『アール・ブリュット 動く動画』展に関するラジオでの辻自身の発言より
私の普段の仕事はキャメラマンをやっております。テレビのドキュメンタリーや劇映画の撮影を担当する人間です。
5年位前でしたか、滋賀県にあるびわ湖博物館というところでアール・ブリュットの作品を展示しておりまして、それと偶然出会ったのです。その時まで私は恥ずかしながら、アール・ブリュットという言葉もよく知らなかったのです。聞いたことはあっても、意味はよく分からないような人間だったんですが、そこで出会った作品、それが私を非常に驚かせまして。その時展示されていたのは澤田真一さんという方の、陶器というか、焼き物の立体作品だったんですが、テーマをこちらに語り掛けてくるわけでもなく、ただ力強く立っているような佇まいに、ひどくびっくりしたんですね。それからアール・ブリュットというものに興味を持って、これはなんだということで調べ出すと、そこにいろんな世界があることが分かってきたんです。それで、これは面白いと思って、他のアール・ブリュットと言われる絵画作品なども調べてみて、その当時はネットでもそんなにたくさん出てくるわけではなかったんですけど、見ているうちに、これはもしかして、私は普段、映像撮影の仕事をしていますので、アール・ブリュットの作品をカメラで撮ったらすごく面白いのではないかと思いだしたんです。なぜかというと、アール・ブリュットを作っていらっしゃる方々は、自分の作品を自分の言葉であるいは自分の明確な制作意図をもって語ることをされない方々なんですよね。その分、作品の中に内包されているすごいエネルギー、パワー、私が衝撃を受けたパワーですよね。それが作品の中に密かにみなぎっている、それをピンと感じたのです。それで、その内包されているパワーをなんとしても解き放って、私が個人的に受けたような衝撃を、映像を使うことによってもっと多くの人に知ってもらいたい、衝撃を共有したい、という気持ちがどんどん膨らんできたんですよね。
しかし、具体的にはどうすればよいか、ということが分からず悶々としている時期が3年くらい続きまして、そうこうしているうちに、出口のアテもなく自分で作品を撮影しだしたりしたんですけど、その時にボーダレス・アートミュージアムNO-MAからキュレーター公募の知らせがあったんです。アール・ブリュットに興味持ちだしてから、研究のためにNO-MAには2,3度行ったことがあって。これだ、と思ったんです。
はじめはアール・ブリュット作品の持つ力というのを十全に見せる番組は出来ないか、と、自分のフィールドであるテレビ番組の企画で考えていたんですけど、テレビだと障害を持つ作り手の方にフォーカスしたヒューマンドキュメンタリーだと企画は通りやすく、実際に障害者アートを作る人たちを取材しただけの安易な発想の番組はいくつも存在していたのですが、作品自体の持つ暴力的と言ってもいい力を映像で引き出す番組、というテーマでプレゼンすると全く相手にされず、門前払いが続いたのでやっぱりこれはテレビ向きじゃない、やっぱり美術館のような「作品そのもの」を見せるための場所で、何とか発表できないか、とぼんやり思っていたんです。そういう意味ではNO-MAの企画展公募は「渡りに舟」でした。企画ははっきり言って審査に通る、という根拠のない自信がありましたから。
『アール・ブリュット 動く壁画』というテーマに関しては、まず、私が心を惹かれたアール・ブリュットの絵の作品の中に、もともと「動き」というものを感じていたんですよね。そもそも洞窟壁画というものが昔から好きでして、太古の洞窟壁画には当時の狩猟対象、あるいは神聖だと思われていたかもしれない野生動物の絵がたくさん描かれているんですが、私なりに、それを見ていた当時の人々は、これを単純に絵として見ていたんじゃないんだろうなという思いがあったんです。つまり、それらの絵は動いていたんだろう、と。私が映像をやっている人間だということもあるのでしょうが、昔の人は当然ランプをかざしてみるしか方法がなかったんだと思うんです。当然、洞窟には風が吹いています。今回の展示にも音響効果で風の音など入っていますが、ランプの炎は揺れます。当時のランプの炎の材料は、これはもうほとんどわかっているんですが、獣脂。つまり自分たちで獲った動物の油を使って、ランプを作っていたんですね。自分たちが殺めた動物の油で灯されたランプで、殺めた当の動物たちを描いている、と。それを揺らぐランプの灯りで見て歩く、と。そうすると、たぶん間違いなくそれは動いていたんですね。つまり壁画というのは、そもそもが動いていたんだと。そこから考えて、やっぱりアール・ブリュットの作家の作品、これにもう動きがあると。これはもう動かしたい、と。人間の根源的な欲求というか、描かずにはいられない衝動というものが作品にはあるだろうと。それを映像で撮ることで、今一度、この現代に、昔の二万年前の人はランプの炎の力で見ることが出来ていた映像を、二十一世紀の今、4Kキャメラというテクノロジーを使って、現代の人たちが忘れてしまったかもしれないストレートな心の中の表出の仕方を、まだ出す能力を身に纏っているアール・ブリュットの作り手の方たちの作品を通して、そういう体験をもう一回出来るのではないだろうか、と、そういうコンセプトで今回はやったんです。
キュレーターとしての私の立ち位置はかなり特殊で、明らかに美術界の人間ではないわけですね。カメラマンと言っても幅は広いんですが、私が普段やっている仕事はテレビの映像カメラマンと言われるものです。例えばアール・ブリュットの作り手で、昔フェルディナン・シュバルという、その辺に落ちている石だけを積み上げて巨大な宮殿『理想宮』を作られた方がいたのですが、彼は郵便配達夫だったんですよね。郵便配達夫が、全く美術の素養なしに『理想宮』を造り上げたと。翻って考えるに、果たしてテレビカメラマンは美術家と郵便配達夫のどちらに近いか、という話なんですよ。ワイドショーやなんかで、「何々さん、教えて、教えて〜」とか「ナントカさん、ナントカなんですかー?」とか、下らないスキャンダルを追いかけているようなカメラマンたちこそが、私の同業者なんですよ。実際私もああいうことをやっていましたし、実際私の仕事仲間も、ほとんどは美術と全く無関係です。それでも仲間には当然、優れたカメラマンもいます。それは美術に無知でも優れた郵便配達夫がいるのと同じ意味なんですよ。そう考えると、今回の企画展に於ける私の立ち位置って、アール・ブリュット・キュレーターともいえるんじゃないか、と。キュレーター・ブリュットですか。つまり、美術界のルールやコンテクストというものは、アール・ブリュットの作り手がそうであるように私にも一切分からない。映像のことは分かりますけど。しかし逆に、そういう意識も含めて楽しくやった部分もあります。つまりアール・ブリュットの本来の力を発見して、映像でレペゼンしたいという気持ちであれば、全く負けていないし、その映像に関しては職人的な表現力も持っている、という気持ちがあるんですよ。美術のことは分からないけど、アール・ブリュットの力を感じとる感覚は人一倍だという自負はあります。
私が心を惹かれたアール・ブリュット。つまり、アール・ブリュットとはなにかと私自身で考えたときに、ものすごく奥行きのある表現、そしてその奥行きに、描いた本人、あるいはその絵自体が、自分自身で、奥行きの深さ、内容の深さに気づいていないような絵、というのが、ぼくの中の基準としてあったんですよね。
アール・ブリュットを調べた中で、最初の出会いは岡崎莉望さんだったんですが、まさにこれだ、と思ったんです。この奥行き感。手法としては、極限にシンプルなんですね。色の付いた紙に、ボールペンで線を引いているだけなんで、それでこれだけの中身というか、まさにこの世界をそのまま写し取るような力のある、全くその普通の私たちの視覚で見ている、この風景とは全く違う方法を使って、創造しているというか創り上げているというか、そういう衝撃と感動がきっかけでした。それがあったので、そういう奥行きのある作り手の方、作品を選ばせてもらったんです。結果としては、どの作品も非常に精細な、細かいタッチの絵になっていると思うんです。それが多分、共通点なのと、あとはまあ具象も抽象もあると思うんですけど、具象であっても細部に迫ると、どんどん抽象化されて、その抽象化がなんなのか訳か分からなくなるのではなくて、逆にどんどんどんどん濃縮されていく、その中のエッセンスが濃縮されていくような作品と言うのを、私なりの視点で選ばせてもらいました。中にはNO-MA側からの提案で引き受けた作家もいますが。
今回の映像は、ドキュメンタリーを撮るカメラの方法でどんどん作品を撮っていきました。そうすると、私なりの見方で、いろんな発見やいろんな奥行き、作品の中にひそかに隠れていた動き、それからそこに潜んでいたすごい深い何かの感情を呼び起こすもの、そういうものがカメラを通して出してきたんですね。私の直感の通り、いや、もしかしたらそれ以上でした。そういう作品は、いくら見続けても、見尽きることはないんですね。そういう作品ばかり撮影していますんで、見れば見るほど、そこに含まれているものを引き出せる、それは見る方々それぞれの感性とか自分の生き方もあるし、自分の感覚もあるでしょうけど、それらのものが、これらの絵の中に、内包されているんだということの一つの象徴として、映像を使っておりますんで、それぞれの方々が、それぞれの見方で発見していただけると嬉しいです。