タイタンを遠くはなれて。
僕は今32歳で、アメリカのサンフランシスコで生活しています。古いハードディスクの整理をしている際、偶然10年以上前に書いたブログを発見しました。1995年から1996年にかけて書かれたものです。その頃は、まだブログも一般的ではなく、僕も自分で作成したホームページのいちコーナーとしてブログを書いていました。今読み返すと、恥ずかしくなりそうな内容の物も多いのですが、そのうちのいくつかはとても良く書けていて、なおかつ今の僕ではもう書けない書き方で書いてあるので、新しくブログを作り直して公表してみようと思いました。僕にとってみれば、「思えば遠くへきたものだなあ」という部分と「今も昔もあまり変わってないな」という部分が複雑に混在していて興味深いのですが、それはあくまで’僕にとっては’の部分です。これらの文章は、10年後の現在において、いったいどのように受け取られるのでしょう。
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怒り

 僕は、振りあげた拳をどこに振り下ろせばいいのか? 

 人はみな弱い。

 それはそうだ。

 でも、僕だって傷つく。


 僕が尊敬している人は昔、

 「自分より弱い人間と戦ってはいけないよ。」

 って教えてくれた。それは暴力だって。


 フィッツジェラルドも、すべての人間が

 お前のようなアドバンテージを持っているわけじゃ

 ないんだってことを忘れるなって言ってた。


 それはそうだ。ハハ。

 アドバンテージか。。やれやれ。


 強さを振り回してはいけない。

 それは暴力だ。


弱さにすがってもいけない。 それは甘えだ。 甘えは暴力よりもたちが悪い。 僕たちは砂漠のような所に生きているんだ。 そう、この町が地獄なんだ。 だから、痛がってはいけない。 それは、痛いのだ。 それは、とっても、痛いのだ。 分かり切っていることを、ぼやいてもしょうがない。 この激痛を背負って、それと共に歩くしか道はない。 そう、立ち止まっても、振り返ってもいけない。 君の後ろにあるものは、ただの虚無だ。 君が虚無を見た時には、 君はすでに虚無に食われている。 虚無に喰われた後には、 ひとかけらの祈りすら残りはしないだろう。 だから、前に進むんだ。 足をふみあげて 前に送り出して 踏み下ろすんだ。 このヌカルミに捉えられてはいけない。 足をふみあげて 前に送り出して 踏み下ろすんだ。 なぜ、進むかなんて考えてはいけない。 それは虚無だ。 どうやって進むかをかんがえるんだ。 そう。 もう。恐れはない。 もう、僕には恐れはない。 そこにあるものを壊しこじ開けてでも。 前に進んで行くのだ。

復讐

 「一つの物事にたっぷりと時間をかける

ということは、もっとも洗練された形での

復讐なのだよ。」

って、村上春樹さんが書いていた。

初めこの文章を読んだ時に、

これが何を意味しているのかさっぱり

分からなかったけど。

最近、少しづつではあるが、その意味を

伺い知ることができるようになった。

道程

 僕は、何を思えばいいのか?

他にどこに行けばよいのか?

ここは、どこなのか?

ここには、光がない。

呪い

アジアンカルチャー。

この、貧しい大地に。

アジアンカルチャー。

多過ぎる数のヒトがウゴメイテイル。


このジクウは傷ついている。

この時空がキズツイテイル。


長く日本に滞在していると。

どうしても、アジア的ないやらしさに

ふれてしまう。

すでに、固まってしまったもの。

いやな形にこり固まってしまったもの。

もう、誰にもどうしようもないもの。

いやな形は、いやな形のまま。

この時空をきずつけてゆくのだ。

ある種のトラウマは、時を越え、世代を越えて

伝えられるのだ。

この、アジアの大地に。


その渦の中心で、

異教者の踊りを踊っているものよ。

お前の、その羽はもろ過ぎる。

その、いびつな形の羽では。

けっしてこの島から、飛びたてはしない。

お前はこの異教者たちの島で、

未来永劫 踊り続けるのだ。

これは、呪いなのだよ。

この大地の呪いなのだよ。

お前たちが、欲望の根まで

たどりつけなかったから。

みな、暴徒になって。回りのものを

損ない続けるしか道は残されていないのだ。

損ない、汚し、破壊し続けるしか。もう。

だれも。


我々は殺さなければならない。

我々は、周りの人間すべてを殺し

回らなければならないのだ。


だから、僕は、リンゴの木を植えよう。

僕は、この場所にリンゴの木を植えて行くことにしよう。

僕たちが破壊し尽くした後に。

この木だけでも残りますように。

せめて、このリンゴの木だけでも立派に育ちますように

思考

 何も考えず。

なんにも考えず。

激痛

 昨日、アイスクリームを食べていたら、

急に歯が痛くなってしまった。

歯医者さんに行かねばならない。

僕は、すごく恐がりなんで、

歯医者に行くのはとっても恐いです。

 「友あり、遠方より来たる。楽しからずや。」

今年の秋は、そういった気分の中に暮れてゆきました。

映画

 最近、いくつか映画を見にゆきました。

映画館にいったのは半年ぶりです。

僕がみた映画の個人的な感想。


「コンタクト」
ぼくは、サイエンスフィクションが
すっごく好きなんで。
これは、面白かったです。
こういう映画を見ていると、永遠の少年
に戻った気がして。

「ゲーム」
ヨーロッパから来た人達が絶賛していたので、
わざわざ時間を作って見に行ったんだけど。
こういう種類の、プラクティカル ジョーク
には、日本人の感性を持つ僕は どうしても
引いてしまう。
シェークスピア喜劇を見て育った人種と
エヴァンゲリオンをみて育った人種は、
わかり合うことができないのかも知れない。

「もののけ姫」
これは、面白かった。
僕は、ジャパニメーションのファンだから。
なんていうか、フム。っと考えさせられるような
映画でした。

「エヴァンゲリオン」ー正確な題名忘れたー
この映画については、もう。
この映画のせいで、僕はエヴァンゲリオンと決別して
しまった。ダメだよ。これは。
この映画を見て映画館を出た時には、
すでに僕の中で、何かが終っていた。
哀しい話しさね。何かが過ぎ去ってしまうのを
肌で感じるってのは、ある種の痛みを伴うものさね。
どうして、ここまで決別することになったのか。
この映画を見た場所が奈良だったからかもしれないし。
その時ぼくが、むっちゃ疲れていたからかもしれないし。
静かに、雨がふっていたからかもしれない。
でも、本当の理由は。
映画の中で、映画館を実写しているシーンがあって。
その映画館の観客のなかに、カメラに向かって
手をふっている男がいたせいなんだ。
その人の手のふりかたが、結局僕の中で
何かを終局させてしまったんだ。
腹の立つはなしさね。

帰還

 久しぶりに、大学がある町にもどってみると、

一面、キンモクセイの香りがしました。

窮地

 事態が緊迫しているときには。

決して、浮き足だってはいけない。

状況が、危機的に見えれば、見えるほど。

春の山から吹き下ろしてくる、風のごとく。

静かでいなければいけない。

これは、僕があの怒涛のような移動生活から

学んだことの一つだ。

この世界には、親切なひとはたくさんいる。

でも、ホントに危ない時には、誰も助けてはくれない。

危ないってのは、つまりそういうことだ。

だから、心を濁してはいけない。

考えるんだ!

頭をつかって、考えるんだ。

そして、心を鎮めて。受け流すんだ。

緊張感は大切だけど、飲み込まれると。

足を踏み外す。

感じて。受け止めて。それを、やり過ごすんだ。

「なにがあっても、生きのびること。」

これが、一番大切。

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