[雑記] スーパーマリオランの金額是非について | 詩音 靜の「NECコンシューマ機のゲームをとことん愛でよう」

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PCエンジン、PC-FXメインの日記
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ときどきFANKSなことも書いていきます。

発表当時から1200円は高いか安いかという話があったが、2016/12/16(日本時間)にリリースされてからまた再燃したようです。

 

今回、当方もダウンロード、すでに購入しました。

 

以降、私見として書いていきます。

ゲームレビューではありませんので、あしからず。

 

ゲームボリュームはコンシューマ向けのマリオシリーズからしたら少なめ。

ただし、他のユーザーとの競争が可能なため、本編とは別にやりこみ要素がある。

 

コンシューマと同じ目線で見るなら、1200円は「かなり安い」。

 

他の「基本無料」とは方向性が違う。

1200円払えば全部遊べる安心感を買うのである。

 

「基本無料」ゲームは、ユーザー目線からしたら「時間を買う」のである。

 

常に無料だけでプレイして貯める「石(よく使われる総称なので、これで統一)」を購入し、さっさとガチャを回し、ユニットなどを強化する。

この貯める時間を購入すると考えればしっくり来ると思う。

 

 

それでは本題の、高いと言っている人たちはなぜ高いと言っているのか?

 

それは、「無料」に慣れてしまっているから。

 

この「無料」に慣れた根底はどこにあるかと想像したら、DSのマジコンに行き着くのではないかと。


子供にマジコンを与えた親や、その下の今の世代の親がゲームにお金を出したくないからワーワー騒いでるのは容易に想像がつくし、子供の頃から「無料」で育てられてしまったら当然大きくなった今でもワーワー騒ぐのも当然。

 

自分も、当時幼稚園か小学校低学年の子供がいる親に、マジコンがどこで売ってるか、買ってきてもらえないかと聞かれたことがあるので、その浸透度は本当にすごかったと記憶している。

 

 

「たかがゲームにお金を出すのはおかしい」という風潮が、ゲームを開発するメーカーへの冒涜であり、経済を停滞させる一助になっているということがわからない残念な人達で溢れかえってると思うと、本当に残念である。

 

 

決して懐古すればいいというわけではないが、今でもレトロゲームを扱っている親たちは、ものを買うことの意味をちゃんと理解していると思う。

そして、それを子どもたちにちゃんと伝えようとしている。

少なくとも自分の周りでは。

 

 

まずは、なんでもただで手に入れられると思っているその考え方を改めさせるきっかけが必要だし、ちゃんと理解させることが必要な時代になってしまったのかもしれない。