徳島県徳島市春日 石碑 こんにゃく橋。 | 水辺の土木遺産

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水辺の土木遺産、冠水橋や流れ橋、石橋やレンガ樋門など、自転車で見て回りながら、ついでに狛犬なんかも追いかけています。

潜水橋を渡った後は、徳島市街を目指します。
事前に調べた通りなら、途中の土手の上か下かに、案内看板か何かがあるはずなのですが……。

雨の中、河川敷に降りるのは少し気がめいるなぁ……なんて、思っていると、
ありがたいことに土手の上に探していたものがありました。

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こんにゃく橋の石碑。
場所はこちら。

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こちらが石碑のアップですが、せっかくなので全文を写しておきましょう。

【こんにゃく橋】
板を渡ると板はたわみ、板の高さの多少の違いや板の並べ方などによって、
橋全体がうねうねといざったところから、こんにゃく橋と通称されるようになった。

〈こんにゃく橋の歴史〉
一.大正8年頃、「浜高房の渡し」の廃止に伴い、地元の有志が松杭2本に横木を付け、板を互い違いに渡した簡単な橋であった。幅約60cm、長さ約100m。
二.昭和36年コンクリート橋脚になる。
三.昭和40年徳島市管理となる。長さ209.7m。
四.平成19年3月撤去。

渡しも流れ橋は好きですが、石碑に残されるほどの流れ橋ということになると、ここ以外では岡谷のびったら橋くらいしか記憶にありません。

渡し船が廃止になった後、地元有志によって作られた100mでも驚異的ですが、廃止前には200m余りで幅員はおそらくそのままか、良くても人がぎりぎりすれ違えたかどうかといった程度でしょう。

この橋の規模について補足するなら、地図で石碑の場所を見ると、普通に橋を架ける場合は川幅の狭い場所を選ぶものですが、むしろ川幅の広い場所を選んでかけたようにさえ見える不思議な立地条件です。

渡し船の代わりに、渡し船の渡されていた箇所に設けられたということであれば、あまりに浅すぎても船をこぐのは難しくなるし、往復の労力を考えても、川幅の狭いほうが楽でしょうから、どちらかといえば有志の人間が水量の少ない時期に自分の手で松杭を打ち込んで橋を渡すのに適しているという意味で、浅い場所を選んだように思われます。

まぁ、そんなことはどうでも良いんです。
名前の由来も良い感じだし、こうして石碑が残されるほど地元の人間の心に残った流れ橋。
見てみたかったなぁ……。

そんなこんにゃく橋に思いをはせながら、この場所でホテル検索。
スマホから予約したホテルに……向かうつもりで別のホテルに行ってしまい、余計な回り道をしながらも、辺りが真っ暗になる前にはホテルにチェックイン。コンビニ弁当の夕飯を食べて、この日は泥のように眠りこけました。

初日はまったりと走りつつ、徳島ツーリング二日目に移ります。