第21回『NO HATE TV』(https://www.youtube.com/watch?v=nURkyGYFXP4 )にて、百田尚樹のヘイト本『今こそ韓国に謝ろう』の批判の中で、動画54分40秒あたりから、彼らネトウヨたちが持ち上げるイザベラバードや近代の欧米人におけるアジア観の話に移ります。





これがその表紙になります(イザベラバード著 時岡敬子訳 『朝鮮紀行』講談社学術文庫)


また、もうひとつの「朝鮮紀行」として有名なのが、スウェーデン人記者のアーソン・グレブストが記した、『悲劇の朝鮮』(アーソン・グレブスト著 河在竜/高演義訳 白帝社)があります。




このような書籍を引用して、当時の朝鮮はいかに「遅れていた国」か、どうしようもない国であったかと、ネトウヨたちは2000年代初頭から嫌韓デマを振りまいてきましたが、実はこの書籍を読んでいくと興味深い記述があります。


たしかに、百田氏が引用するように「釜山で朝鮮に私が与えた第一印象は、さほど良いものではなかった。立地は狭く不潔で、家屋は低くて見栄えがしなかった。日本のように目を引く商店や、古い寺などもない」などと、「遅れた野蛮な国」である印象を語っていた箇所があります。


ところが続いていくと、


「(釜山を中心とした朝鮮半島には)そこには、あらゆるものが“典型的な日本”だった」


「日本人は、自分たちが『移住した国』に適応しないで、自らの風俗をそのまま持ち込んで、守ろうとするのである」「故国のふるさとに、まったく“同じような家”を建て、食事をし、飲み、眠る」


「殊に、朝鮮ではこの傾向が顕著だ」


「生活力の高い、日本の“帝国主義根性”は、朝鮮の滅亡をほとんど既成事実化してしまった。内心そんな目的を抱きながら、日本は計画的に事を運んでいた。彼らが“礎”を築いているのは、朝鮮の『改革された未来』ではなく、自分たちの為なのだ」



このように、一見するとネトウヨが激高するような「事実」が書かれているのに、百田氏のヘイト本では、なぜか前半の「釜山のくだり」しかありません。


つまり百田氏は、意図的に自分たちの不利な情報を「ネグった」上で、ネトウヨたちの都合の良いところばかりをコピペしたに過ぎず、さらに本書を書いたスウェーデン人記者が、朝鮮の電車(コンパートメントの個室)に乗った時に、朝鮮人の子どもと日本人の官憲の間で“いざこざ”が起きて、そうした風景をみたグレブストはこのように語りました。


「私はコンパートメントの窓から、この“騒ぎ”を見つめていた。“小人のように”背の低い日本の役人らが、朝鮮の子どもらを、情け容赦なくぞんざいに扱っている」


「子どもたちが、そんな扱いを受けるのは本当に屈辱だ。彼らは、日本人さえ見れば怖がって、あちこちに逃げていくのだ」


「逃げ遅れたりすると、背中にムチが踊る。背の低い日本人たちは、ムチを握って機会さえあれば、いつでもその“味”を見せつける。まるで、そうすることが“楽しい”と言わんばかりに」



つまり、日本の官憲たちは、娯楽のように朝鮮の子どもたちを虐待し、注目すべき点として、グレブストは大陸浪人による「王妃(明成皇后)まで滅多斬りにした」事実を日本の蛮行と明確に批判し「(高宗)皇帝をもわが手におさめて、思いのままに料理する。それが日本の“目的”だ」と、的確な指摘をしていたことです。


さらに、日本の朝鮮半島の植民地支配について「朝鮮の民衆(子どものように天真爛漫な)は、“その間”なすすべもなく、ただ手をこまねいて事態を見守っていた」


「彼らに“日本人の野蛮な行為”に対抗する力はまったくなかった」「こうして日本は“勝利”を手に入れたのである」と綴られており、


「朝鮮は事実上、日本人の国のもとにおかれた」「自らの目的達成のために、彼ら(日本人)が用いた方法とは、朝鮮民族の数千年の伝統を、言葉では言い表せないほど、“卑劣に傷つけ”損なうことである」と。



結果的に、グレブストは日本人に対しても“ヨイショ”するわけでもなく、ドライに突き放した態度で見つめていたことです。



また、イザベラバードに関しても同様のことが言えます。

 

彼女は『朝鮮紀行』とは別に、「日本に関する」書籍も書いています。






『日本奥地紀行』(イザベラバート著 高梨健吉訳 平凡社)


彼女は朝鮮半島だけではなく、日本各地にも旅行していたわけです。


そしてネトウヨのみなさんが「大好き」でたまらないイザベラバードが、日本に関して“何を言っていた”のか。


「“東京”という街は、家と家の感覚がほとんどなかった」


「どの家も“前が空けてある”から、住んでいる人の職業や家庭生活がすっかり“丸見え”である」


「両側の“溝”(汚物を垂れ流すドブ川)は、きれいでもなく、においもよくないことが多かった」


「こんなことは書いてよいことなのかどうかわからないが、家々はみすぼらしく、貧弱で、ごみごみしていて汚いモノが多かった。悪臭が漂い、人々は醜く、汚らしく、貧しい姿であった」



結局、彼女のような「西洋人」からしたら、朝鮮も日本もみすぼらしい「極東の野蛮国」であり、そうした大前提のもとで身なりの貧しい人々はバカにされ続けました。


ちなみにこの“極東”という言葉も、近代ヨーロッパ文明から生み出された概念であり、その認識はヘーゲルの時代(1800年代初頭)にまで遡り、歴史発展の“終着点”としての西洋、すなわちそれは“ヨーロッパ”で、文明の始まりはオリエント(中東地域)から、東アジア(アフリカ・アメリカ)はその「発展のレール」にすらないとされていました(同著『歴史哲学講義』より)。



さらに「家屋はいずれも貧弱で、人々は着物も体も汚れていた」として、


「若い女の中には、“石鹸や水”をふんだんに使って顔を洗えば美しくなるものが“いたかもしれない”けれど、石鹸を使うこともなく、着物の洗濯のときも、“砂”を使って流水でこするだけである」


「日本の人たちはリンネル製品を着ない」「彼らは滅多に着物を洗濯することはなく、着物がどこまでもつか、夜となく昼となく同じ着物をいつも着ているのだ」


「夜になると、彼らは世捨て人のように自分の家をぴったりと閉め切ってしまう」「家族は寄り固まって、ひとつの寝室に休む」


「部屋の空気は、まず“木炭”や“タバコ”の煙で汚れている」「彼らは汚い着物を着たままで、綿を詰めた掛布団に包まる」「洗濯されるのは滅多にない」



聞けば聞くほど、胸糞が悪くなるようなバカにしきった物言いですが、この本が書かれたのは『朝鮮紀行』と同じころの20世紀初頭、1900年代はじめの話であり、日本は「近代化」して半世紀近くたった国でしたが、“帝都”とされる東京ですら、人々の暮らしは良くありませんでした。


イザベラバードの話は、仮に偏見が入っていたとしても嘘ではないと思います。


その当時のアジア各国と言えば、どこをとっても貧しい国々でいっぱいでしたから、「文明の頂点」に居座る欧米人からしたら、まだまだ軽侮や罵倒の対象でした。



さらに彼女は「日本人の“黄色い皮膚”、“馬のような硬い髪”、“よわよわしい目蓋”、“細長い目”、“尻下がりの眉毛”、“平べったい鼻”、“へこんだ胸”、“蒙古系の頬が出た顔型(エラ張り)”、“ちっぽけな体格”、“男たちのヨロヨロした歩きぶり”、“女たちのよちよちした歩きぶり”など、一般に日本人の姿を見て感じるのは、“堕落している”との印象である」



というように、明らかな差別心でもって日本人を捉えていて、事実そうだったとしても、単なる人種の違いであり、そこに優劣を生み出すものではありません。

こうした明確な「欧米列強」の立場で、ユーロセントリズム(欧州中心主義)、オリエンタリズムを持ち出してアジアを眺めた「近代のヘイト本」を書く人間を、“本を読まない”ネトウヨたちはありがたがって拠り所にし、ことさら朝鮮に関する文言だけを引っ張ってきて溜飲を下げている事実には、呆れるしかありません。


お前たち日本人も「釣り目の細目」で「エラ張り」民族だと欧米人から揶揄されていますし、こうしたアジア人蔑視の風潮は現代でも少なからずあります。



先のグレプスト然り、百田氏は都合よく“朝鮮に関する”記述だけ持ってきて、あとはすべてネグっていますが、グレブストは朝鮮植民地支配について「日本の残忍と冷酷を赤裸々にうかがい知ることができた」と語り、


世の人は“西洋のように開化した国”だと思っていたとするなら、それは間違いである」


「たしかに日本人は、“早い頭の回転”と知恵を活かして、大きな力を振るってはいるが、私たち西洋人の見るところ、彼らが“西洋文明の到達地点”にやってくるには、まだ“数千マイル”も走らねばならないであろう」



以下のように、グレブストもまた「当時の西洋人」の思考から抜けていませんし、アジア人蔑視を背景にした文明論を語っています。


しかしそうした意味で、ある種“突き放した”中にも、正確性も多々あり、「ヨーロッパ人」の限界を露呈しながらも、きわめて含蓄深い本でることは間違いないでしょう。



<参考資料>


・のりこえねっと『NO HATE TV』第21回「ヘイト本」(2017年8月2日)より


https://www.youtube.com/watch?v=nURkyGYFXP4