キッチンに隣接したリビングのマントルピース、というべきようなスペースだが、うちは建売住宅だったりするんだけれども、ともかく暖房がおけるスペースが、備え付けの腰高の本棚につづいていて、そこはものを置くのに適した場所になっているのだが、

 

 

そこに火葬した母の遺骨が、火葬場からそのまま置かれてそのままになっている。

 

 



 

ホットクックを置くのにちょうど適した場所になっていて

 

母の遺骨をいよいよどうにかしないとなとは感じている。

 

 

 

 

墓はある。

父方の祖父と祖母が少しだけ入っている

 

 

東京の端っこで、

最後に行ったのは母の認知症がひどくなる6年前頃。

 

 

足繁く通って、先祖に救いを求めた時期があって

自分だけでも行ったし

母を連れても一度行った

 

 

 

 

けれど、それっきり。

 

 

 

 

 

 

母の遺骨は、骨で

 

 

 

そこになにもないと私は感じるタイプだ。

 

 

 

 

 

母の意識は生きている最中からどこかに消滅してしまっていた。

引き出せないまま脳みそに宿っていたとは思えず、枯渇する脳から蒸発して、どこかにいってしまっていたような。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、

骨をどこかにばら撒きたい。

 

 

 

沖縄。

 

 

 

でも、業者にもっていって、散らばしてもらって終わりだとさすがに、なんか味気ないから

 

 

ながしてもらったあとの海、遠洋だけれど

 

 

 

 

それを見てみたいと思っている

 

 

 

 

けれども、私は後ろ向き駐車が苦手なのだ。

 

 

 

沖縄も後ろ向き駐車でないと生きていけないのだろうか。

 

 

 

 

アメリカでは車も持っていたが

東京では結局ペーパードライバー教習を受け、そのままだ