今回の参詣は、台東区松が谷の河童大明神へ。

ここは銀座線『稲荷町駅』から北に700メートル、前回の矢先稲荷からは北西に300メートルほどのところ。訪れるのは、知る人ぞ知るかっぱ橋商店街にあるかっぱの寺。

 

 

 

 

巨嶽山曹源寺

曹洞宗の寺院で、天正十六年(1588)に江戸城和田倉に創建し、湯島天神下への移転を経て明暦の大火(1657)の後、松が谷に移ってきました。

当山は河童をお祀りするかなり珍しいお寺さん。その河童は浅草の名所のひとつ『かっぱ橋商店街』の名称由来になったんじゃないかといわれています。

 

 

 

 

ぎーちゃん像

山門は入ってすぐ右側、木製で面長なこの河童は「ぎーちゃん」というそうですが由来などは書かれていません。

 

 

 

 

境内の至る所で河童関連の像や石碑など散見できます。

 

 

 

 

禅寺とかっぱ

河童にまつわるお寺を調べてみると、全国に22ヵ所ほど見つかったのですが、その内の11件が曹洞宗、1件が黄檗宗と半分が禅寺でした。それ以外だと5件が浄土宗、5件が真言宗。また北海道・青森・群馬・栃木・長野・岐阜では「かっぱ神社」なんてのもあります。禅も河童も起源が中国っていうことぐらいしか浮かばない。
 

 

 

 

かっぱ寺

ここ曹源寺と河童の由来は、文化年間(1804-1818)、住民たちのために私財を投じてこの地で掘割(治水工事)をはじめた合羽屋の喜八という人が居たそうで、その時手を貸し助けたのが、かつて喜八に助けられたことがある河童だったんだとか。その喜八のお墓が曹源寺にあって、その縁もあって河童を祀っているようです。

 

 

 

 

波乗河童大明神

さて本堂前、境内の右側に波乗河童大明神のお堂があります。

何度か訪れていますが、当山は基本本堂もこのお堂も開いていません。

 

 

 

 

御府内寺社備考をみたところ、幕府が編纂した地誌という性格上、迷信・奇聞の類は取り上げられなかったようで、当山については明和九年(1772)の2月末日に起きた明和の大火によって類焼したため、起立相知らず申し候とあるだけで、カッパの話は出てきません。

 

 

 

 

お堂の向拝の上には荒波と龍の図があります。

 

 

 

 

覗いてみると、堂内にはお社と、その周りに奉納品のお酒があります。

 

 

 

 

お社の上には、絶対どこかで見たことある有名な河童の画が掛けられています。

波の上に立つカッパの左手には菖蒲が握られています。人間に薬草を教えたという伝承に関係してそうですがちょっと唐突。

 

 

 

 

お社には、厨子に入った木造の河童像、手前には水木しげる作品のようなお人形が置かれています。

 

御由緒

境内掲示より字体などそのまま記載

「かっぱ寺」の伝承

台東区松が谷三丁目七番二号 曹源寺

巨獄山曹源寺は曹洞宗に属し、天正十六年(一五八八)に和田倉(千代田区)に開かれ、のち湯島天神下に移り、明暦の大火(一六五七年)の後、現在地に移転したと伝える。当寺の通称を「かっぱ寺」という。
伝承によると文化年間(一八〇四~一七)に、当地の住人で雨合羽商の合羽川太郎(合羽屋喜八)という人物がいた。この付近は水はけの悪い低地で雨が降ると洪水となり、人々は困窮していた。そのため川太郎は私財を投じて排水のための堀割工事にとりかかった。このとき、かつて川太郎に助けられた隅田川の河童が工事を手伝い、堀割工事が完成した。この河童を目撃すると商売繁盛したという。
この伝承が「かっぱ寺」という通称の由来であり、「合羽橋」(合羽橋交差点の付近にあった)という橋の名もまた、この伝承に由来するともいわれる。
当寺には河童大明神が祭られるほか、合羽川太郎の墓とつたえる石碑があり、「てつへんへ手向けの水や川太郎」という句が刻まれている。
平成十五年三月 台東区教育委員会

 

 

 

 

 

水虎之手

堂内の左脇には、夏の心霊番組とかで見かけたことがありそうな雰囲気のミイラ化した河童の手が見えます。蓋には「水虎之手」とあります。

 

 

 

 

どうやら河童のお札も授与されているようです。

 

 

 

写真撮影日時

2011.1.9(かっぱ橋道具街の店)

2013.7.7(下町七夕まつり)

2017.4.16(曹源寺・かっぱ橋道具街)

 

備考

社号 波乗福河童大明神

創建

祭神

祭日

末社

社務所

所在地 東京都台東区松が谷3-7-2

その他 曹源寺境内

 

 

周辺散歩

かっぱ橋景色の画像

かっぱ橋道具街

矢先稲荷や曹源寺まで来たなら、ぜひついでに行きたいのがかっぱ橋道具街。上野と浅草の間にあって、南北に800メートルもある調理器具・食器などの問屋街で、日本最大の道具街。

この通りにかつて新堀川といって、喜八が開削したとされる堀がありました。この通りの東側に東本願寺、西側に矢先稲荷や曹源寺があります。

 

 

 

 

かっぱ橋道具街の画像

ニイミ洋食器店

かっぱ橋道具街といえばこの『ジャンボコック像』。言わずと知れたかっぱ橋のシンボル。「かっぱ橋 顔」で検索すればジャンボコックがヒットするぐらいだから、本当にかっぱ橋の顔になっています。

ちなみに、2代目社長がモデルらしい。

 

 

 

 

問屋街ではあるけど一般客への小売りもしているので、バー経営しているオーナーがかっぱ橋で揃えたなんて話は何度か聞いたな。

 

 

 

 

食品サンプル

かっぱ橋で特に有名なのが食品サンプル。模型を使って料理見本を表現したのは日本発祥、というか今でも日本でしか浸透していない独自文化。

 

 

 

 

今は3店舗が残っていて、それぞれのお店によって表現に個性があります。

10年以上前かな、大トロのにぎりの携帯用ストラップを気に入って買いました。たしか1,200円ぐらいとまあまあ高価だったけど、すごくクオリティが高かったのを覚えています。

 

 

 

ずらりと並んだ姿がデパートの大型食堂みたいです。

撮影当時、海老天丼が5,775円ってすごいな、、という感じでしたが、10年後の今、もっとリアルな天丼が19,800円で売られています。

 

 

 

 

かっぱ河太郎像

道具街を歩いていると突如現れる黄金の半裸男。

 

 

 

 

近づいて見ると竿と鯛を抱えた河童でした。

平成15年(2003)、かっぱ橋道具街誕生90年を記念して建立されたモニュメントで、合羽屋喜八の開削を手伝った河童を表したそうです。

 

 

 

 

どこそこ色んな場所で河童に遭遇します。

 

 

 

 

ちなみに本来は「合羽橋」といって、そのまんま合羽橋という橋があったことに因みます。この辺りの下級武士が内職で作った雨合羽を橋の欄干などに大量に掛けて乾かしたことが由来とされます。

伝承では河童、歴史では合羽と2つの地名由来があります。

 

 

 

 

下町七夕まつり

河童橋道具街から浅草方面へ向かう「かっぱ橋本通り」で開催されるお祭り。

関東三大七夕まつりといわれる平塚・狭山・茂原と比べると商店街のイベント感がありますが、たぶん、都内では規模が大きいほうです。

 

 

 

 

商店街を彩るような七夕まつりは、かっぱ橋と阿佐ヶ谷ぐらいでしかやってないかもというぐらい、珍しい存在。