【安倍政権による多数の横暴は、すでにファシズムの状態にあることについて】

安倍政権の多数の横暴による一部特定利益のための強権政治は、すでに事実上ファシズムの状態にあると言って良いと思います。

与党と野党の対立は、保守と革新との対立あるいは右翼と左翼の対立という次元ではなくなっています。与党と野党の対立は、すでにファシズム勢力と民主主義勢力の対立になっています。この捉え方を誤ると事態の深刻さを見失うことになると思います。

かつて、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、ファシズムを次のように定義しました。

“The first truth is that the liberty of a democracy is not safe if the people tolerate the growth of private power to a point where it becomes stronger than their democratic state itself. That, in its essence, is fascism – ownership of government by an individual, by a group, or by any other controlling private power. ”
(もし人々が、私的所有に基づく経済力が民主主義国家よりも強力となることを許容すると、民主主義は危機に陥る。それは、本質的にファシズムである。個人、グループ、その他の私的力が、政府を私物化することになるからである。)

現在の安倍政権で起こっていることは、まさにこの特定利益による政府の「私物化」です。

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森友学園問題や加計学園問題では、行政が歪められ、政権中枢に近い学校法人が優遇されました。政権中枢に近い人物の犯罪のもみ消し疑惑も報道されています。その一方で、内部告発を行った文科省前次官に対しては、個人攻撃・人格攻撃が行われています

NHKや保守派メディアは、政府と一部私企業のコントロール下にあり、政権寄りの情報を流し続けています。

保育所や格差の問題が放置される一方、法務・警察官僚は、共謀罪法の成立に躍起になっています。

ちなみに、国会やメディアでは、共謀罪法が一般人に適用されるのか否かが議論されていましたが、全く本末転倒の議論だと思います。なぜなら、共謀罪法の目的は、まさに「一般人の監視」そのものだからです。監視の対象も、内容も無限定です。裁判所によるチェックも入りません。

アメリカのNSAによる情報収集は、メールや電話のやり取りの際のアドレスのみに限られ、内容についての情報収集は行われませんでした。また、情報収集にあたっては、特別な裁判所の許可が必要とされました。日本の共謀罪法には、これらの限定が存在しません。

共謀罪法は、政府に批判的な国民を摘発し、処罰するために使われるでしょう。間も無く、日本で大規模なテロ事件が発生した際、政府に批判的な多くの個人や団体が監視され、摘発、処罰されることになるでしょう。さらに、やがて、政府に批判的でない一般人も、監視、摘発、処罰されることになるでしょう。広く国民全体に恐怖を植え付け、萎縮させ、従順化させるためです。ファシズム国家は警察国家であり、ファシズムの政治は、恐怖政治です。

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しかしながら、これだけの横暴を目の当たりにしても、日本では、国民の間から澎湃として怒りの声や政府批判の声が湧き起こってきません。加計学園の新聞記事の読者コメント欄を見ると、選挙に勝った政治家が支援者に便宜を与えるのは当然だという意見さえあります。また、日本ペンクラブの浅田次郎会長は、共謀罪法に関し、「数の力で何でもできるというのが議会制度」と発言しています。それが、日本人の一般的な見方なのかも知れません。

であるとすれば、これは、日本において、民主主義の基本中の基本の理解さえ存在しないということを表していると思います。日本においては、民主主義が全く理解されていないということだと思います。

民主主義は、戦国時代の勝った負けたの争いとは違います。民主主義が目的とするのは、「国民の一般福利」です。特定利益ではありません。選挙に勝ったのだから、多数者とその支援者だけが便宜を受けて当然だという発想は大きく間違っています。この点をほとんどの日本人が理解していません。

民主主義を支えるふたつの大きな柱は、「多数決の原則」と「少数者の権利の保護」です。民主主義は、多数決だけではありません。選挙で勝ったのだから、多数者は何をしても良いというのは間違っています。それは、多数の横暴です。それは、特定利益の追求と政府の私物化であり、ファシズムにつながります。

民主主義においては、多数の利益・意思は尊重されますが、同時に少数者の権利・利益の保護も追求されます。すなわち、少数者の表現の自由や思想・良心の自由などが保護されるのはもちろん、政策・法案の実現や予算の決定に際しても、少数者の利益が考慮され、多数者の利益との間で「妥協」が形成され、最終的な政策・法案が実現し、予算が決定されます。それが、「国民の一般福利」の実現の意味です。それが、民主主義です。

安倍政権においては、多数者の利益のみが強権的に実現され、少数者の権利・利益の保護が行われていません。のみならず、政権への批判を行う者に対し、弾圧が行われています。したがって、これは、すでに民主主義ではなく、ファシズムです。

さらに、本来、少数者の権利・利益の保護を担うべき、司法も、その機能を果たしていません。たとえば、原発の安全基準が不十分だとして、原発の再稼働差し止めを命じた地方裁判所裁判官の方が家裁に飛ばされ、原発再稼働を容認する裁判官が任命されました。司法官僚が、政権におもねっています。司法の独立が存在しません。

少数者の権利・利益の保護のない民主主義は、持続しません。社会の騒乱・崩壊を招くか、戦争に突き進むことになります。日本の場合、オフショア・バランシングを進めるアメリカの戦略や日本の置かれた安全保障環境を見ると、後者の可能性が高いと思います。

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いずれにせよ、日本人の間に民主主義の基本中の基本の理解さえ存在しないとすれば、それが日本人の現状であるとすれば、日本人だけでファシズムの進行を跳ね返すことは難しいかも知れません。日本には、自由や民主主義のために、命をかけるという人はほとんどいません。

そのため、国内の民主主義勢力だけでなく、国連の人権理事会を始めとする国際機関や国際NGOの力を借り、国際的な連携を通じて、国内のファシズム勢力を駆逐する必要があると思います。

たとえば、イタリアでは、第2次大戦中、国民が自らの力でムッソリーニ政権を倒し、新しく樹立されたバドリオ政権が連合軍に降伏しました。

ドイツでは、ニュルンベルク裁判のあと、国民がドイツ刑法を適用し、自らの力で戦争犯罪者を裁きました。

アメリカでは、戦間期に、フランクリン・ルーズベルト大統領が、次々と民主主義的な政策を打ち出し、ファシズムの成立を防ぎました。

世界各国には、素晴らしい民主主義の実例があります。同じ人類として、日本人は、彼らの知識と経験に学ぶべきです。

野党は、国際機関や国際NGOと協力し、日本の現在の状態がいかに異常で、非民主主義的であるか、日本国民のみなさんに伝えていく必要があると思います。日本の民主主義勢力は、あらゆるルートを通じ、世界の民主主義勢力と連携して行くべきです。

権利や自由が侵害され、権利や自由を失っても、仕事・収入さえあれば良い、食べるものがあれば良い、という生き方は自分で自分の首を絞めることになります。なぜなら、いったん景気が大きく後退し、あるいは、戦争が始まった場合、自分の生活や生命を守ることさえ出来なくなるからです。

民主主義を漠然と理解しているだけでは、国民の権利と自由の侵害を防ぐことは出来ません。民主主義の諸原則を理解していないと、国民の権利と自由が侵害されたことにさえ気付きません。

一部の政治家や有識者、オピニオン・リーダーだけでなく、国民の一人一人が、民主主義の諸原則を十分に理解してこそ、不正と多数の横暴とファシズムを阻止し、日本に民主主義を定着させることが出来ます。


参照資料:

民主主義の諸原則(英語版・抜粋)

(1) 民主主義の原則: 多数決の原則と少数者の権利の保護

(2) 民主主義の原則: 自由で公正な選挙

(3) 民主主義の原則: 政府の説明責任

(4) 民主主義の原則: 法の支配

(5) 民主主義の原則: 司法の独立

(6) 民主主義の原則: 文民統制

(7) 民主主義の原則: 地方分権

(8) 民主主義の原則: 報道の自由


民主主義の諸原則(日本語版・抜粋) リスト

(1) 民主主義の原則: 多数決の原則と少数者の権利の保護

(2) 民主主義の原則: 政府の説明責任

(3) 民主主義の原則: 法の支配

(4) 民主主義の原則: 司法の独立

(5) 民主主義の原則: 文民統制

(6) 民主主義の原則: 地方分権

(7) 民主主義の原則: 報道の自由