぶりに会った感がしホットした気持ちが湧く…‼

 

最初の休憩値は、

新東名高速道路、長篠設楽原パーキングエリアで、

武田軍と織田・徳川軍が激突した「長篠設楽原の戦い」が、エリアのコンセプトになっている。

 

「上り」

🔶上りPAは武田軍の本陣に見立てた建物外観

※武田 勝頼 は…戦国時代から安土桃山時代にかけての甲斐国の戦国武将・大名。

(注)

は「家紋 武田勝頼 割菱/武田菱」

↓標札をデジカメ

👇拡大

★「長篠の戦い」について

武田軍と織田・徳川軍が激突。

その戦場となったこの長篠・設楽原一帯。

天正3年5月21日、三河国長篠城をめぐって、

織田信長・徳川家康連合軍3万8000と武田勝頼軍1万5000との間で行われた戦い。

長篠設楽(ヶ)原の戦いとも呼ばれる。

織田軍が新戦法・鉄砲三段撃ちを行った話で有名。

 👅へ

武田軍の敗色は明らかとなってきて、力尽きた➡勝頼はわずかな兵に守られて退却。

(付記)

……・…・・………………・…………・…・・………………・……

「下り」

↓織田信長の家紋…「木瓜紋(もっこうもん)」

PA周辺は長篠設楽原の戦いが起きた場所で、

下りPAからは隣接する織田信長本陣跡に徒歩で向かう。

※天正3年(1575)5月、

 織田信長は設楽原の決戦に備え、ここ茶臼山に本陣を移し指揮を執る。

↓歌碑

↓歌碑から、長篠設楽原PAを見下ろす

 

 

我が家の、

庭で

「シラン」

「ドイツすずらん」

「都忘れ」

が綺麗に咲いています。

 

早朝散歩から帰宅後、デジカメ

シラン(紫蘭)…ラン科シラン属の宿根草。

 下は反対側から写す。

ドイツすずらん…日本すずらんに比べ、花が大きく芳香が強いのが特徴。

都忘れ…キク科の日本独自の宿根性の植物。

 

(日めくりより)

今日(1日)の言葉

『一念、天に通ず』 

 👅

物事を成し遂げようとする強い意志をもてば、その真心が天に通じて、

どんなことでもやりおおせるというたとえ。

 👅

物事を成し遂げようと一心になれば、それが天に通じて、必ず成功する。

先日、

早朝散歩で、

ドームに向かう通路(東図書館の西側辺りにあり)に、

野球クイズの標板が設置されていました…挑戦

 

一問一答してきましたが、

🔶私が分からなかった標札をデジカメ。

  帰宅後調べる。

答え…完投

(付記)

パーフェクトゲーム「perfect game」…完全試合
コンプリートゲーム「complete game」…完投
シャットアウト「shutout」…完封

 

答え…速球

(付記)

速球は、野球の投手が投げる球種のうちで球速が速いものを指す。

英語ではファストボール (fast ball)と呼ばれる。

 

答え…チャンスに強い打者

(付記)

クラッチヒッターとは、

「clutch」とは、「掴み取る」という意。

そこから転じて、

チャンスやプレッシャーのかかる場面でヒットを良く打つバッターのことを言い、

個人の成績だと得点圏打率が高かったり勝利打点を多く稼いでいたりする。

 

 

2016年4月30日は、愛犬ナナの命日。

まもなく、旅立って8年経過。

(付記)

2000年(平成12年)11月に名古屋市動物愛護センターから我が家に来て、

15年6ケ月の間、共に生活しました。

 

時の過ぎる早さを実感。

可愛かった…!!

早朝散歩の途中、犬連れの人に会うたびナナとの思い出が浮かんできます。

↓2015年9月30日撮影…死去・二ヶ月程前の写真

 

 

定年退職してから12年間、朝・夕の愛犬ナナとの散歩は私の日課でした。

ナナを通じて近所の皆さんとの交流も広がりました。

健康維持の手助けになりました。

ナナ、ありがとう‼

ブログしながらナナを偲んでいます。

…………………… …………………… …………………… 

先日、

ナナを偲びながら、

犬との「触れ合い」を楽しみたいと思い

名古屋市動物愛護センターを訪ねましたが、

 

愛犬ナナを譲り受けた頃とは異なり、

『猫』のみの「触れ合い」の場になったようです???

…少し残念でした。

 

帰りは、

動物愛護センターの脇にあります

「猫が洞池」

「平和公園散歩コース」を巡りながら

愛犬ナナとの出会いをシンミリ思い出しながら散策。

 

…………………… …………………… ……………………

(特記)

愛犬ナナとの想いで

右端にあります「テ―マ」欄の 愛犬ナナ ( 127 )

には生前のナナとの思い出等を書きました。

こちらも併せて是非ご覧ください。

 

(日めくりより)

今日(30日)の言葉

『読書百遍、義、自ずから見る』 

 

 👅

難しい書物も、辛抱して何度も繰り返して読んでいると、おのずと理解できるようになる。

どんな難解な書物でも、何十回となくくり返し読むことにより、自然に意味が通じるようになることをいう。

 👅

難しい書物であっても、何度も繰り返して読めば、その意味は自然にわかってくるものである、

だから、わからないと思ってすぐに諦めるのではなく何度も読むべきである。