三田銀杏大明神の画像

今回の参詣は、もうじき1000回目を迎えるにあたって、自分にとって度々所縁のあった港区内で、公開せず残っていた5つの神社を巡ります。高輪の高山稲荷神社に続いて訪れるのは三田の銀杏大明神へ。

 

 

 

 

三田銀杏稲荷大明神の画像

銀杏大明神

パークコート麻布十番ザ・タワーの敷地内に鎮座しています。

もとは50メートルほど北側(現:パークコート内の北西)にあった大銀杏の下に祀られていたお稲荷さんです。

 

 

 

現在、なんだかわからないモニュメントが立つ位置が元鎮座地です。

ここに樹齢400年ほどの大きな銀杏が2本あり、1908年の都電古川線開通のための拡幅工事に際して1本を切ったところ、工事作業員に大けがを負う人、流行り病や交通事故で亡くなる人が相次いだといいます。京都伏見稲荷でお祓いを受けた後、切り倒した銀杏は、近くの元神明宮天祖神社に「権太夫稲荷」としてお祀りしたといいます。

 

 

 

 

そしてもう一本残された銀杏はそのままここにあったのですが、2010年2月に再開発と同時に樹木の空洞化により倒壊の危険があるとして伐採されることになり、その時銀杏の下にあったお稲荷さんが元神明宮天祖神社に遷座していました。このモニュメントは銀杏稲荷の御神木のあったことを後世に残すために作ったもの(らしい)。

 

 

 

 

2014年当時、元神明宮天祖神社の本殿前に鎮座していました。

 

 

 

 

その時すでに現在地に再遷座した旨が書かれていたので、調べたところ2010年6月4日に遷座祭が執り行われたようでした。

 

 

 

 

ちなみに最初に切られた銀杏を祀った権太夫稲荷は、現在も元神明宮天祖神社に鎮座されています(大きい方)。

 

 

 

 

そして今再びお社の左側に、若いイチョウの木が御神木として植えられています。

樹木の案内版を見たら、イチョウには雌雄の違いがあるらしく、御神木は雌で秋には実がなります。

初めて知ったのですが、外苑前のイチョウ並木が臭くないのは、全て雄だったからみたいです。

 

 

 

 

狐像

右が阿形で子抱き、左が吽形で宝珠を抱えています。

 

 

 

 

造りも中々立派です。

 

 

 

 

写真は、2014.4.6(元神明天祖神社の銀杏稲荷・権太夫稲荷)、2014.6.24(三田東京タワー)、2014.10.26(三田一丁目景色)、2015.4.6(銀杏大明神)、2016.9.25(三田二丁目交差点)、2021.5.1(三田小山地区)、2022.8.27(モニュメント・銀杏大明神)撮影

 

備考

社号 銀杏大明神

別名 銀杏稲荷大明神

創建 

祭神

祭日

末社

社務所

所在地 東京都港区三田1-7−1

その他 パークコート麻布十番敷地内(誰でも参拝可)

 

 

周辺散歩

三田小山地区再開発の画像

銀杏稲荷から通りを挟んだ対岸、東京さぬき倶楽部も含む三田小山地区と呼ばれるこの辺りは、およそ8年もの歳月をかけて再開発がはじまります。ここに見える小さな住宅たちがすべて立ち退き、地上44階のでっかいマンションが1棟、8階のオフィス棟が1棟、29階と16階のマンションが1棟ずつ、そんなものが2027年には建つらしいです。

 

 

 

三田小山町の画像

このごちゃごちゃしつつも味のある雰囲気が、そこにあった人々の生活が、綺麗さっぱり今風の巨大な複合商業施設に埋もれてしまいます。

そこだけ思えば切ない気持ちになりますが、立ち退く場合、住居の大きさと人数に応じて新築マンションの部屋が割り当てられるので、超一等地の三田ならまんざらでもない。

 

 

 

港区三田

隣の目黒区にも三田があって、白金を挟んで向かい合っています。どちらの三田にも、神田と同じく朝廷(または御田八幡宮)に奉納する米を産出したことに因むとか、朝廷の直轄領“御田”であるとの説もあります。徳川氏入国以前の江戸の歴史はあまり知られていませんが、結構古くから歴史ある町だったようです。

 

 

 

三田二丁目交差点

どうも都会の人は東京タワーへの愛着がそれほど無いようなんだけど、自分はとりわけここから見る東京タワーが気に入ってます。

大昔は「勝手が原」という原野が広がり、ここで太田道灌が出陣の際に陣を整えたと伝わっています。