よくぞ勝ってくれた。

昨日の試合、言うことなし。

 

 

 

打つべき人が打ち

エースが抑えきった。

 

 

 

「菅野の完璧すぎる広島斬り」

今朝のスポーツ報知に

菅野について

そう書かせてもらった。

 

 

 

「とりあえず」残り1試合

最終戦は9日の阪神戦

 

 

 

菅野にとって

中4日の登板にはなるが

 

「俺が行く」

 

その気迫だけは

持っていてもらいたい。

 

 

 

さて試合が続く中で

この時期は

辛いニュースが多い。

 

 

 

現役の頃から

俺はこの時期が嫌いだ。

 

 

 

引退やら

契約を結ばないやら

毎年のことだけど

未だ慣れることはない。

 

 

 

西村健太朗に続いて

今度は山口鉄也か…

 

 

 

君もユニフォームを脱ぐと

決めたんだな。

 

 

 

球の力で抑えてきたんだ。

球がいかなくなるのは

自分でよーくわかる。

 

 

 

ダメだと思っても

それでも無理して

投げてきてくれたんだろう。

 

 

 

彼とは一緒に

ユニフォームを着て

戦ったことはないけれど

 

 

 

君のピッチングを

外から見てきた1人として

今日は

3つの「ありがとう」を

言わせてもらいたい。

 

 

 

1つめは

育成選手の希望の星に

なってくれたこと。

 

 

 

彼は横浜商高卒業後

米マイナーリーグで4年間投げ

その後、巨人の入団テストを経て

育成ドラフト枠で入団した

なかなかの苦労人だ。

 

 

 

俺と同郷

山梨県出身の松本哲也

今年に入って

ドミニカトリオが

出てきてくれたけど

 

 

 

育成から支配下登録されて

活躍するのは

そう容易いものではない。

 

 

 

同じ境遇の選手からすれば

 

「山口鉄也さんのようになりたい。」

 

前例があるっておっきいよ。

だってそこには

希望があるじゃない。

 

 

 

そして2つ目は

ピッチャーの分業制を

「リリーフ」というポジションで

確立してくれたこと。

 

 

 

俺らの時代

ピッチャーと言えば

先発完投型が主流の時代

 

 

 

「8時半の男」

宮田征典(ゆきのり)さん

そして長嶋監督時代に

鹿取や角が抑えとして

活躍し始めたけれど

 

 

 

「リリーフ・中継ぎ」と言えば

先発から外れたピッチャー

そういう評価だった。

 

 

 

それが彼の活躍によって

その評価が上げられ

「中継ぎ」といポジションが

確立していったと言っても

過言ではない。

 

 

 

「今日は山口で勝った」

何度そう思ったことか。

中継ぎでの彼の存在は

本当に大きかったよね。

 

 

 

そして最後3つめ

これが一番言いたいこと。

 

 

 

巨人軍のために

たくさん投げてくれて

ありがとう。

 

 

 

彼の場合

「勤続疲労」

これに尽きる。

 

 

 

9年連続60登板

 

 

 

この短い文字の並びが

どれだけ重いことか。

 

 

 

しかも最高で72登板

1シーズン143試合だから

ほぼ半分の試合

登板していたことになる。

 

 

 

それとは別に

登板しなくてもブルペンで

肩をつくっていただけの日も

あっただろう。

 

 

 

先発とは違い

短いイニングでの

集中力と力の入れ具合は

半端ないさ。

 

 

 

この頑張りが

新人王や

最優秀中継ぎ投手などの

タイトルに繋がってくれて

本当に良かった。

 

 

 

山口、よく投げてくれたね。

君の功績は忘れないよ。

 

 

 

13年間おつかれさまでした。