というわけで、母が死んでから今日でまるっと1年がたったわけで、

 

叔母には「ーーさんの1周忌がすぐですね、天気が良い日に伺います」と言われたけれども、きてどうするのかというと、まだ骨壷が置いてあるだけで、2mくらい続く腰くらいの高さの本棚の棚板の上の端にコツンと置いてあるわけで、なんとなく骨壷感が酷かったので、クリスマスに100均で買った、シルバーと緑で、ところどこに赤い飾りがついて、いかにもクリスマスなツリーにかけるワサワサしたライン飾りを上にばさっとかけたままのやつがあるだけで、そこの隣に置いた母の写真と、その前にはこの前行ってきた、キューピーマヨネーズの五霞工場見学のお土産のミニマヨネーズ2本が置いたままになっているけれど、あれはお供物なのですよ。そう。私たちがいただく前に母にお上がりいただくわけで。亡くなった当初は、色々と母の親友から生花が届いたり、件のおばさんからも花が届いたわけだけれど、猫が食うんですわ。モソモソと。生花というのは猫の健康によろしくないから、送っていただいてありがたいのですけれど、本当に遠慮いたします。と、色々と返礼品をつけて送りがてら、伝えまして、今は我々独自の供物や、週末に食べるおやつを備えているんです。

 

が、まぁ、それだけで。

それだけなんですわ。

 

ひとつ感慨深く感じるのは、去年の今日、子どもの初めての習い事の候補の体験に行ったんです。

 

ドラム。

 

いえね、なんか憧れるでしょう。あのドコドコとチャッチャとジャーンを巧みに一人で叩きまくるのはマルチタスクをできない私からすると本当に偉業でしてね、なんとなく「生徒募集中」に惹かれて問い合わせをして、それで、ようやく空きができたってんだから、行くよね。で、行って体験をいざ始めますって前に特養から電話が来ましてさ

 

 

 

 

私は部屋の端っこの丸椅子に座ってあのジャンジャカの生音を子が出すのをほうほうと見ていてさ。

 

 

その後、母オッ死んだわけで、バッタバタで教室を出て、その後、私も子も「体験はどうだったか」なんてさっぱり全く覚えてなくて、その感覚もなくてさ。

 

「で。どうされます?レッスン」

 

って営業の電話に「あのすみません、大変に申し訳ないんですけど、体験の途中に母死んで全く覚えていないんですわ」って伝えたら、先生がもう一回体験してくれて、結局入ったんだけどさ。

 

 

 

 

そのドラム

大変に楽しく通っていたドラム。

 

 

 

 

「ドラム辞めたい。ピアノを習いたい」って言ったんだ。

 

ちょうど1年。

なんだかそこに感慨を覚えるんだ。

 

 

だけど、書いていてなんだか鼻の穴のあたりから目の目やにつくあたりのあたりがツンとするんだ。

なんでだろうね。

 

 

 

 

お母さんがいた方がいいか

 

 

いなかった1年本当にいろんなことができた。

子供の成長をようやく見れるようになった。

まだ映画は見られない。

 

将軍も見たいという気持ちになれない。

 

 

だけど、いろんなことに対して気持ちを向けられるようになった。

 

どうなんだろうね、お母さん。

 

 

汚いことを書くようだけれど、

わからないわ。

 

 

どうなんだろう。

子としてどうなんだろうね。お母さんや。