国立戒壇に関する調査報告書 旭川氏からの質問への返答 | 諸宗 破折

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私鬱将軍が、日蓮正宗の法華講の一信徒としての活動や
SNSでの論争やその所感 仏教書籍の紹介など赤裸々に綴るブログです。 コメントお待ちしてます、




お久しぶりです 鬱将軍です。別件で調べ物をしていたら

上記サイトを発見しまして

大変遅れてしまい申し訳ございません。

最近ブログを見ていないので 

もし早急のやり取りを望まれるならTwitterのDMへ

https://twitter.com/emurodic1341?s=21&t=A0Cou6pV6WbEzjbT3CKhcA

と 誘導しておきます。



さてご質問の内容ですが


日顕上人は壇建立の願主は天皇陛下だと言っていますがどうでしょうか?

お答えをします。


まず当該文ですがこれは『国立戒壇』の語について明治以前の日蓮正宗に考えられてきたこととして言われている部分です。そしてこの考え方は

天皇主権である明治憲法が背景になっていると言われいます。

また戦後に於いては創価学会が憲法が変わり

在民主権となったから 国中の人を折伏して御本尊様を授与することが国立の戒壇になると戸田城聖さんは言われてます。

また同様のことを戸田城聖さんは三大秘法禀承事講義にも同様のことを講義されています。


日顕上人は近現代における戒壇問題の経緯と真偽の最後に 『国主立ということも言えるのではないか?』という形で締め括られます。しかし三大秘法義には

『一期弘法抄』には明確に『国主此の法を立てらるれば』と仰せである。ただしこの御付嘱は大聖人から日興上人に与えられたものであるから戒壇建立の御遺命を直接、拝命したのは日興上人であり、爾来、その御遺命は唯授一人の血脈とともに代々の法主上人が伝持あそばされ、現代に至っているのである。故に戒壇建立の主体者はあくまでも総本山大石寺の住持たる法主上人に存ずる。

しかして、この国主とは、現憲法下においては主権を持つ国民の意思であるが、国民の象徴としての天皇の意志も加わるものかと思われる。しかし広宣流布戒壇建立の実状は御仏意に任せ奉るべきであり、現時においての断定はできない。


と仰せであり 主体者となるのは御法主上人であると明確に仰せです。


願主とは願う人であるから戒壇建立の主体者のこととも言えます。 となると願主というのは

御法主上人になりませんか?