『我が家のお葬式を終えてまだ日が浅いのですが、
不幸なことに、今度は親戚筋で亡くなった方がいます。
葬儀は○日なんですが、弔問に行っても問題無いでしょうか?
まだ忌明けにはなっていません。
巷では「ひがまじる」と言って慎むべきとされているようですが…』
禁忌(タブー)の一種を意味する言葉です。
この起源は山口市 秋穂・二島の正八幡宮の伝説にあります(^^)b
【もぐら退治と八幡さま】
秋穂に限らず、もぐらの害は百姓にとって
昔から悩みの種でありました。
芽を出したばかりの野菜も枯らしました。
いくら丁寧に苗を植えておいても、
翌朝にはもぐらが持ち上げてしまい、
知らずに放っておくと枯れてしまいます。
困り果てた氏子達は、守護神正八幡宮に宮籠りして
一心にもぐら退治を祈願しました。
すると、お告げがあり、
「一切の不浄の穢れを忌むこと宇佐の例に従う時は、
もぐらの害もなくなるであろう」
八幡様の本家宇佐の例にならって不浄の時は身を慎み、
食事も一緒にすることなく、
別火にするといって別に煮炊きして食べました。
昔は「火が混じる」といって、
不浄に関係ある者と共食することを慎みましたので、
例えば、忌み明けまでは外出も慎み、
外で一緒に食べる席や神まいりの仲間にも入らないようにしました。
このことを厳格に守ることは口先では容易でも、
実際実行するとなると大変に困難でありましたが、
秋穂二島両郷の氏子仲間では立派に守りましたので、
それ以後、もぐらの害はなくなり、他郷の人達もそれを聞き、
正八幡宮の御砂を貰い受けて持ち帰り畑に蒔いたところ、
以後その害はなくなったと言い伝えられ、
正八幡宮のおかげと感謝しました。
昔は、神仏に頼る以外には解決の方法を知らず、
それ故に真剣そのものでした。以上
さて、話を弔問に戻します(^^)b
故人の命日から数えて50日間を忌中(きちゅう)といいます。
※仏式は49日間
これには
「死の穢れ(気枯れ)を不吉なものとして避ける期間」
という意味があります。
神道では、死に及ぶ病気・事故等の経過や、
それに起因する悲しみ、苦しみ、寂しさなどを
穢れ(気枯れ)と捉えています。
気枯れとは、
「気(瑞々しい生命力)」が「枯れてしまった」状態のことです。
大切な人・親しい人との別れには涙が多いですよね?
平常心を欠くわけです。
こうした気枯れの多い期間(忌中)は、災難に遭いやすいので、
派手な言動を避けるなど、身を慎むべきとされています。
気枯れは、死につながるものとして恐れられているのです
「火が混じる」とは、
不浄に関係ある者と共食することを慎むこと
と前述しました。
※不浄…穢れを含む
これから派生して、
「未だ穢れた状態にある者が、他家の穢れにもふれることを慎むこと」
という禁忌(タブー)がうまれました。
特に、穢れのダブルパンチは危険!
ということなのでしょう。