2017年2月2日の大村歴史散策の続き。
「玖島城跡(大村城跡)」の続き。
玖島城跡(大村城跡)(その1)大村公園・本小路・大手入口門跡のレポ。
http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12270044337.html
玖島城跡(大村城跡)(その2)二重馬場・南堀跡・大手口のレポ
http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12270059822.html
玖島城跡(大村城跡)(その3)枡形跡・二の丸跡のレポ
http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12270138896.html
玖島城跡(大村城跡)(その4)浜田謹吾像・空堀跡・虎口門のレポ
http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12271364504.html
「虎口門」から石段を上り鳥居をくぐると、「本丸跡」に到着。そこは「大村神社」が鎮座されています。
「大村神社」の由緒書き。藩祖遠江守直澄公以来歴代の神霊を奉斎りした神社で、文化2年(1805)大村家第28代(10代藩主)大村上総介純昌公が大村池田山に創建され、「常盤神社」と呼ばれたそうです。
明治になって、ここ「玖島城跡」に遷座されたのですね。
「玖島城 本丸跡」の由緒書きもありました。本丸の西半分・大村神社本殿がある場所には大広間などの侍詰所(政庁)があり、東半分・玖島稲荷神社がある場所には藩主の居館がありました。天守閣はなく、平屋の御殿だったのですね。
由緒書きには、玖島城の配置図も掲示されていました。
「大村神社」の拝殿を横から…。
「大村神社」の本殿。
本殿の横の方には、銅像があります。
銅像を囲む柵には、桜を図案化したマークが…。何のマーク?
銅像に近付いて…。大村純煕公の銅像でした。大村藩第12代藩主で、最後の藩主となった人物です。
大村純煕公の銅像を、アップで。
台座には、大村純煕公の由緒書きがありました。いち早く倒幕を打ち出し、戊辰戦争に参加。賞典禄3万石を賜ったのですね。
大村純煕公銅像の隣には、大村喜前公遺徳碑があって…。大きな石碑には「中祖大村喜前公遺徳碑」と刻まれています。
「中祖大村喜前公遺徳碑」の由緒書き。大村喜前(よしあき)公は、キリシタン大名の大村純忠公の長男で、大村藩初代藩主。中興の祖と崇められているのですね。
「大村神社」の境内、いや本丸跡には石段が巡らされていて…。
その上には土塀があって、狭間がありました。
「その6」に続く。
玖島城跡(大村城跡)
長崎県大村市玖島1-34
http://old.omura.itours.travel/02history/history02_02.html(大村観光ナビHP)
大村神社
長崎県大村市玖島1-34
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