2001年12月11日W★ING後楽園ホール | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

4月22日ディファ有明大会のリバイバルにより再船出をしたW★ING。

8月6日後楽園ホール

10月21日ディファ有明

と目に見える下降線を辿っていきます。

10月より茨城さんが関わり始めます。

IWAは4月の大会より選手及びリング貸し出しをしていましたので淳一レフェリーもリングスタッフとして会場にいました。

開場後の写真ではありません。
試合中の写真です。
444人主催者発表ですが、どうみても200人弱。

メインイベント
ウイング・スーパー・エクストリーム・バンクハウス・エニウェアフォール・タッグデスマッチ

アイスバーグ・スリム
キム・ドク

vs

本間朋晃
ミスター・ポーゴ


全日本プロレスに参戦し始めた本間朋晃選手が久しぶりにデスマッチのリングへ。

交通事故の後遺症が残るポーゴ選手はキム・ドク選手のチェーン絞首刑によりKO負け。

12月16日WWS越谷・桂スタジオ大会でポーゴ選手がキム・ドク選手に敗れるようならば引退すると宣言。

後でこの発言を聞いて驚きとともに緊張したのを覚えています。

越谷・桂スタジオ大会ポーゴvsドクの試合は淳一レフェリーが裁く予定でした。

『とんでもない試合のオファーをうけちゃったよ~(汗)』
↑淳一心の声です。

試合後にはインディーマニアの皆さんには有名な事件が起こります。

もともと、今大会の後楽園ホールは、CMLLジャパンのマッチョ・パンプ氏が年間を通して予約していたもの。

4月の大成功をおさめたW★INGディファ有明大会を主催したプロモーターに譲渡。

どこでどうなったのか主催者は茨城清志氏に代わっていました。
しかし、今大会の会場使用者はマッチョ・パンプ氏のまま。

この事実を伝え聞いたマッチョ氏は後楽園ホールに出向き、茨城さんと後楽園ホール支配人と小部屋に入り話し合いをします。

客入りも疎らで、現金を持ち合わせていない茨城氏は後楽園ホールと念書を交わして一応の決着が着きました。

リング撤収も終わり、大会に出場した選手は、ロビーに集まり茨城さんとの話し合いを待ちます。

写真が小さいので拡大します。
右)本間朋晃選手
左)YOSHIYA選手

中央の帽子を被っているのが淳一です。

「帰ったら負けだよ!!」

と励ましながら茨城さんを待っていると、
ミスター・ポーゴ選手が涼しい顔で帰っていきます。

後から聞いた話ですが、ポーゴ選手は、ジェイソン・ザ・テリブル選手&アイスバーグ・スリム選手を12月16日自身のWWS越谷大会にバーターで貸し借りをしていた関係で茨城さんとの間にギャラのやり取りはございませんでした。

ポーゴ選手は茨城さんとの長い付き合いでしたので、今回のような結末は感づいていたのかも知れません。


ようやく姿を現したのは22時30分過ぎ、場所を駐車場に移して押し問答。

右端はキム・ドク選手です。

キム・ドク選手に睨まれたら、淳一ならば小便チビってしまいます(笑)

最後は後日、振り込みを約束して各々銀行口座を記入して解散。

淳一も終電を気にして帰ります。

しかし、IWAの営業Oさんだけは、それでも引き下がらずに、外国人選手と茨城さんが宿泊するホテルまで出向き、少しでも回収しようとしますが無いものは支払えないと一点張り。

リング代の支払いが完済したのは、年が明けてから。

ちなみに茨城さんの宿泊していたホテル名は、
「WING」でした(笑)

W★INGは事実上解散します。