道長の議会運営は、なかなか上手い、と言えましょう。
まず、一条天皇に対する好感度を上げること。帝の前で「関白にはなりたくありません」ときっぱり言い切ったのは、良かった。関白になってしまうと閣議に出られない、私は皆と話し合いながら政(まつりごと)がしたい。嘘でも建前でもなく、本当の話だから、説得力がある。
関白、関白と青筋立てて連呼していた道隆・伊周父子に正直うんざりしていた帝には、ポイントが高い。
やっぱ、道長を内覧にして良かった、と思わせれば、もう、こっちのものです。
あとは、できる限り帝を立てる。
道長は、閣議で議案を出すとき「俺はこうしたい」ではなく、「帝がこう仰っている」と言っている。帝の信用を獲得し、これができるようになったのは大きい。
朝廷で「反感を買わない」というのは、とっても重要です。そのためには「独裁者にならない」こと。少なくとも、独裁者と思われないようにすること、です。
すでに、伊周と道長の差は歴然です。
先週、母の詮子にどんなに粘られても、結局「私は、伊周を関白にします!」と言い切って去った一条天皇が、一晩あけたら、道長を内覧にしていた。
なんで? 何があった?
私が思うに、ですが、伊周の評判がすこぶる悪いことは、帝も内心では分かっていたのでは、と思います。
しかし、一度決めたことを周囲に言われて変えるのは、帝の沽券に関わる、ましてや母に屈したというのは情けなさ過ぎる。
だから意見を変えずに立ち去った。
一晩で考えを変えたのは、「伊周を関白にしたら、それこそ中宮の言いなりになることではないのか?」って思い至ったからではないか。
従来、花山院襲撃事件で伊周が失脚した事件は、道長が仕組んだ陰謀、と思い込んでいる人も多かったですが、このドラマでは、全く違います。
伊周の処罰は、完全に一条天皇の主導になりそうです。
一条天皇は「名君でありたい」という気持ちが、人一倍強い帝であったように見受けられます。
相当、歴史の勉強もしているでしょう。
とすれば、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の「事件」は、有名な話です。
駄目な君主が一番やっちゃいがち、なのが「寵姫の親族を重用して、国を傾ける」ことです、
だから。
いくら中宮定子が可愛くても、いやだからこそ、その親族に対しては「より厳しく」対応しないと、名君の資格を失い、国を傾けるもとになります。
一条天皇は、誰に唆(そその)かされなくても(道長や詮子に言われなくても)、伊周、隆家を厳罰に処さなければならない、それが王の務めだ、と考えているはずです。