嘘もつき続ければ真になるのか… ~渓流詩人さんのブログから~ | 平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba

嘘もつき続ければ真になるのか… ~渓流詩人さんのブログから~

裏柳生

http://blog.goo.ne.jp/kelu-cafe/e/85de52d3ff1c62961ef9ad28f8e81dc8

渓流詩人さんのブログにとんでもない記事の紹介がありました。

 

嘘もつき続ければ真になる

 

とは言いますが、ここまでくると手のつけようがないですね…

 

 

 

以下渓流詩人さんのブログ記事を転載

-----------------------------------

すげ~。
ついに「我々こそが裏柳生(みたいなもの)」と言い切ってる(≧∇≦)

→ こちら


いやなにね、裏は取ってないんですけどね、今までのどんどん改変
創作話を造り上げて行ってる傾向性から類推するとですね、この時
のこの出来事は実はその人たちだったのではないかと思ったりも
するわけですよ。

こちら → (体験談) 「飛天御剣流とイカサマ試斬」

まあ、どうでもいいけど、おいらのとこ含めて、あちこちから画像や技法
や所作や作法をパクって、大昔から当流には伝わっていた、みたいな
ことはみっともないからやめといたほうがいいと思う。いや、まじで。

しかし、すげ~な~。裏柳生だって、裏柳生(^^;
そのうち、里見八犬伝とか魔界転生とかのネタも出てきそうだな~。
いや、あずみは実在したのですよ、当流に、とか来そうな予感!
でも、上掲の「飛天御剣流」体験談の時と全く同じパターンだよね。
マンガとかに出てきたキャラを「実はあれは当流のことなんですよ」
と言うパターン。
同一人物なんじゃないの?

アラレちゃんやセンベエさんはいないのかな?

いや、それにしても、ここまでくると、凄過ぎて、嘘も100回言えば本当に
なる、というやつを地で行くようで、怖いわぁ・・・。
「シャレにならない本物の抜き差しならぬ状況」とかとは無縁に生きて
いらした方(たち)なのだろうなぁ・・・。
つい最近も、医者でもないのに「千葉大医学部卒業、精神科医として働く」
なんて大嘘ぶっくらこいてる自称武術家もいたしなぁ・・・。こちらは本当の
来歴すべて個人的に知っているから「いいかげんによせよ」と思うけどさぁ。

ちょっと真面目な話をすると、最近刀剣仲間と本物の「河原巻物」としての
いわゆるエタが下級官吏として罪人捕縛と為政者たる武士の手先として
農村治安維持のために練磨した武術の相伝書の原本を目の前にして研究
検証したのだけど、当然にして武家に伝わった武術と、いわゆるエタ・非人
に伝承された武術とは別流儀として継承されてきたのが日本の歴史だ。(いわ
ゆるエタは大刀は帯刀禁止なので、農民取り締まりの警備出動の際も下級
官吏として特に脇差主体の小太刀剣法を駆使した)
広島藩の記録にも、一揆鎮圧に出動した50名の革田(広島藩でのエタの
呼称)部隊が、5000名の武装蜂起農民に包囲されたが、脇差を駆使して
切りぬけて生還したという記録がある。
河原巻物は、自分たちの先祖の由緒について時代を創作しても権威づけ
ようと平家や源氏に結びつけたりするいわゆる創作由緒書きであるケースが
多いのだが、残念ながら、その検証した武術相伝書も、多岐にわたる業名と
最後の伝承者の名前と年紀は別の者による筆とみられた。また、年号はあり
得ない年号と干支が記されていたし、住所の記載方式も整合性が無いもの
だった。(この新たに発見した原本は広島県もしくは大学研究機関等に贈与
するか否か検討中)
かといって偽書とは断定できず、流派の業名と発行者までは正真と見受け
られた。これを伝承保持していた家庭には、多くの捕り物武具が残されて
いた。また、旧居住地域は、いわゆる広島藩のエタ系武術が伝承された地域
である。(広島では「穢多」という呼称は使用せず「革田」と称した)
この巻物は、実在した革田武術の流派名の正真相伝書に後世に誰かが
誰かの名を追記したものと見受けられた。

あくまで武家の藩伝であると主張する流儀が、後にエタ頭浅草弾左衛門
支配下にあったエタと並ぶ賎民階級の香具師によって相伝されて継承
されたと何故主張するのか、その根拠の歴史科学的な裏付けを私は知り
たい。香具師とは主として縁日などで見世物興業をしたり芸事を売る賎民
を取り仕切ったりしていた階級&職種で、エタ頭弾左衛門支配下にあった。
(ちなみに乞胸-ごうむね-は平民階級だがやはり弾左衛門支配下に置か
れた)
それが大道芸としての見世物ではなく、武家藩伝の武術流儀本伝が香具師
に相伝されたというのは、古今東西類例がないので詳しく知りたい。
日本の歴史解明のためにも、その伝承経緯の詳細を明らかにして公開して
ほしいと願う。
これは、それの詳細が明らかになることによって、日本の歴史の新たな
一側面が開かれることは確かだからだ。学術的にも社会史的に非常に
意義がある。部落解放史の研究のためにも意味がある。
大学の研究機関等に情報なり史料なりを提供したら、日本のためになる。
ぜひにお願いしたい。