今回の参詣は、台東区松が谷にある矢先稲荷神社へ。

ここは銀座線『稲荷町駅』から北西に600メートルほど、前回の本覚寺からだとはす向かいぐらいの近場にあります。

 

 

 

由来

ここは江戸時代初期に射術稽古のために、京都蓮華王院に倣って造られた三十三間堂があった場所です。蓮華王院と同じく通し矢が催されて、その的の先に当社があったことから当社は矢先稲荷と称されるようになったといいます。

浅草三十三間堂は、京橋鍋町(現:銀座)で起きた大火事によって、造立からわずか56年で焼失しています。

 

 

 

手水舎

天然石をくりぬいたシンプルなものです。

 

 

 

 

神楽殿

矢先稲荷の由来を思わせる神社と三十三間堂が描かれています。江戸名所図会には、当地は三十三間堂があったことから地名を「矢崎」、俗称を「堂前」と今でもいうのはこのためだと書かれています。

ちなみに浅草三十三間堂は、現在の「かっぱ橋道具街通り」沿いにあって、実際は南北に六十六間(120メートル)もありました。矢先稲荷は東を向いて松源寺の隣にあるので、この絵は少々強引に「矢先」を描いた空想になります。

 

 

 

 

御由緒

境内掲示より字体などそのまま記載

 当社は寛永十九年(1642年)十一月二十三日に三代将軍家光が、当地に浅草三十三間堂を建立した際、その堂の鎮守として稲荷神を祭ったのに始まると伝えられています。

社伝によると、その神像は、上野東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正の寄進であるといわれております。浅草三十三間堂射術稽古場の的先に奉納されたために、その社名も矢先稲荷神社と称されました。

 

 

 

 

拝殿内

うろ覚えですが、特に社務所に許可を取らず普通に上がったと思います。御由緒の額縁にお履き物を脱いでご覧くださいと案内板が出ていたので。

 

 

 

 

天井には海老名駿堂による『馬乗絵百体』が敷き詰められています。神武天皇から昭和に至るまでの歴史上の武者像で構成されているそうで、武田信玄・豊臣秀吉・徳川家康といった戦国武将や、曲垣平九郎・乃木希典っぽい人もあります。

 

 

 

 

福禄寿

当社はお正月に開催される『浅草名所七福神めぐり』の福禄寿の札所です。浅草七福神めぐりの中でも唯一間近で拝見できるお像。

 

 

 

 

馬の奉納額

「丙午還暦百人會 昭和四十一年三月十二日」とあります。西暦1966年の奉納で、この年に還暦を迎えたであろう人のお名前が100名分、馬もしらみつぶしに数えたらちょうど100頭います。でもなぜ弓矢ではなく馬にまつわる奉納があるのでしょう。

ちなみに次回の丙午は4年後。時代が時代だから百人会では収まらないだろうな~。

 

 

 

写真はすべて、2017.4.16 撮影

 

備考

社号 矢先稲荷神社

創建 寛永十九年(1642)ごろ

祭神 倉稲魂命

祭日 1月1日歳旦祭 3月第一日曜初午祭 6月15日に近い日曜例大祭

   6月30日夏越の大祓 11月15日七五三 12月31日大祓除夜祭

末社 

社務所 御守り御朱印神札授与御祈祷受付有

所在地 東京都台東区松が谷2-14-1

その他