前回明治維新のことを書きました。日本政府は日本人を海外に派遣して学ばせ、お雇い外国人を日本に招いて様々な先進技術を取り入れました。

まだ、諸外国からODAなどというものがない時代です。自力で頑張ったのです。

 

世界中の人間をみんな自分に置き換えてしか想像できない人はこう思います。

「戦後の日本も同じように貧しかった、彼らも支援すれば日本のようになるだろう」

どうして同じ道を歩むと思うのでしょう?

「自力で頑張ろう」という国と「金くれ」という国が同じ道を歩むはずないでしょう。

 

ところが、”支援したい”という、する側の思惑もあり、今は世界中の途上国が国際機関や特定の国からODAなどの資金、技術援助を受けています。

ここまで手厚く支援されていて、今なお貧困まみれ内戦汚職、相変わらずのたかり体質はどういうわけなのでしょうか?

 

アフリカが貧困イメージから抜け出せない理由(東洋経済 Yahoo 2020/9/1)

『アフリカ経済の真実 ――資源開発と紛争の論理 』を書いた千葉商科大学人間社会学部の吉田敦准教授に聞いた。

~前略・中略~

 ──アフリカの自立というか、今後の経済成長のシナリオは? 

 執筆に当たって、何らかの解決策の提言もすべきか編集者と話し合いました。例えば、中産階級が育って消費拡大を牽引するアジアのような成長パターンが描けるか。僕としては期待薄なんじゃないかと思うんです。本格的な地場産業の発展に移行しつつある国は見当たらないのが率直な印象です。冒頭で挙げたモロッコにしても、僕の中でまだ確証はない。また、石油・天然ガス収益や資源収益に依存した経済成長は、実態の伴わない成長であり持続可能ではない。

 非常に残念なのは、国と国民を引っ張る真のリーダーがなかなか出てこないこと。優秀な人材はアフリカから出てしまい、海外でのポストやビジネスチャンスを模索するうちに国へ戻らなくなることが多い。自国の発展を心底願う人が帰国し、国をよい方向に動かしていく好循環が加速していくことが必要です。

 

もし明治維新の時に、当時の日本人が海外派遣からそのまま帰ってこなかったり、外国人から学んだ途端に国を捨てて移住してしまっていたらどうでしょう?

戦後、天災後、そういうたびに優秀な人が逃げ出していたら日本は違った国になっていました。

 

アフリカをはじめとする第三世界では、優秀な人たちが先進国へ流出している状態がずっと続いています。優秀でも数少ない権力のパイにありつけている人たちは母国に残っていることもあります。権力者でなくても例えば環境保護をしたいという理由で頑張る人もいるし、母国の発展に寄与したいという志の高い人もいます。しかしそういう母国に貢献する人は負担を一身に背負っているのです。優秀な人は流出、偽装難民にならない困った人は足を引っ張る、こんなことで疲弊するのです。

 

私はこんな状況を知ってからずっと、移住奨励の中での途上国支援に反対するようになりました。途上国の国ではなく、権力者への利益個人の利益を上げるためのスキルアップに利用されていることが多く、また、溢れんばかりの人道支援がかえって貧困層を増やし問題を複雑化させているからです。多く生んで多く死ぬではなく、多く生んで誰も死なないのでは大変なことになります。

 

《ここで生きていくしかない》という方が人間は腹を括って頑張るでしょう。

どこでも選べるとなると、その地域や国をより良くする努力をするよりも、自分だけ逃げだして計算高く地域や国を選ぶようになります。そこが悪くなればまた捨てるだけです。こういう人たちが主流になれば、地域社会や国は使い捨てされる単なる器になってしまい、そこで頑張る人たちは浮かばれません。

 

一方、第三世界の貧困層ですが、外国人を社会保障の対象とする国を狙い、押しかけるようになりました。日本も戦後食べられない日本人が海外へ移民しましたが、それは社会保障をもらうためではなく自分で労働して生きていくためでした。だから厳しくそれなりの覚悟をしていったと思います。

ところが今は、「人権」を錦の御旗に、赤の他人である外国の住民に向かって、「自分たちを丁寧に扱って終生養え!」という恥知らずな要求をして押しかけている有様です。ムキーッ

 

ブルキナファソの件で外国勢力やNPOが侵略の手先になったという記事を書きました。同じことは地中海でもいまだ延々と続いています。

ヴァンダリズム(日本では器物損壊罪)の大物バンクシーも不法移民を欧州へ運ぶために船を購入して手伝っているようです。

 

 

バンクシーは “All Black Lives Matter”実現のために、フランス海軍から船を買い取り、Louise Michel(フランスの無政府主義者の名前)と名付け、自分はアフリカからの不法移民を欧州へ運び込むだけ、あとは欧州の納税者が生涯面倒を見るように要求しています。

130人乗りの船に200人以上も乗せたために動けなくなって、すぐ近くのアフリカ諸国ではなく、欧州に助けを求めたようですが、無視されたといって怒っていました。最終的には救助されています。彼らは「国際海事法では船舶は海上で人命救助をする義務を負っている」という法を持ち出して非難していますが、わざわざ危険な海上に不法移民を置くことで、強引に彼らを欧州に引き取らせようとする姑息な手段だと思います。無法者はどこまでも無法です。

 

国連は地中海を渡る7割に難民申請資格がないと言っています。

NGOは、欧州の納税者のお金で一生暮らすライフスタイルを望む人すべてを欧州に入れることが、海での溺死を防ぐ唯一の方法だと言っています。

しかし、イタリアのマッティオ・サルヴィーニ前内務大臣(現在は政権外)が不法移民輸送NGOの取り締まりをしたときに溺死者が激減しました。30 Aug 2020 breitbart

 

私は偽装難民の標的になっている欧州の惨状を数年間紹介し続けてきましたが、もうその必要もないのかなと思います。日本でその兆候が見え始めましたから、手遅れですが実体験するでしょう。

 

メルケル首相は以前、国内の難民がドイツで生活保護をもらい、それを母国の親族に仕送りすることは、経済援助の一環で構わないと発言していました。そうなるとドイツの納税者は難民一家の金蔓(かねづる)ということですね。そんな援助は間違いです。

自助努力のない外国、外国人への支援は自分の身を滅ぼします。

 

ギャレット・ハーディンの『救命ボートの倫理』というものがあります。環境問題の資源分配についてですが、一般にも考えられると思いました。

60名まで物理的に乗りうる救命ボートに既に50人乗っている時、海に投げ出された人が100人いるとする。

この場合、とりうる選択肢は以下のようなものが考えられる。

  1. 全員を乗せて、船は沈没する。
  2. 10人だけ乗せる。
  3. 良心に訴えて、海に投げ出された人のために救命ボートから何人かは降りてもらう
  4. 安全係数を考え無理に人を乗せず、全員見殺しにする。

彼は救命ボートに乗っている人を先進国海に投げ出されている人を途上国の比喩とし、途上国を見捨てて安全確保を優先することを良しとした。環境問題の解決のためには南北問題を見過ごすことは已むを得ないとした。(Wikipedia

 

彼の答えは4であり反人道的だという批判もありますが、一番考えられないのが3ではないかと思うのです。

しかし、日本を含めた先進国が今していることは、自国民の経済・生命の被害を無視しながらの外国人支援であり、3だと思うのです。

 

国内でも都市への集住があり、地方の財政をみんなで助けているような状態ですが、同じ国民で、同じ言葉・文化を持ち、助け合うことに抵抗感はないと思います。

 

地球市民って、地球に住んでいること以外共通項がないんです。だからそういう呼び方をします。そんな人たちの金蔓になるために私たちは働くのでしょうか?

そういうところからの移民を奨励する限り、彼らは自国の発展に関心を持たず、私たちを利用することばかり考え、私たちは彼らと同等になるまで、骨までしゃぶりつくされてしまいます。