すべては個人的に。 | shirablog

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感じたことを忘れてしまわぬようにと、日々感じたことややったことの日記をつけています。

すべてはいい笑顔のために。

共感を狙うより、吐く力。

最近はもっぱらこんなことばかり考えている。
さらに朝にみたFacebookの投稿で見つけたこれ。

「「感受性」とは、何かを感じとる力である。
それは、自分の感じたことを信じる力を蓄える基礎力となる。
自分は何者かがアイデンティティーではなく、
自分は何を信じていくかがアイデンティティーであるとしたら
その「感受性」こそが、自分は何者であるかの起点である。」



自分が何を信じていくか。
自分に大切なモノはなにか。
最近はもっぱらそんなことばかり考えている。


そんで、そんな時にはやっぱりMOROHA。
インタビューがすごく腑に落ちた。


「〈中古棚で見つける自分のCD〉って歌詞あったけどさ、これを、共感してくれっていうのは無茶じゃない? 普通の人にはこんな経験わからへんやん!

アフロ : いやいやいや、違うんですよ。それは俺にとって、スペシャルだからいいんですよ。例えばもっとふわっとした、みんなが共感できる言葉を選んだとするじゃないですか。例えば、吐く力が10、共感0だとしても、俺は人に10伝わると思うんです。吐く力ってのはなにかっていうと、自分にとってその歌詞がどれくらい意味があるかってことなんですよ。」

https://ototoy.jp/feature/20131106

個人的に、の積み重ねなんすよね。
すべてはとにかく個人的で、それが生む共感はよいとおもうけど、そうでないのは気持ち悪い。
なんだかよくわからずに、そっちに足を踏み込みかけてたりした気もしてた。
最近はそういうのからちゃんとほどよく距離をおけてる。
まだまだなことや山のように残っているけれど、ちゃんと進んでる。

この調子。
この調子。
自分の足で立てている、と思う。
言葉が離れてってない、と思う。
自分の感受性にきちんと殉じていける。