えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

#恋するプリテンダー

とっても能天気なラブコメ映画、だと思って観たら、まさかの大興奮、これ、シェイクスピアの某名作のパロディ?オマージュだったんだよ(どこにも、そんなこと書いてないけど)。

それに、どこで気がつくか?っていう、すごくマニアックなゲームなんですよ、この映画は。

そんな雰囲気は微塵もないし、日本人のほとんどは気づきもしないで「あー面白かった」で終わりだろうけど。

大学時代に私と一緒に芝居やってた人は、絶対に「あー!」って叫ぶよ。だって、あの「名場面」をまんま再現してるんだもん。

ヒント、主人公たちのニックネームが「ビー」と「ベン」なんだよね、ビーの姉の「ハリー」は同性婚しようとしていて、相手の女性はベンの友人で名前は‥、って感じ。

本名は、芝居の終盤に出てくる。

 

 

道長の議会運営は、なかなか上手い、と言えましょう。

まず、一条天皇に対する好感度を上げること。帝の前で「関白にはなりたくありません」ときっぱり言い切ったのは、良かった。関白になってしまうと閣議に出られない、私は皆と話し合いながら政(まつりごと)がしたい。嘘でも建前でもなく、本当の話だから、説得力がある。

関白、関白と青筋立てて連呼していた道隆・伊周父子に正直うんざりしていた帝には、ポイントが高い。

やっぱ、道長を内覧にして良かった、と思わせれば、もう、こっちのものです。

あとは、できる限り帝を立てる。

道長は、閣議で議案を出すとき「俺はこうしたい」ではなく、「帝がこう仰っている」と言っている。帝の信用を獲得し、これができるようになったのは大きい。

朝廷で「反感を買わない」というのは、とっても重要です。そのためには「独裁者にならない」こと。少なくとも、独裁者と思われないようにすること、です。

すでに、伊周と道長の差は歴然です。

先週、母の詮子にどんなに粘られても、結局「私は、伊周を関白にします!」と言い切って去った一条天皇が、一晩あけたら、道長を内覧にしていた。

なんで? 何があった?

私が思うに、ですが、伊周の評判がすこぶる悪いことは、帝も内心では分かっていたのでは、と思います。

しかし、一度決めたことを周囲に言われて変えるのは、帝の沽券に関わる、ましてや母に屈したというのは情けなさ過ぎる。

だから意見を変えずに立ち去った。

一晩で考えを変えたのは、「伊周を関白にしたら、それこそ中宮の言いなりになることではないのか?」って思い至ったからではないか。

従来、花山院襲撃事件で伊周が失脚した事件は、道長が仕組んだ陰謀、と思い込んでいる人も多かったですが、このドラマでは、全く違います。

伊周の処罰は、完全に一条天皇の主導になりそうです。

一条天皇は「名君でありたい」という気持ちが、人一倍強い帝であったように見受けられます。

相当、歴史の勉強もしているでしょう。

とすれば、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の「事件」は、有名な話です。

駄目な君主が一番やっちゃいがち、なのが「寵姫の親族を重用して、国を傾ける」ことです、

だから。

いくら中宮定子が可愛くても、いやだからこそ、その親族に対しては「より厳しく」対応しないと、名君の資格を失い、国を傾けるもとになります。

一条天皇は、誰に唆(そその)かされなくても(道長や詮子に言われなくても)、伊周、隆家を厳罰に処さなければならない、それが王の務めだ、と考えているはずです。

「尊王攘夷」という思想について、まずは正しく理解しましょう。
このコトバの真の意味が分かっているなら、
尊王攘夷イコール倒幕ではぜんぜんないこと、
日本人で尊王攘夷でない人間なんていなかったこと、
尊王と攘夷は必ずセットでなければ意味が通らないこと、
薩摩や長州は尊王攘夷という思想の「ために」動いていたのではなく、尊王攘夷と言う思想を「利用した」に過ぎないこと、
が分かるはずだからです。

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「尊王攘夷」は、幕末の志士が作った言葉ではありません。中国製の四字熟語、古典中の古典的スローガンです。
ここで「王」というのは漢民族の皇帝を、「夷」というのは異民族を指します。
中国の歴史は、農耕漢民族の国と、それを征服しようとする北方遊牧民族の、四千年にわたる抗争の歴史にほかなりません。
匈奴、鮮卑、蒙古、女真といった北方の覇者が、豊かな中華の地を侵略しようとして侵入してくる、それを撃退する、ということの繰り返しです。
これは宿命的なものであり、漢民族と北方民族が長期間にわたって仲良く共存するという状態だったことは、ほとんどありません。つねに「やるか、やられるか」という関係だったのです。
ですから、「攘夷」とは、外国と付き合わないとか開国しないという生易しいことではありません。四の五の言わずに夷を撃退しろ、殺される前に問答無用で殺せ、ということです。


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「王」というのは、天に認められた正当な支配者、というニュアンスが含まれています。これに対応する反対語は「覇」です。つまり、力づくで世界を支配しようとする者です。
「尊王」というのは、単に皇帝がエライということではなく、力づくの侵略者を退けるために正当な君主を中心に団結しよう、という意味になるのです。「尊王攘夷」が四字熟語で分解不能だというのは、そういう理屈です。
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この言葉が日本人に知られたのは、「朱子学」の基本概念のひとつだからです。
朱子(朱喜)はモンゴル帝国(元)に攻められ青息吐息だった漢民族国家「南宋」の人です.
「中原の正統な支配者である漢民族は、王(皇帝)を尊び一致団結して、夷(モンゴル)を排斥しなければならない」という意味で、朱子は「尊王攘夷」を繰り返し唱えたのです。
「尊王」は、漠然と「王様を尊敬しよう」なんていう甘っちょろい言葉ではなく、「祖国防衛戦争のシンボルとして王を担ぎ上げろ」という思想なんです。
朱子学は江戸時代の日本人の基礎教養とされましたから、「尊王攘夷」という言葉自体は、知識人はみんな知っていたわけです。「民族のプライドを忘れるな」という一般論として、ですね。
ところが幕末になって、「天皇は異国が大嫌いであらせられるというのに、幕府が異国に屈して開国してしまった!」という状況が起こります(「志士」たちはそう解釈した)。
ここにおいて、「天皇を担いで幕府を倒そう」と考える側の意図に、「尊王攘夷」というスローガンが、絶妙に上手くハマってしまったのです。

なにせ他ならぬ幕府が唯一の官学とした「朱子学」の言葉ですから、これはもう憲法みたいなもので、今でいえば「主権在民」とか「戦争放棄」とかいうのと一緒で、(それホントかよ)と内心思う者がいたとしても、誰もおおっぴらには逆らえない理念なのです。

こういうとき、あたまのいリアリストは、憲法自体を否定するのではなく、「拡大解釈」をしてみせます。龍馬あたりが「開国して外国と商売して、力を蓄えて、経済力で外国に勝てば、それがリッパな攘夷ぜよ」みたいなことを言うわけですが、そんなことを言えるのはかなり頭のいいやつだけです。

たいていの単純アタマの「志士」は「幕府をやっつけるのが尊皇攘夷である」と思い込んでしまいます(いつのまにか「王」が「皇」に摩り替わっています、概念ではなく即物的な解釈になってるんです)。

日本で「夷」といえば、平安時代まで奥羽で頑張っていた蝦夷のことだったのに、これがいつのまにか米英仏などの諸外国にスリかえられました。「尊王攘夷に決まってるだろ、中国人が昔からそう言ってるんだから、これはワールドスタンダードだ」と言われると、幕府も口をモゴモゴさせるしかなく、無理な攘夷を約束させられて、どんどん立場を悪くしていく、という結果になったわけです。

尊王の反対語は佐幕ではなく、攘夷の反対語は開国ではありません。
勤皇ー佐幕
鎖国ー開国
が、敢えていえば正しい反対語概念です。尊王(君主を尊ぶという思想)と勤皇(天皇に政治の実権を取り替えすために幕府を倒そうとする行動)は全然別物であり、攘夷(外国に負けるなという思想)と鎖国(外国と付き合わないという政策)は全然別物です。

中国の元々の意味からいけば、「攘夷」の反対語は「開国」ではなく「屈服」「隷属」です。中間はないのです。「尊王攘夷!」と唱えることは、外国と仲良く付き合う、という第三の選択肢を意図的に隠し、幕府を追い詰める有効な手段となったわけです。
薩長が本気で「攘夷したい」と思ってたわけないじゃん、というのは、当然です。

古代の関東地方は、大和地方の豪族諸氏がさかんに開拓を行ないました。それにまつわる地名が探せばたくさんあります。
秦氏は、「秦野」「羽田(ハタ、がハネダになった)」「高幡」「幡ヶ谷」「鳩ヶ谷」など。
蘇我氏は、千葉の「蘇我」、小田原の近くの「曽我」
東漢氏(やまとのあや)氏は「綾瀬」(神奈川県と足立区にあります)。
春日氏は「春日部」、日下氏は「草加(クサカ、にこの字をあて、のちソウカと読まれるようになった)」
こうしてみると、なかでも帰化人(最近は渡来人というのがポリティカルコレクトらしいですが)系の諸氏が目立ちます。「新天地」への欲求が強かったと思われます。
「高麗川」も、もちろんそのひとつ。「駒込」とかもそうかもしれませんね。

念のため言っときますが、このころの帰化人(渡来人)のひとたちは「韓国・朝鮮の人達」ではありません。韓国も朝鮮も、この頃よりずーっと後になってできた国の名前ですから(もともと日本人なんて、最初はみんなどっか大陸のほうから来たんですから、帰化人の渡来人の言ったって、ちょっと早いか遅いかの違いだけですよ)

もちろん、現在そこに住んでいるヒトが、みんなその子孫、なワケはありません。千数百年も歳月があるんですから、人間は十回、二十回も入れ変わっています。

「どうする家康」の茶々は、母のお市を見捨てたって家康を恨んだりしていましたけど、あれって、理不尽な恨みですよね?

そりゃあ勿論、理不尽に決まっていますよ。そんな馬鹿な、って誰だって思いますよ。
しかし、これは「どうする家康」というドラマの世界の中で、「お市と茶々」という二人の女性の「生き方」に、どうやって理屈(整合性)を付けるか、っていう大きなテーマの中の一つのフラグであると捉えないといけない、と思います。
歴史上実在する「淀殿」には、もっと大きな「理不尽」があります。何故「父母の仇(かたき)」に間違いない秀吉に易々と靡いて、側室になったんだろう。このほうが、よっぽど理不尽じゃあないですか?


実父の浅井長政を殺したのも、義父の柴田勝家を殺したのも、母のお市を殺したのも、間違いなく秀吉です。それなのに、秀吉の子供を産み、あくまで「豊臣家」の天下に拘って天下大乱を起こし、死んでいった。淀殿ってどうしてこんな理不尽な人生を送ったのだろうか?
ドラマを作る以上、淀殿の人生の「謎」に答えるため、いろんな演出をしてきました、実はにっくき秀吉の豊臣家を乗っ取るために心を殺してきたのだ、みたいな解釈が一般的ですけど。


「どうする家康」の茶々は、この「謎」にいちばん、明確な回答を出したドラマだと言えます。つまり「秀吉より憎む者がいた」という、単純明快な、かつ「絶対、納得せざるを得ない理由」を創作したんです。
これが史実についての論文なら「捏造」「妄説」ですけど、ドラマの設定ならば「お見事!」というしかない、実にウマイ手です。
つまり、女にとっては、「愛の約束を裏切られる」ということは、何よりも憎むべきことだ、って言われれば、これはもう他人の(特に男の)どうこう言える筋合いの話ではない、そうなんですね、って納得するしかない話なんですよ。

このドラマにおいて、お市は家康の「初恋の相手」、いや「永遠の想い人」なんです(そうういうふうにドラマが最初から設定しているのだから、そうなんです)。お市は、最初の夫の浅井長政も、次の夫の柴田勝家も、実のところ愛していません。長政が信長を裏切って背後から襲おうとしている、と知ったときも「兄が危ない」よりも「家康様が危ない!」ってほうを心配しています(ドラマもういっぺん見て下さい、例の小豆袋も、信長ではなく家康に届けているんです)。
柴田勝家に至っては、まったく夫扱いしていません、まるきり家来に対する口の利き方です。柴田が秀吉を撃退してくれるなんて全く思ってません。「家康様が、必ず助けに来てくれる」ばっかり言ってるんです。
お市、ちょっと、異常です。少なくとも歴史上実在した女性とは「別人」と考えたほうがいいでしょう。これは、このドラマの中にだけ存在する「北川お市」です。


このお市の方は、小谷でも北ノ庄でも、「異常に家康のことばっかり考えている(言っている)」んです。そんな母親を、茶々は、ずっと見てきたんですよ。
家康は、きっと助けにきてくれる。だって、最愛の母に「必ず助けに行きます」と約束した男なんですから。
それを、裏切ったんですよ。徳川家康という男は。
だから母は絶望のうちに死んだ。
母の心を殺したのは、攻めて来た秀吉ではなく、助けに来なかった家康なんです。

一条天皇は「名君でありたい」という気持ちが、人一倍強い帝であったように見受けられます。

相当、勉強もしているでしょう。

とすれば、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の「事件」は、有名な話です。駄目な君主が一番やっちゃうのが「寵姫の親族を重用して、国を傾ける」ことです。

だから。

いくら中宮定子が可愛くても、いやだからこそ、その親族に対しては「より厳しく」対応しないと、名君の資格を失い、国を傾けるもとになります。

 一条天皇は、誰に唆(そその)かされなくても(道長や詮子に言われなくても)、伊周、隆家を厳罰に処さなければならない、それが王の務めだ、と考えていたはずです。

「大臣」の地位にある者が流罪になる場合「太宰権帥に左遷」というのが、お決まりです。

先例では、菅原道真、源高明がいます。いずれも実際は左遷ではなく「流罪」です。大宰府での仕事は一切なく、軟禁されているだけです。
 
「左遷」と「流罪」の間にはグラデーションがあるし、流罪といっても様々です。
「平清盛」の藤原成親(鹿ケ谷の陰謀)のように、流罪先で監禁され餓死させられた者もいれば。
源頼朝のように、流罪先でわりと好き勝手に行動して、現地の豪族の娘とねんごろになり、子供まで作ったりできる例もあります。

菅原道真は衰弱して、病気になって現地で没してますので、「厳しいほうの流罪」です。
源高明も、ドラマでは娘の明子女王があんなに執念深く兼家を呪詛してたくらいだから、それこそ菅公や崇徳院のように流罪先で死んだのか、と思いきや。実はしばらくして京都に帰り、隠遁生活をしてたんですね。つまり殺されたわけじゃあない(それであんなに、自分の身体を犠牲にするほど呪詛するかなあ、とも思いましたが、まあそこは、ドラマの設定ですから)。

伊周も、数年で京都に帰ってきて、内大臣には戻れぬものの、準大臣の待遇を貰って、「儀同三司」と名乗って、まあまあ元気に?暮らしてるわけです。
弟の隆家は、出雲に流罪になったはずなのに、病気を理由に但馬あたりでグズグズしていました。のちに許されて京都復帰しますが、九州に唐の名医がいると聞いて、大宰権帥に志願して、すったもんだの末にようやく赴任し、「刀伊の入寇」のときに戦闘で活躍しています。

古くは、奈良時代の藤原広嗣が、左遷先の大宰府で兵を集めて乱を起こしたって例もあるし。「大宰府に左遷」と一言で言っても、扱いはその都度、全然違う、ってことですね。
伊周、隆家の流罪は「けっこう甘いほう」だった、と言えます。一条天皇としては「示しをつける」必要は絶対にあったけど、中宮の兄弟でもあるし、ってことで、かなり軽めに済ませた、と言えるかも知れません。

古くは、奈良時代の藤原広嗣が、左遷先の大宰府で兵を集めて乱を起こしたって例もあるし。「大宰府に左遷」と一言で言っても、扱いはその都度、全然違う、ってことですね。
伊周、隆家の流罪は「けっこう甘いほう」だった、と言えます。一条天皇としては「示しをつける」必要は絶対にあったけど、中宮の兄弟でもあるし、ってことで、かなり軽めに済ませた、と言えるかも知れません。

 

 

 

#不死身ラヴァーズ


松居大吾監督、見上愛さんアフタートークつき上映。舞台写真は撮れなかったが、監督のサインは貰った。


先週、オールナイトで松居監督の映画を3本観て、なるほどこれは油断ならんぞ、と覚悟して来たが。いやあ期待を上回るトリッキーな恋愛えいが、いや人生映画だよこれは。


見上さん、物凄く、いい。トーク聞いてもやたらポジティブな笑顔。

しかし、原作漫画は、主人王が男なんだよ。ちょっとびっくりした。

Mたあとで、しつこく語ると思います。

先日、映画館で、劇団☆新感線の芝居「狐晴明九尾狩」の映像(ゲキシネ、というやつです)をやっていたので、これは、と思って見に行きました。五年くらい前の舞台かな。中村倫也が安倍晴明、吉岡里帆が狐の役で「うどん美味しい」って言ってました(時事ネタなので、今見ると懐かしい)。

この安倍晴明(せいめい)は若くで爽やかでアクティブでカッコよくて、後世ユースケサンタマリアさんの安倍晴明(はるあきら)になるイメージはほとんど湧かなかった(笑)んですが(陰陽師0の山﨑健人には結構感じたんですが)。

それより収穫だったのは、この舞台には、竜星涼さんが、気のいい暴れ者の役で出演していたことです。ワイルドなアクションをこなす、ああこんなに豪快な役者なのか、と始めて知りました。

いいすね、隆家。

いや、歴史人物としてはダメだけど。流星涼さんのこの役は、いいです。

大河で「急遽、代役に立つのは、ハネるチャンス」です。「麒麟が来る」の川口春奈サンがそれでした(今やCM女王だ)。

流星涼さんも、来そうだな(いや、もうすでに来てるか?)

「花より男子」は、日本人の半分くらいは知っているはずです。 

原作漫画は読んでなくても、井上真央主演のテレビドラマは物凄い人気だったし、映画も大ヒットしてますから。

 「F4」というのが、このドラマのドラ息子たち、自称・花の四人組のこと、というのは、(ある年代以上の)テレビ好きの人ならば、知っているでしょう、多分。 
で、このドラマでF4のリーダー格の道明寺司を演じたのが松本潤(どうする家康)、恋のライバルになる花沢類を演じたのが小栗旬(鎌倉殿の13人)、この2人が井上真央(花燃ゆ)を取り合う、というのが「花より男子」です。
 ちなみに、「光る君へ」の4人組を「F4」と呼びはじめたのは、一説には、またも「はんにゃ金田さん」だと言われています(最初かどうかは知らんけど、広めたのは間違いなく金田さんのYouTube)。
俺たちみんな藤原だから、FUJIWARA 4で、F4だぜ、ってことです。
 金田さん、大河ドラマに出演できたのが、嬉しくてしょーがないんですよ、微笑ましい程に、ありありとわかりますよ。
 当然、直近の大河主演の小栗旬や松本潤を、かなり意識してるはずです、金田さん。俺もいよいよ、小栗松本級の時代劇俳優に…なれるかな…なりたいなあ…?みたいな野望?が、新「F4」という自称には込められている、と見ます。
F4メンバーである、ということは、大河の常連の仲間入り!いずれは主演も夢じゃない!ってことなんですよ。

 斉信の出番、来週の回には、かなりありそうです。