埼玉県入間市の市立扇小学校で、6年生の担任教諭(59)が「キス」「ハグ」「ハナクソ」などと記入したサイコロを「セクハラサイコロ」と命名して児童に振らせていた問題は、10月末の発覚から新聞各紙やテレビで大きく報道され、ワイドショーのコメンテーターたちも一様にまゆをひそめた。確かにサラリーマンなら“クビ”にさえなりかねないほどの大問題だが、実はこの教諭、こうした行為にもかかわらず、「金八先生」並みに児童や保護者の信頼が厚いのだ。教諭の復帰を祈って、児童らは千羽鶴を折り、保護者らは署名活動を行い、卒業生らはネットで教諭の「真の姿」を訴えている。(安岡一成)

■仰天の「セクハラサイコロ」

 10月26日昼、テレビが報じたニュースはあまりに衝撃的だった。小学校教諭が「キス」「ハグ」などと書き込んだ手製のサイコロを「セクハラサイコロ」と名付け、忘れ物をしたり、騒いだりした児童に対し、このサイコロを振らせて出た目に書かれていることを実行させていたというのだ。

 サイコロは男子用が1種類、女子用が2種類。男子用は「キス」「ハナクソ」「くつのにおい」「ハゲうつし」「顔ケツタッチ」「許す、よかったね」。女子用の一つは「恋人指切り」「ハグ」「肩組み」「頭なでなで」「ツバほっぺ」「許す、よかったね」、もう一つが「ハナクソ」「許す」(他の5面)だった。

 サイコロは以前勤務していた学校で作成したという。初めは男子用しかなかったが、児童たちと一緒にアイデアを出しながら女子用も作ったらしい。

 盗撮や横領から校内での性行為まで、今年も“学校のセンセイ”の不祥事の話題は事欠かない。「またあきれた教師が現れた、世も末だ」-。世間の受け止めはこうだったに違いない。「児童へのサービス精神でやった。実際にはやるふりだけだった」などの釈明も、小6の学習指導要領の範囲をはるかに超えた「セクハラ」という言葉の前には白々しく聞こえた。

 学校側も、報道を受け急遽(きゅうきょ)開いた会見では平謝りするばかりだった。「不快に思う児童がいればやってはいけないことだった。しかも、『セクハラサイコロ』とは名前からして教師として不謹慎だ。こういうことが学校で行われるようなことはあってはならない」とコメントするのが精いっぱいだった。

 卒業生によると、教諭は中学時代に教師を志し、大学は教育学部に進学。現場一徹で、管理職は希望しなかった。以前、昇進を持ちかけた校長から「もっと夢を持とうよ」と諭されたが、「あなたの夢と私の夢は違うみたいですね」と断ったという。

 陸上競技をやっていて、児童には走り方やリレーのバトンの渡し方を指導する一方、自身は全国の市民マラソンに出場しては10キロの距離を50分前後で完走していた記録がネット上に残っている。後述するが、児童たちからはとても慕われていたという。

■不可解な発覚の経緯

 同小によると、校長と教頭がこのサイコロの存在を知ったのは10月14日。教諭とは別のクラスの児童の母親が知人男性を連れて、怒った様子で学校を訪れてきた。会議室に通すと、母親は2個のサイコロを校長と教頭、教諭の3人の目の前に突きつけ、説明を求めてきた。何も知らなかった校長と教頭は開いた口がふさがらず、母親の言い分に耳を傾けることしかできなかったという。

 母親は退席するとき、いきなり「もうひとつあるでしょう」と残りのサイコロの提出を要求。ここで校長らは素直に渡してしまい、現物は学校に残っていないという。それにしても今後、教諭の処分問題に発展したときに重要な証拠物となるものを、なぜ言われるままに差し出してしまったのか。教頭は「冷静になってみれば、何であんなことをしたのか分からない」と繰り返すばかりだった。

 3つのサイコロは、後日、このときのやりとりを録音したICレコーダーの音声とともに、テレビで全国放映された。実は、この日より前に教室に保管してあった3つのサイコロのうち、2つがなくなっていたという。誰が持ち出したのか、なぜ母親が持っていたのかは不明だ。

■涙の緊急保護者会から署名、折り鶴

 報道後、同小は緊急保護者会を開いた。常識的に考えて、とうてい申し開きのできない不祥事だ。校長も教頭も緊張して臨み、謝罪と経緯の説明を行った。

 学校関係者によると、教諭はこの席で、「私の軽率な行動で子供に不快な思いをさせたこと、保護者の方々にもご心配、ご迷惑をかけたことを深く反省し、おわび申し上げます」と謝罪した。

 これに対し、保護者から出てきた意見は、学校側の予想を大きく裏切るものだった。

 「手段はいけないが、先生の指導はよく行き届いている。これからも適切な指導をお願いする」

 「うちの子は、先生に厳しくしかられたこともあるが、それで自分が悪かったとわからせてくれたと言っていた」

 こんな言葉の数々に教頭は思わず目頭を熱くしたという。最後にある保護者が「先生がやったことはよくないが、本当にいい先生なんだから」というと大きな拍手が巻き起こったという。「担任は替わるのか?」との質問に教頭が「卒業までしっかりやらせます」と答えたところ、ほぼ満場一致で教諭の続投を支持したという。

 問題発覚後、学校は児童たちにセクハラサイコロについてどう思うか、児童にアンケートをした。すると、全33人中、2人が「気持ちが悪い、いやだ」と答え、残り31人は「自分が悪いことをしたから仕方がない。サイコロを振らされないようにしたらいい」と答えたそうだ。教頭は「軽率な行動だったことには変わりない。子供たちの感覚もまひしている」と険しい表情を崩さないが、「まひしているものの、大勢の子供は楽しんでいた。子供たちが動揺せずに元の状態に戻ることを願うだけ」と祈るように話した。

 教諭は報道翌日から「体調不良」を理由に学校を休んでいる。ある保護者によると、教諭の寛大な処分を求める署名活動を行ったり、教諭に手紙を書いたりする動きがあるそうだ。また児童たちも教諭が復帰したときに出迎える歌を考えたり、「体調不良」で休んでいる教諭に千羽鶴を作成したりしているという。

■卒業生もネットで反論

 報道後、この教諭の教え子を名乗る人たちが、ツイッターやミクシィなどネット上で続々と異論を唱え始めた。そのうち、2人から話を聞くことができた。

 「先生は変態エロ教師なんかじゃない。今まで一番好きだった、尊敬する先生がこんなにばかにされていいのか」

 都内の大学に通う男子学生(19)は10月26日の夜、ネットでニュースを見て、すぐにあの先生だと分かったという。いてもたってもいられず、実体験を交えて教諭を擁護する一文をミクシィの日記につづった。すると、「いい先生だったんですね」など驚いたような意見や、「子供たちは被害を受けたと思っていないよ」などと児童の保護者からの反響があったという。

 教諭が男性の担任になったのは小6のとき。児童になじんできた4月のある日、「これ、オイスペって言うんだよ。前から使っている、オレ流の罰ゲームなんだ」といってサイコロを取り出したという。「オイスペ」とは教諭の名前に「スペシャル」をつけ加え、略したものだ。そのころから、目には「ハナクソ」「ハゲ移し」「恋人」などの文言はあったが、児童たちは「面白い先生だ」とおおむね好意的に受け入れたという。しかも、そのころからサイコロの目に書いていることはあくまで「やる振り」で、実際にやることはなかったと証言する。

 クラス児童全員に消しゴムを彫って名前の入ったハンコを作ってくれたり、正月には数字が振ってある点をすべて結ぶと「あけましておめでとう」などの文字が浮き出る年賀状を送ってくれたり、手製のおもちゃを作ってくれたり…。男性には楽しい思い出ばかりが残っているという。

 男性は卒業して中学に進学後、いじめにあったという。自暴自棄になり、警察の世話になり、2年のほぼ1年間、不登校になった。男性の母親は、通っている中学ではなく、この教諭に電話で相談。その夜、教諭は自宅にふらりと現れた。

 「お前なら乗り越えられることだよ。そしたら何か見えてくるだろう」

 シンプルだが、とても温かいこんな言葉に男性は救われ、転校した後、立ち直ったという。

 男性は問題発覚後の2日後の早朝、教諭の自宅を訪ね、公園で小一時間話し込んだ。どうしても確かめておきたいことがあったのだ。なぜ、この教諭が「セクハラサイコロ」なるものを作るような“ぶっ飛んだ”先生だったのか。教諭の教育に対するポリシーとは何なのか-。

 教諭はサイコロについて初めは男児にしか振らせていなかったが、男児から「女子用がないのはずるい」と言われ、児童たちと一緒に女子用も作ったこと、男児から「ハグってのも入れよう」と言われ、「ハグってどういう意味なんだ?」と尋ねながら書き込み、最終的に自分で「セクハラサイコロ」と名付けたことなどを明かしたという。

 その上でこう断言したという。「自分とは異なる文化や人種を排除するような人間にはなってほしくない。だからおれは、変人でいながらも好かれるような教師でいないといけない」

 その言葉に安心した男性は、「それにしても大変でしたね」と声をかけると、「大したことねえよ。オレは大丈夫だよ。自分のクラスの児童の保護者に信じてもらえたら、それでいいんだよ」と気丈な声が返ってきたという。

 そんな振る舞いが、男性には心なしか寂しそうに見えたが、教諭は「ありがとう。ほかの教え子たちからも電話をもらっててな。助けられてるんだ」と言って笑顔で別れたという。

 男性も「セクハラサイコロっていうネーミングはダメかもしれない」と苦言を呈する。それでもこの教諭を最後まで擁護したい気持ちは変わらない。

 「金八先生みたいな先生はドラマの中だけだと思っていたが、先生に会って本気で驚いた。こんなに子供のことを考えている先生はいないよって」

 それは卒業式で渡された最後の通知票の言葉だ。

 「お前は好きなことに関しての集中力はすごいの一言だ。だから、好きなことをガンガンやれ。きっと何か見つかる」

 好きなことには一心不乱で取り組む自身の性格を自覚しかけていた男性は、「本当に自分のことを分かってくれている先生だったんだな」と胸にこみあげるもの感じたという。現在、男性は大学で物理学を学んでいる。「この言葉を胸に抱いて、好きな数学や物理の勉強に没頭して、今の自分がある」

 小5のときに教諭のクラスだったという女性(21)も教諭の眼力を評価する。 いわゆる優等生タイプだったというこの女性は、「幼いながらに先生にこびる方法を知っていて、大人にちやほやされていた」と振り返る。しかし、この教諭はそんな女性を決して特別扱いはしなかったという。

 「私の性格を見破られた衝撃は大きかった。でも自分のことをちゃんと見てくれているんだという実感が強く、以来、ずっとお慕いしている」と話す。

 「セクハラサイコロ」については、この女性は「少なくとも私がお世話になった間は、セクハラとかロリコン趣味とかを感じたことはなかった」と断言した。「若干表現がオーバーで、女子からはブーイングを受けることもあったが、嫌がる子への気配りやフォローも怠っていなかった」と証言する。

 「私は先生の言葉や教えを胸に、大人になってきた。なのにこんな事件になってしまって…」と悔しさをにじませた。

 教諭への処分はまもなく県教委が行うことになっている。児童や保護者、卒業生らが抱く思いは、それに影響するのだろうか。

 教諭が復帰したとき、児童とどのような形できずなを深め合うのか。定年間際の教諭と卒業間際の児童たちが、残る時間でいい思い出を残せるのか、学校も保護者も真剣勝負のときかもしれない。