民生委員になってペット問題に遭遇した。80代後半の男性は、見るからに衰えた猫ちゃんとの二人暮らし。生ゴミの日に、難儀そうな振る舞いを目撃して代行を申し出た。実際、三軒ほど週2回の生ゴミの日に、高齢者の代わりに私はゴミ捨てをしていた。そのNさんは「少しでも動かないと身体がダメになるから…」と断られた。ただ、一つ悩み事があり、それはもう施設に入りたいけど、愛猫と別れるのは辛い!と。そこで「一緒に入居できる施設を探してみます」と、日南市福祉長寿課に相談。すると、宮崎県都城市に一軒だけあった。住宅型有料老人ホーム平屋建て。35室あり、介護保険付きだから、要介護4なら、1割負担30936円。2割負担なら61876円。3割負担92814円。元海運業界の船員だったNさんなら、年金から出せる金額だった。

 犬猫の平均寿命は14~15年。Nさんの愛猫も12年少しで、いつ見ても床に横たわっていた。愛猫同居できる施設が見つかったが、Nさんは今ひとつ心が動かない。要は、生まれ育った日南市を離れたくない。やはり、この地で終末を猫と一緒に迎えたい。その思いがひしひしと伝わってきた。

 高齢者とペット問題は、社会現象でもある。朝日新聞の記事にあったが、2010年半ば頃から、ペット業界が「犬を飼うと健康寿命が延びる!」キャンペーンをはじめた。もちろん、犬だけじゃなく猫も同じて「サプリメント(高齢者にとって)と思えばいい!」なる業界関係者の暴言も出た。

 問題は、飼い主亡き後をどうするかだ。Nさん今年亡くなったが、自宅には、3日間、飼い主不在でもエサが出る自動エサ器が置いてあった。よく、検査入院していたNさんなりの解決策だったのだろう。その後、老猫は知人に引き取られたが、飼い主のNさんを追うように召された。

 犬猫を飼う高齢者にとって、我が子が巣立っと、老後にはペットが新たな家族となる。その絆は断ち難いものなのだろう。私は、新たなパートナーだけで、ペットは必要としないが、たぶん「ペットと高齢者福祉」という新たな関係性が問われる社会となるのでしょう。そこには、ペットも高齢者も幸せになる!という方策を作らないといけない大問題がある。

 

 サンデー毎日の高齢者にあるのは、お金ではなく自由な時間だ。ただ、人にはいつ何が起こるか分からないことは理解しているから、限りある命の時間だけは無駄にしない!と常に肝に銘じている。

 朝日新聞編集委員の近藤康太郎さんの「百冊で耕す」なる本を図書館で借りて読んだ。自分の本棚に、国内外の名著を百冊。近藤さんの百冊と重なるのはほとんどない。まあ、古典的な名作はほとんど読んでないから仕方ない。長く、仕事のための読書ばかりしてきたから、芥川龍之介、夏目漱石、森鴎外も一冊くらいしか読んでない。この本で一番共感したのは「勉強は終わりがない」こと。つまり、本を読むことが勉強のひとつだとすれば、読書だけは自信を持って続けられる。

「本を読むことは、孤独に耐えられるということ。本読みは、人を愛せる。本があれば何とか生きられる人は必ずしも愛されることを必要としない。ただ、人を愛することができる」と近藤さん。そして「人を愛する人こそ、自分を幸せにする人。自分を愛するのが幸せではない。なぜ本を読むか?幸せになるためだ。幸せな人とは本を読む人のこと」と言う。なるほど…。

 太宰治も、読書とは「むごいエゴイストにならないため」だと言っている。確かに、インプットがあってアウトプットができる。仕事ではなく、楽しむための読書になってから、スーッと頭に入りやすくなった気がする。電子新聞と図書館での各紙閲覧だから、常にメモしながらの読書となる。自分の本ならドッグイヤーといって、本の上端、下端を三角に折ることもする。赤線も引く。だが、借り物の読書だと、ノートに書き写すしかない。この手間が勉強だと私は思う。

 評論家の内田樹さんも、無知とは知識の欠如ではなく、ジャンクな情報で頭がギッシリと詰まっていて新しい情報の入力ができない状態のこと。勉強による学びとは、入力がある度にそれを容れる器そのものの形状や容積が変化してゆくことだと…。納得だ。

 近藤さんは「本の世界から外界に出る。世間に戻る。それは「書く」という行為だとも。ネットだろうがインプットしたものを発表することなんですね。

 高齢者にとって、読書という勉強を焦らず騒がずにできるって、こんな安上がりで贅沢なものはない!それこそが勉強なのだと思う。

 

「血圧が高いですよ!このままだと、いつかライブステージで倒れることも…」風邪で近所の医院で高校の1つ下の医師から言われた。考えておくわ!と答えた。すぐに昔取材した免疫学の大家だった故・安保徹さんの著書を引っ張り出して調べた。私が40代初頭の頃。インタビュー後に、同席したカメラマンの血圧の話になった。私より一つ下のカメラマンは150あり、医者から降圧剤をすすめられた。安保さんは「私が医学生の時に、血圧の正常値は年齢に90を足しなさいと教わりました」と答えた。確かに、40歳のカメラマンなら130が目安だ。安保さんは、暴飲暴食の彼に、まず食生活と適度な運動をしてから医師に相談したら?とアドバイスしてくれた。

 日本人の2千400万人近くが降圧剤を飲んでいる高血圧大国。140くらいから医師は降圧剤をすすめる。でも、安保さんは「年を取ると血管が硬くなります。すると、血圧を若い頃より少し高めにして、抹消まで血液を押し出さないといけない。降圧剤を続けると、脳に血流が回らなくなり早く認知症の症状が出てしまいます」と言った。そして、当時は聞き流したが、降圧剤を飲み続けている人は、白内障、緑内障に罹りやすいとも。確かに、血流不足になれば、目や脳、腎臓にダメージがくるのは素人でも分かる。

 安保さんの「年齢プラス90」法則でいうと、古希の私は160で年相応の数字だ。高校の後輩医師の168の私の血圧に心配してくれるのは有り難いが老人なんだからいいんじゃないか!?と医者嫌いの私は自己判断した。ただ、気になったのが「ステージで倒れたらもうギター弾けませんよ!」のひと言だった。

 もう一人、お会いしたことはないが、信頼している精神科医の和田秀樹さんも、血圧170あり、心不全でもあり、降圧剤を服用したが!頭がフラフラして力がわかない!と、140まで下げているそうだ。何か気分的な面もあり、身体が火照るような息苦しい思いもあり、最後は主従医に相談した。

「倒れる!危険性を一日一錠のクスリで回避できるなら飲み続けた方がよくないですか?」

 好きな音楽をプレイしながら、舞台で死ねるなら本望!とは、さすがに決断できない。まだまだ、後10年は現役でいたい!そう思い降圧剤を飲み出した。

それまで、160~180あった血圧も120代に落ち着いた。私たち、高齢者が外食ランチした後には、全員がバッグからクスリを取り出して飲む光景を冷めた目で見ていた私もその仲間となってしまった(笑)

 まあ、70年も生きていれば、身体のどこかにガタもくる。今は従容たる態度で応対している。

 

 橋幸夫さんが引退宣言を撤回して、再び歌手業に戻るそうだ。昨年の5月の宣言を、私は好意的に受け止めた。御三家(橋幸夫、船木一夫、西郷輝彦)の中では一番歌が上手かった。2021年「この道を真っすぐに」の新譜を聴いた時、すでに往年の張りのある艶かな声はもうなかった。だから、昨年の引退宣言には納得していたのに…。

「ファンの後押しで背中を押されて浅はかな血断(引退宣言が)だった。声が出なくなるまで歌い続けたい」と語る。そりゃあ、長年のファンは、憧れの歌手を見て歌声を聴けることに満足する。分かる人なら、昔より音量も声の張りも衰えたことを分かる。でも、大方が憧れの人が目の前にいるだけで質は問わない。それが真のファン道なのでしょう。

 私が小学生の頃、「いつでも夢を」「雨の中の二人」には魅せられた。その頃の歌唱力を知るがゆえに、年齢と共に落ちていく声の張りに寂しい思いを抱いてきた。それは、音楽をプレイする世界に私を導いてくれた加山雄三さんも同じ。80歳を過ぎてからは年々無残な状態だった。劣えるとはこういう事だと知らされた。だから、今回の橋幸夫さんの選択には否定的だ。

 ピアニストから朝日新聞記者になり、現在は編集委員の吉田純子さんが音楽家の記事の事を書いていた。音楽家、ダンサーは音や身体という特殊な言語で魂を表現して生きている。年齢と共に変化する己の肉体に、静かに対峙する。内面の深まりも、筋肉の衰えも待ってはくれない。観客には、いつまでも華の夢を託し続けられる。そういう仕事だ。吉田記者は、19歳の最年少でパリ・オペラ座のエトワールになったダンサー、シルヴィギエムの記事をこう書いた。

「自身が自分に対する一番厳しい批評家であること。常に自分で人生を選択し変わっていく自分に責任を持つこと」と語りギエムさんは50歳で引退した。

 橋さんと御三家仲間だった船木一夫さんの「コンサート2023ファイナル」をアップルで聴いた。もう聴けたものじゃない。あの美声はなく、空気が漏れて音程も危なっかしい。私も、師匠・加山雄三さんの晩年の新譜は聴きたくない。芸術家は、老害を晒してはいけない。いくら、固定ファンがいても、自分自身が昔とは違い、もう小手先のごまかしも通じなくなったら潔く身を引くべき!橋さんは選択を誤った!と私は思いますよ!

 

 健康食品漬けになった私たちの生活。BS放送なんて、再放送番組と健康食品広告でしかない。

 さて、「紅麹」問題です。小さい頃から丸み屋食品の「すき焼きふりかけ」が大好きで、今でも私の食卓の片隅に必ず置いてある。小学生の頃には、このふりかけの中に8マンのシールが入っていた。このシール欲しさで買ってもらった。以後、60年以上愛用しているが身体に何の異変もなかった。

「紅麹」が騒がれだしてふりかけにこの「紅麹」が食材として使われているのを知った。詳細が少しずつ解明してきて、紅麹を作るときに異常菌が混入したみたいだ。  

「何なのよ、どこから来たのプベルル酸」(朝日川柳)

「すき焼きふりかけ」もこの異常菌がなければ…と今も食べている。

「ラジオ深夜便」の五木寛之さんコーナーで知ったが、現代人の食養生は、「何をどう食べるか」につきる。だから、人はこの食品が健康に良い!と言われるとすぐに飛びつく。健康食品の類とは無縁の96歳になる母親が毎日食べるのがりんご。

「一日一個のりんごで医者いらず!」と昔から知られた言い伝えは、あながち間違ってない気がする。ただ、五木さんは「太りやすいかどうかとなる観点に限定すれば、果物に含まれる果糖の方が砂糖やお米よりも高く危険だ」とも。  卵も以前は「コレステロールが多いから一日に一個まで…」と言われたのも今は問題なし!肉にしても、高齢者こそどんどん食べなさい!の時代です。

 96歳の母親のメニューは、りんご以外に、肉と魚を交互に作っています。月に一度の検診に連れていくとかかりつけ医からも何の問題もないです!と太鼓判を受ける。帰郷した時に飲んでいた血圧のクスリも一年前が から不用になった。問題はやはり、農薬や遺伝子組み換えの品種の食品でないものをどう選ぶかでしょう。そうなると、安全な卵や国産大豆、無農薬野菜なら安全なのか。そこが、そう簡単にはいかない。

 五木さんは、問題なのは「食べ方」になってくると。よく噛んで腹八分目を心がけながら、いろんなものを少しずつ食べることだと。確かに受け身の健康対処ですが、五木寛之さんは「腹八分目」(後期高齢者なら七分目でも可)と一緒に「よく噛む」ことだと。そう言えば95歳で亡くなった父親は30回は咀嚼していました。私はその三分の一で飲み込む早食い。五木さんは90歳になられても白髪の食養生でいらっしゃる。

 当然ですが、大好きなふりかけは以前ほど毎日ではなく2~3日に一回にして食べています。高齢者になったら好きな食べ物を止めるのではなく腹八分の生き方で良い!と思うのです。