12月10日「南京からの声を聞く集い」模様

 12月10日午後6時15分~静岡労政会館において、映画「侵略」上映委員会主

催による、12・10南京大虐殺82周年南京からの声を聞く集いが開催され、約60

名の参加がありました。 

 集会は山村さんのあいさつで始まり、1993年に映画「侵略」上映委員会制作の

「消えた14777人~南京大虐殺の真相を追って」が上映されました。内容は南京

での大量の捕虜虐殺と、その捕虜収容所を初めて見つけ出すものでした。

 その後、主催者の森さんからは、「南京大虐殺の証言者の多くはもう他界されて

いるが、この事実は語り続けなくてはならない」などのあいさつがありました。

続いて中国の遺族の葛鳳謹グ フォンジンさんからは、1937年12月13日、日

本軍は南京占領で虐殺を繰り返した。

 母方の叔父や医師と共に暮らしていたが、日本軍がやって来たので南京に逃

げました。

 日本兵は無茶なことはしないだろうと思ったが翌日叔父が心配で家に戻りまし

た。

 そして、3~4人の日本兵が家になだれ込んできた。叔父は早く難民区に逃げ

ろと言った。 

 おばあちゃんは叔父が心配で様子を見に行ったが、叔父は家の中で倒れて

いました。叔父はすさまじい死に方だった。

12月12日に下関に食料の買い出しに出たが、家に戻ることはできなかった。

 叔父を探しに行ったが、河は赤く染まっていました。多くの死体の山でした。

 しかし、叔父の死体は見つからなかった。

 父方の叔父は12月に仕事に出たが、城門は閉まっていた。

 家にはおばあちゃんと妻と子供が残されました。大黒柱を殺された老人と

子供は食べ物にも事欠くようになった。おばあちゃんは数年後に死亡しまし

た。日本兵は国際安全区に私たちを引き立てた。

日本兵は銃剣と軍刀を提げていて、大声でわめいていた。

 日本兵の一人が父親を銃剣で刺した。

 私は殺されることはなかったが、傷口は今でも残っています。

三人の家族が殺されたショックでおじいちゃんは病気になる。

 残った家族は生き延びるに必死だった。

 南京大虐殺から82年。決して忘れることはできない。

 大虐殺を見てきた父親は高齢になったが、今もその時のこ

とを語る。

 歴史を記憶するだけではいけない。

 この真相をより多くの人に語っていきたい。

 私は聞くこと、学ぶこと、多くの人に話す事でこのような悲

惨な出来事が再び吹引き起こされないようにしたい。

 南京記念館の人と広島を訪れた。

 出会った会場で日本兵の息子さんがこう言った。「三人の

中国人を殺した」と父親がいったが、今は知る由もない。

 日本兵の末裔として懺悔の気持ちを持って謝罪をすべき

だ。

 私は被害者の末裔。私たち二人は共に歴史の真相を伝え

る友人だ。

 より多くの若い人に歴史を知ってもらいたい。

 世界のどこでも戦争が起こらない事を祈っています。とグ

さんは結びました。

そして、南京大虐殺研究センターの孫(ソン・ジャイウェイ)

さんからは、中国人の立場から今まで語れることがなかっ

た南京防衛戦について語られました。

 南京大虐殺は南京防衛戦と共にあった。

 防衛戦で中国兵8万~9万は武器を放棄した。その後

虐殺された。

 日本軍にとって中国の首都南京攻略は重要な目標で

あった。

 日本の松井石根は蒋介石を倒すには南京攻略しかな

いと言っていた。

 12月1日には彼は天皇の命令「南京を占領せよ」を持

参する。

 日中合計30万人を動員しての戦いで、中国側は15万

人で防衛、日本側10万人強で南京を攻略。

 防衛軍は二つに分け、松井岩根らは三方に分かれて

戦った。

 左翼方面は長江に沿って南京城を包囲。

 紫金山、中華門等で激戦を展開。

 12月4日、両軍は激突しました。

  日本軍の右翼側では三日三晩の戦闘があり、両軍は弾

薬が尽きるまで戦い、日本軍は肉弾を持って攻略しようとし

ました。

この戦闘では中国側で生き残ったのは1人のみでした。

 中国側は退却するばかりだった。

 その後我々は日本軍の突撃と戦い、10数回の攻撃を

退けました。

 12月8日、防衛隊司令官は最終陣地に撤退するよう

指示を出す。

 防衛軍は最後まで戦うよう命令を下し、城壁を中心と

した戦いへ。

 手榴弾を投げ続け防衛しようとしました。

 特攻隊を編成し、日本軍にも多くの被害があった。

 城門の下にいた日本兵を攻撃し、全滅するまで戦い

ました。

 日本軍で275名戦死した所もあり、雨下台と中華

門が激戦地でした。

 防衛戦は10日間であった。

 防衛軍はバラバラになり捕虜となった。

 中国側の死者は10万人。全体の3/2に当たる。

 

抗日戦争の中では誠に遺憾の戦いであった。

 捕虜も抵抗を試みて、幕府山で2000名が助かった。

 防衛戦は失敗しましたが、抗日戦では正面からの戦

いであった。

 そしてこの戦いの教訓は後に大きな影響を与えまし

た。

 不屈の精神を多くの人々に伝えました。

 そして、徐州会戦で50万の中国兵が移動に成功し

ました。

 

多くの失策がありましたが、勇敢さもあった。

 日本の右翼が大虐殺はなかったとウソぶいてい

るが、30万人の虐殺はれっきとした事実です。

 真実を多くの人に知ってもらいたい。

 日本の軍国主義復活を許さない。

 「中日の民衆の友好が続くことを願ってます」

と結びました。

 質疑・討論も含め概ね以上のような集会でした。

 グさんからは、広島の子供を加害者の末裔、私

は被害者の末裔。私たち二人は共に歴史の真相

を伝える友人だ。と述べ印象深かったです。

 ソンさんからは、今まで聞いたことのなかった南

京防衛戦という新鮮な事柄を語ってくれました。

 通訳も含め、「消えた14777人南京大虐殺の

真相を追って」のDVDを高く評価してくれたのは

当事者として嬉しかったです。

 なお、中国側5人にはこのDVDをプレゼントし

ました。