地震で損壊した月寒小学校の旧正門のその後についてご報告いたします。


先の決算特別委員会・教育委員会の審査日にこの件に関して質疑に立ち

施設課長には「直ちに撤去はしない。安全性を確保しながら今後を検討する」旨の答弁を取り付けました。

 10月16日第一部決算特別委員会「教育委員会」



そして昨日、

博物館『網走監獄』館長、

NPO法人『れきけん(歴史的地域資産研究機構)』代表理事の角(かど)幸博 北大名誉教授と

レンガ職人の吉田さんが、

月寒小学校に来てくださいました。

吉田さんは職人気質(かたぎ)と言う言葉がぴったりの飾らない、偉ぶらない、でもトーゼンにしてレンガに関しては強い拘りと知識量半端ない!といった感じの方。

『北海道建築ヘリテージサロン建築技能継承集団』北海道ヘリテージマネージャー吉田健司というお名刺もいただきました。素晴らしい

まずは校長室で概要説明。



破損した一部を教頭先生が、保管してくださっていてお二方にお見せすると、早速手に取られて
専門家とその道数十年の職人さんの流石の奥深い知識と高い経験値による分析で大正時代に作られたレンガの鑑定が始まりました。
素材となる地質、焼き方、色具合、門柱の目地・工法等々、失礼な言い方かもしれませんが、レンガ談義に花が咲きまくりという感じでした。



 大正14年、当時月寒にあった大久保レンガ工場で焼かれたレンガを前に、吉田さんは職人魂に火がついたのではと思います。
よくぞ残っていてくれた。校舎改築の時に工事の邪魔になるからと普通は壊してしまうはず、それを…」と遠い昔に思いを馳せているのか愛おしそうに見つめていらっしゃいました。



さて、現地(現物)の確認で

久しぶりに晴れて気持ちの良い外へ出ました。


ひび割れ壊れてしまった門柱の上の部分は
地面に降ろされ、ブルーシートに覆われていました。






何とか原型をとどめているもう片方の門柱についても、この後冬になり門柱の中の水分が凍った時に壊れる心配があるとのことで養生の仕方をアドバイスしてくださいました。
写真左から煉瓦職人の吉田さん、小川教頭、小野寺校長、角教授、小竹です。
必ずや、直そう!とその決意を持ち
ビフォーアフターの写真をと思い
記念写真?を撮りました!


立ち会ってくださった角先生も私と同様、月寒小学校の卒業生で現在も月寒在住。

私は全くの素人なのでよくわかりませんが、この門柱を修復、保存していくことが簡単なことではないことだけはよくわかりました。
ただ小野寺校長先生と

「人生の中でこんなにレンガを見つめたのは初めてですよね〜」と笑いながらも、私はレンガたちから「どうか直してくれ」とお願いされているような気がしてなりませんでした。


大正時代からのものを当時のままに
できるものなら復元し保存したい。
子どもたちにこの地域の歴史と文化を
引き継いでほしい。
昭和47年、校舎を改築するときになぜあの門を残したのか、壊さなかったのか、
そして時を経た今、
札幌市内でも旧校舎時代の門が残っているのは、
大通高校と月寒小学校しかないとのことです。
「何か」を私たちに伝えようとしているとしか思えない…と言うと大袈裟なのでしょうか。

この後、見積りをいただきましたら、

また報告いたします。


🔻 追 記 🔻

私のfacebookに旧門のことを投稿しました。

すると井筒 月寒高校同窓会会長から

「 角君が腰を上げてくれたとは、嬉しいですね。月小の同級生です。応援せずにはいられませんね。」

このようなコメントをいただきました。
「…角くん!」

井筒会長と角教授は同級生だったのですね!

月寒高校同窓会役員をしている私にとっては

またもびっくりの繋がりで驚くしかないという感じです(≧∀≦)