※本稿はゼルビア担当ライターの皆様に寄稿いただいております。

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6月27日、J2のシーズンが再開した。町田のホーム初戦は7月4日のモンテディオ山形戦となる。

当初は無観客による開催となるが、選手とサポーターがスタジアムに集える日が近づいてきている現状を喜びたい。
再開までの期間はクラブが進んできた道、乗り越えた壁を思い出す好機でもある。
今回はサポーターの皆さんが心を冷まさず「コロナ後の戦い」に備えられるような、そんな企画を用意した。
ゼルビアの番記者である郡司聡と大島和人が、2012年から毎シーズンごとに「思い出の一戦」を振り返っていく。

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2018年のJ2は、上位が大混戦状態で終盤戦を迎えていた。最終第42節を前に、各クラブの勝点と得失点差はこうなっていた。

1位 松本  勝点76 得失+20
2位 大分  勝点75 得失+25
3位 町田  勝点75 得失+18
4位 横浜FC 勝点73 得失+18
5位 東京V  勝点70 得失+15
6位 福岡  勝点69 得失+16

FC町田ゼルビアは首位と勝点1差で、東京ヴェルディとのホーム戦を残していた。1位・松本山雅FCは徳島ヴォルティス、2位・大分トリニータはモンテディオ山形との対戦で、直接対決ではない。大まかに言えば2強が引き分け以下なら、ゼルビアに優勝のチャンスがあった。

 



狙いはもちろん優勝だった。18年10月にサイバーエージェントの資本参加が発表され、経営的な強化がなされていたものの、18年9月に交付された19年のライセンスは「J2」だった。したがって2位以内に入っても自動昇格がなく、J1昇格プレーオフの参加資格もなかった。

「目標は史上初のJ2連覇」が我々の合言葉だった。

対戦相手の東京Vも昇格プレーオフ圏内を死守する必要がある。彼らにとってもこの町田戦は大一番だった。

 



大一番となれば、ピッチ外の人間も準備が必要となる。私のようなライターにも「優勝した場合」という前提条件でインタビューや原稿のオファーが入っていた。もちろん、そういう忙しさなら大歓迎だ。


優勝が決まる可能性のある会場には村井満チェアマン以下、Jリーグの幹部が表彰のために配置されていた。町田市立陸上競技場には原博実副理事長が来場していた。

 



試合前にはメディアブリーフィングがあり、Jリーグの広報スタッフから「表彰セレモニーの進行」「カメラ位置」などの説明が行われた。普段はJ2に来ないようなテレビ局、メディアが野津田を埋め、記者室は満室。筆者も早めに会場入りし、「立ち見」にならぬよう記者席を確保する。良くも悪くもそわそわ、ふわふわした気分だった。

 



ゼルビアのサポーターグループはSNSなどで「他会場の経過を気にするのは止めよう」と呼びかけていた。それは賢明な考えで、他所を気にし始めるとキリがない。しかし報道という立ち場になると、他会場の経過は無視できない。自分の周りには他会場の中継をスマホやパソコンの画面に映し出しながら、町田戦を見ている記者もいた。

当日の観客数は10,013人。強烈な雰囲気だった。

 



優勝、昇格のかかった大一番は重い展開になることが多い。東京クラシックは両チームともゴールが遠く、重い展開だった。松本戦も全く試合が動かない。大分は星雄次が18分に先制点を決め、リードして終盤を迎えていた。

 



70分過ぎから目の前の試合がようやく動き始める。74分には中村祐也の際どいヘディングシュートで東京Vゴールに迫った。しかし76分、ゼルビアは一瞬の隙を突かれ、東京V・林陵平のループシュートにより得点を奪われる。

だが82分、ゼルビアはコーナーキックからの波状攻撃。ロメロ フランクの折返しから、大谷尚輝が見事な右足ボレーを決め、1-1の同点に追いついた。



アディショナルタイムの提示は5分。ゼルビアはフルパワーでゴールに迫ったが、あと一歩届かなかった。

 


他会場を見ると松本はスコアレスドローで試合を終えていた。大分は後半ロスタイムに追いつかれ、山形と引き分けていた。つまりもう1点取れていれば、ゼルビアの逆転優勝だった。

 



もっとも当時のゼルビアは練習場が人工芝で、予算も優勝争いのライバルと比較して何分の一という規模だった。優勝を逃して悔しさは味わったが、誇らしい気持ちが上回った。2018年に相馬直樹監督や選手たちが見せた奮闘は、何の誇張もなくJリーグの「ナンバーワン」だったと言い切れる。

▽筆者:大島和人
1976年11月生まれ。「球技ライター」を名乗り、サッカーはもちろんバスケットボールや野球の取材・執筆も行っている。最初に見たゼルビアの試合は2010年6月の横河武蔵野FC戦。2012年からJ’s GOALのゼルビア担当となり、同年5月に町田市へ転居。