『漁港の肉子ちゃん』明石家さんま、逆鱗に触れて炎上「これ以上ないほどの呪いの言葉」
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アニメーション映画『漁港の肉子ちゃん』が、「#みんな望まれて生まれてきたんやで」というハッシュタグを発信。映画を観賞した人々にツイッター上で拡散させようとしているが、「キレイゴト」だと批判が相次ぎ、炎上してしまったようだ。最近のドラマや映画ではよくあるSNS戦略で、キャンペーンの内容自体は問題ないのだが、「#みんな望まれて生まれてきたんやで」というハッシュタグは無難ではなかった模様。SNS上では、

《毒親の元で生まれ育った人間にとっては、これ以上ないほどの呪いの言葉》
《これを公式のハッシュタグとして使うのは悪手でしょ》
《本編もそんな綺麗事を伝えるような映画じゃなかった気が…》

また実際に「#みんな望まれて生まれてきたんやで」で投稿されているツイートを見てみると、映画の感想はほとんど呟かれていないのが現状。代わりにハッシュタグへの批判や、

《私は実の母親に「自殺しろ」って言われて育った》
《毒親持ちの自分にはキツすぎる》

といった毒親エピソードが投稿されていたとまいじつは報じた。






ふむ…どうやらPR用に作られた内容が毒親育ちには気に入らないとの事だが、まぁ、まいじつの時点で色々察するべき内容だろう。

この燃やした輩の内何割がガチなのかは分からないが、ひとまず感情に煽られて燃やした一般人向けには書いておこう。



いつまでそんな影に引きずられるつもりなんだ?

そんな下らない事は言わない。

残念ながら、背負った過去は変えようがない事実であり、そいつは自分の生存経験として歪んだ形でその魂に至るまでしっかり染み付いている事だろう。

これは残念ながら私とて例外ではない。

ただし、癖は残ったとしてもその元凶に関わらないで済ませる事は決して不可能ではない。

血縁の有無に関わらず、人間関係の最小単位は家族だ。

冷たい言い方になるが、家族ですら人間関係という根底が存在し、人間関係である以上、それは誰の所有物でもなく、また誰かの支配の及ぶ物でもない。

血の繋がりがあるが故の嫌悪感があるのは理解できる。

しかし、それは自分のすべてと呼べるだろうか。

私の歩んできたすべてはあの猛毒なマジキチに振り回されてきただけではない。

一般家庭の中で育ってきた彼らよりも数多くの間違いや罪を重ねてきたが、それでも私は私の意思で他者と関わりを持ち、その下らない軋轢に辟易しながらも、私という存在を意思し続けてきたという自負がある。

振り回されてきた故の苛立ち、その感情の源泉は自分にあるのではないのか、そしてその自分という源泉から生まれでた感情がある故に、自分という存在は、目立たないハンデを背負いながらも「生きる」事を選択しているのではないのか。

だとすれば、何故気落ちするのか…それは結局あの毒親は、世間から全くかけ離れた存在であり、それは自分からエネルギーを搾取するだけの敵に過ぎないのではないか。

自分が「生きる」という選択をしているが故に、「生きる」選択をした自分の意思というエネルギーを毒親が奪うとするなら、それは人間関係上に、あるいは自分の人生に必要だと言えるだろうか。



答えは聞くまでもないだろう。

私は、高校時代には、自分の親には金銭的な利用価値以外全く見出だしていなかった。

私という存在を練り上げたのは、私自身の意思と、未完成な私に多くをもたらした他者だ。

強いて言うなら、私にとって家族と呼べるのは、尊敬すべき大学時代の先輩や友人だったのだ。

そういう意味では私はまだ運が良かった方だろう。

兄の様に尊敬する人物を知れたのだ。



私の興味は、エネルギーを搾取する側に全くない。

私の興味は常に、人間の意思とエネルギーその物だった。

人間の可能性を見たいのだ。

だからこそ、私は他者の人生の記憶を収集する事も趣味にある。

毒親など某総帥みたいな言い方で言うなら、「敢えて言おう、カスであると!」という物だ。

他者には楽しさがある。知識が得られる。張り合いが存在する。

毒親にはそのいずれも存在しないのだ。



そして、私には時間という概念がある。

時間はすべての生物に唯一平等に存在するファクターだ。

そして、この時間を何に使うのか。
これは誰にも介入出来ない自由だ。

例えば、明日の夕方以降、完全にやる事がない時間があるとしよう。

その時間は何をして過ごすのか、好きに決めて構わないのだ。

夕食がまだなら、自ら腕を振るうもいい。外食しても構わない。夕食後に映画を見ても構わない。恋人がいるなら、デートだって誘うもいいだろう。まだいないなら、これから口説いたって構わないのだ。

選択肢を考えてみよう。

明日の夕方以降、猛毒なマジキチに時間を割くか?

あるいは、誰かを口説いたり、あるいは友人と仕事の将来性について、あるいは政治的な裏話で熱く語り合うか?

どちらが、自分にとって有意義な時間になるか。

まぁ、もちろん後者だ。

少なくとも私は迷う理由などない。

人生における時間は有限だ。

理想としては一秒たりとも無駄にしたくない。

だから、私は無駄な消耗をするだけの時間は絶対に避ける様にしている。

時間の無駄、これはある意味宝くじを外す以上の無駄だとすら言える。

何故、下らないマジキチに関わる必要がある?

実にもったいないのだ。

人生は真剣に楽しむ為にある。

限りある時間を真剣に楽しんで何が悪い。

仕事も趣味も恋愛もすべてを真剣に全力で楽しむ、全力で楽しむからこそ人間は素晴らしいのだ。

全力で人生を楽しむのに、マジキチが介入する余地などない。

さぁ全力楽しもうではないか!(暗黒微笑)



さすがに悪ふざけが過ぎたが、それが今の私だ。

今の私にとって、毒親はただ絢爛に被害者を演じて陰口を叩かれながら朽ちていくだけのどうでもいい存在だ。

冷酷に聞こえるだろうが、家族とて人間関係である以上、粗末に扱いエネルギーを搾取するなら相手にする必要はない。

放置安定、はい解散、これはネット上でのマジキチと同じ扱いでいいのだ。










私見




望まれて生まれたかどうかで言うなら、私は望まれて生まれたと言えるだろう。

ただし、母親が実父と共謀して妊娠を捏造し、その辻褄合わせとして生まれたのが私だ。
私は初めから人形としてしか存在を許されなかった。

そんな私が果たしてどのカテゴリーに入るやら判別はつかないが、少なくとも望まれて生まれたかどうかなんて、結局どちらであろうと自分が「生きる」という意思は何も変わらないのだから、それすらどうでもいいのではないかと思う。

お前なんて生まなきゃ良かった。

無論言われた。

親に殺されかけた。

包丁向けられたさ。



だから、何?

私は生きてるし、私は私として真剣に楽しんでる。

私にとっては、今ある人間関係と楽しみがあればいいし、今更虐待の事実なんて掘り返した所で時間の無駄でしかない。

自分の意思で「生きる」事に誰にも口出しさせる気はない。

だから、あのハッシュタグは必要な人だけ使えばいいだろうし、私はそもそも左巻きのオールドメディアのマッチポンプ自体に興味が湧かない。

だから怒りも悲しみもない。

どうせ見ないだろうし、興味がないのだから、すぐに忘れるだろう。

よって意味があるとも思えない。

それだけなのだ。




前線を離れるまで、私は私なりにジェンダーの観点から共産主義者を観測していたが、その過程で私は自分の重大な誤りに気付いた。

彼ら共産主義者は、それこそ私が生まれる前から、かつてはソ連の工作機関として、現在は中国のエージェントとして、オールドメディアに浸透し、情報の配信媒体として情報の出入りを意図的にコントロールし、そして世論の操作を左翼ないし共産主義者と組んでマッチポンプでやってきた可能性が高い。

とすれば、私はある仮説に辿り着く。

現実の数字として現在の未婚率の上昇は単に収入だけの問題だけでなく、援助交際(今だとパパ活かな)の増加時期とリンクしている事から、援助交際の拡散が未婚率に関わっている可能性はないかと考えた。


だが、新型痴漢の辺りから、そうでもないかとも考えている。

今更言うまでもないが、彼ら共産主義者が狙うのは日本人のジェノサイドであり、日本人を心底憎んでいるのは明白だ。

その共産主義者が心底したオールドメディアは新型痴漢という概念を捏造して、左翼フェミニストに拡散させた流れを見ているとどうにもこんな可能性が頭を過るのだ。

果たして、援助交際はオールドメディアが騒ぎ立てる程、当たり前に当時の学生に流行していたかどうか。

少数が存在していた事は間違いないだろう。

だが、連中は本来1%未満を20%以上として切り取り報道するし、そうした手口はすでに知られている。

果たして、大量にいたのかどうか。

実は、日本人をジェノサイドする計画はすでにあの当時から存在していたのではないか。

だとするなら、DEEP LOVEみたいなあの援助交際美化作品を持ち上げたというのもすべてはマッチポンプに過ぎないのではないか。

初代主人公のアユの発想は正にあっち側に近い点からしても、実はあの作品が日本人の物ではない可能性。

そうなると、そもそも援助交際にしろパパ活にしろ、批判に見せかけた手法の拡散含めて、あれらはすべて特定のコード進行に従ってデザインされた物でしかない。

共産主義者によるコード進行でデザインされた世界で、日本人はあの当時から工作の影響を受けていたのではないのか。

数字をいじっていたのは、政党支持率「だけ」だろうか。
それ以外の数字すらいじっていたとしたらどうだろう。



日本人をジェノサイドするのに、ケミカルガスやら弾薬だけを使用するだろうか。

増えなければ自然消滅するのは自明の理だ。

その為に、援助交際も男女共同参画も果ては2008年以降の不倫ブームや毒親までもが、すべて日本人のジェノサイドというコード進行に従ってデザインされた世界だとすれば…

日本人はすでに自滅に向かう様に誘導されて騙されているのかも知れない。

そんな危機感がふと過るのである。



更に追記


やはりと言うか、この騒動に絡めて共産主義者が#自民党を選挙で干そう、などと喚いている輩がいる。

………………この件と一体何の関係があるんだかな。

ちなみにまいじつというのは、週刊実話を作ってる企業が運営してる。

例によって左派系オールドメディアなのだ。

まぁ、恐らく燃やしているのは例によってあっち側だ。

毒親育ちを階級闘争に巻き込みたいようだが、こんな空騒ぎなんてやっていたら、ただでさえ理解されない物が更に理解されなくなる。

幸せに育った人間は罪なのか?

私には、到底そうは思えないのだが。

私は自民党支持者ではないが、反体制をやった所で毒親は減らない事を知っている。

この空騒ぎを演じている輩にこそ毒親がいるのだと知っている。

こんな馬鹿馬鹿しいイデオロギーに絡め取られる事は、自らもまた毒親に身を堕とそうとする愚行でしかない。

何故なら、共産主義者こそが毒親と親和性があり、共産主義者の増加は毒親の増加に直結する。

共産主義者が毒親と全く同じである事実を知りたいなら、現役の共産主義者であるマチコ先生辺りで検索してみるといい。

自分がエネルギーを献上している相手は正しく毒親その物なのである#WalkAway