今日はちょっと一息入れて

野球をするのに

欠かせない相棒の1つ

グラブとの想い出話でもしようかな。

 

俺が初めて

親に買ってもらったグラブは

小学校4年生の時、

野球がやりたいからって

お願いしたんだ。

 

その当時のグラブはね、

親指と手のひらのボールを

受けるところだけが革で

後は布で出来たものだったね。

嬉しかったよ、

今でもはっきり覚えてる。

 

中学にあがって

新しく買ってもらったのは

全部が革で出来ててさ、

今はポジション別にグラブの型が

違うのが当たり前だけど

当時はどこ守るにしても

同じ型だったよね。

俺、ショートとピッチャーやったけど

そのグラブでやり通したもんな。

 

高校にあがって

更に良いものを1個

買い換えてもらったよ。

革にもピンからキリまであるじゃんか。

当時は親が経営する絹糸工場が

儲かってたからね。

良いの買ってもらった記憶がある。

まぁその後、その工場が借金で

大変なことになるんだけど

それはまた別の機会に話すとして(笑)

 

 

その後、高校から巨人に入団すると

球団から年間に2個だったかな、

グラブが支給されるんだよね。

いくつかのメーカーから

自分が気に入ったのを選んでいいんだ。

それで、これ頂きました、ってサインすると

球団が支払ってくれるシステム。

 

 

グラブは大事な相棒だからさ、

プロになり試合で投げて

どんなに疲れて帰ってきても

その日のうちに必ず自分で磨いたよ。

そして最後に油を塗って陰干しするんだ。

 

 

当時の日本のグラブは

まだ技術がなくてさ、

革をもたせるために

表面に油を塗ってやらないと

ダメなんだけど

同じころ、アメリカのグラブは

使えば使うほど芯の中から

油がわいて出てくるんだよ!

今はそれが当たり前だけど

俺がプロに入った年には

まだなかったんだ。

 

 

それでね、入団2年目

多摩川キャンプで腰を痛めちゃって、

その後のアメリカキャンプに

参加できなくなったんだけど、

どうしても

そのアメリカのグラブが欲しくてさ、

一三さんに「買ってきて!」

ってお願いしたんだ。

 

一三さん、

俺が欲しかった希望通りのグラブ

本当に買ってきてくれてさ、

もうドンピシャよ。

 

 

その年はそのグラブを使ったんだけど

シーズンが終わった後

ミズノさんから声かけてもらって

栄えある第1号のスポンサー契約者となり

道具をいただけることになったんだ。

 

 

そのミズノのグラブ職人に

当時、

坪田さんっていう名人がいらっしゃってね、

俺が使ったアメリカ製のグラブを

「分解させてくれ!

どうして芯から油が出てくるのか

調べてみたい!」

というお話があって

お譲りしたんだよね。

 

それで見事に坪田さんが、

アメリカ式のグラブづくりに成功して

現在に至る、というわけ。

 

 

 

キャンプが始まると

ミズノさんが

10個くらいグラブを持ってきてくれて

そのうち3個選ぶんだ。

俺がお願いした型でも

職人さんによって出来上がりが

微妙に違うんだよね。

 

俺のグラブは通常よりも重いんだ。

ピッチャーライナーを取るために

芯が重くてしっかりしたものをお願いしてた。

 

その3個をキャンプから

とっかえひっかえ使用して

手になじむようにするんだけど

シーズン中に使うのは

結局1つだね。

 

それで1つのグローブを

ダメになるまで使い続ける。

残りの2つは予備。

交代するタイミングは

そのうち芯がなくなってきて

ライナーをとっても

ボールがはじかれちゃうんだ。

 

それでさ、これ不思議なんだけど

交代するちょうど2ヶ月前くらいが

一番ちょうどいいんだよね。

フィット感抜群なの。

 

 

そして

お役御免になった

歴代のグラブたちは

記念で差し上げるか

家に大事にとってあるよ。

 

 

野球経験者の人は

みんなグラブを

どうしてる?

 

 

今晩は

久しぶりに

現役時代のグラブを出して

手にしてみるかなぁ。

 

これは坪田さんが、

グラブ造りを引退される前に

最後の記念にと俺に造ってくださったもの。

今はこれを野球教室などで

大事に使わせてもらってます!

坪田さん!ありがとう!