3年くらい前の話ですが 台東区にある 谷中霊園 を訪れました。
はい。墓地でございます。
しかし、ただの墓地ではございません。
ミシュラングリーンガイド2015で二つ星の評価を得ている墓地でございますヨ。
桜の名所でもあり
ソメイヨシノと それより少し開花が遅い鬱金桜も沢山あるらしいので
今頃は綺麗に咲いているかもしれませんね~。
さて
谷中霊園 の約10ヘクタールの園内には
およそ7000基のお墓があるのだそうです。
横山大観、森繁久彌、渋沢栄一 などなど
多くの著名人も眠っています。
この日は 15代将軍 徳川慶喜公の墓所 を訪ねました。
ところで、先ほど書いたように 谷中霊園 はとっても広い。
きちんと区画が整理されていて、標識も立っているのですが
ある程度調べていかないと なかなか辿り着けない・・・なんてこともあるかも。
でも、霊園の管理事務所を起点にすれば
徳川慶喜のお墓まで矢印で道案内があるので助かりますよ。
そして こちらが 徳川慶喜公の墓所 になります。
しっかりとした鉄の柵に囲まれていて、中に入ることはできません。
鉄柵には 葵の紋。
ずっと徳川家の葵紋は一様だと思ってましたが
初代将軍・家康の時代から微妙に、微妙に変化を経て
↑15代将軍・慶喜の時代の葵紋になっていたのですね。
柵の中を覗いてみますと 正面に石碑。
その奥に特徴的な形のお墓が2つ。
向かって左側が徳川慶喜公のお墓です。
手前の石碑で隠れちゃってますが
従一位勲一等徳川慶喜之墓 と刻まれています。
慶喜公は生前、明治天皇から「従一位勲一等高公爵位」という位を授かり
それにいたく感激。
そして自身の葬儀は仏式ではなく、皇族と同じ神式で行うように命令したのだとか。
そのため、お墓もこのように神式の葺石円墳なのだそうです。
その隣には 正室 美賀子のお墓。
美賀子はとっても美人だったようですね。
そして、慶喜との仲はあまりよろしくなかったんだとか。
柵の中には 他にもいくつかのお墓があって
慶喜の側室や子供たちが眠っているそうです。
私が訪れたのと同じタイミングで
外国人が1名、ガイドさんを伴って来ていました。
ちゃんとお花まで準備して来ていましたよ。↑
日本史に興味がある方なんでしょうかね。
ところで
何年か前、とあるテレビ番組で一般人のおばあちゃんが
「子供のころ、徳川慶喜を実際に見たことがある。」と言っていたのが衝撃的でした。
「将軍」とか聞くと 歴史があまり得意ではない私は
遥か遠い遠い遠~い昔の事のように思いますが
慶喜が亡くなったのは大正時代なんですもんね。
実はそこまで昔の話じゃないんですね。