今回の参詣は、松が谷本覚寺の福徳稲荷へ。
ここは銀座線『稲荷町駅』から北東へ600メートルほどのところで、浅草界隈では結構大きなお寺さん。
境内全域が石畳というのもちょっと珍しいかな。
天正十九年(1591)に馬喰町で創建した日蓮宗の寺院です。
手水舎
元は獅子の吐水だったんだろうけど、今は金属の管で繋がれています。
鉢には「洒心」の二文字と「昭和三十二年」と刻まれています。
日限祖師
日数を限って祈願すると満願成就するという祖師像があり、江戸十大祖師のひとつに数えられていました。
龍嶋山本覚寺
当山の山号に関して、御府内備考続編には「龍嶋山」、ネット上ではあらゆる人が「龍鳴山」として紹介しています。公式ホームページが無いし、宗教法人名簿、日蓮宗の公式ホームページにも山号が明記されていないので、どれが正しいかわかりません。
七面大明神
日限祖師堂の対面にあります。
とりあえず、七面大明神の台座には「龍嶌山」とありますので、正しくは”嶋”で決着が付きました(龍鳴の方がおしゃれですが)。
福徳稲荷大明神
本堂の手前に鎮座しています。
ウィキペディアによれば、延喜五年(905)当地に勧請されたお稲荷さんらしいです。お寺からしたら地主神に当たるのですが、御府内寺社備考には稲荷について「土蔵造」としか記載がなく、新編武蔵風土記稿や江戸名所図会には、そもそも旧浅草新寺町のお寺や神社は記載がありません。
堂内にはおびただしい数の狐像が見えます。
お稲荷さんの隣にも何かの像が安置されていますが、当山は基本的に説明板など無いのでわかりません。
覗いてもわかりませんでした。
蟇大明神
他にも蟇(ヒキガエル)大明神というお堂もあります。
こちらは檀家の秋山氏が家業を助ける蟇蛙の塚を築いて崇めたそうです。またここで願掛けをして大きな御利益を得た下谷の千八という人物が広めたことで花柳界や芸能界にも信奉者が多かったそうです。
こっちはこっちで堂内におびただしい蛙が居ます。
御由緒
境内掲示より字体などそのまま記載
蟇塚由来記
天保の頃當山の檀家に秋山某なる人があった。故あって家業を助ける神として蛙蟇塚という碑を建てて崇めていたと云う。大正十二年関東大震災の折、東京は一瞬にして焦土となり當山も又烏有に帰したがその時の墓守関某という人が霊感する所あって土の中より件の碑を探し出し小さな堂を建てて祀った。
丁度その頃下谷に千八という人がおりこの蛙蟇塚に願をかけた所大きな御利益を得、遂に一念發起して現在の地に蟇堂を建て、人に逢うことに蟇の分身を與えて利益のあることを宣伝した。
千八師は自らも歌舞をよくしこの方面に宣伝した為に花柳界歌舞演劇界映画芸能界等金銭物質の出入や人氣稼業方面に信者が多い。昭和二十年三月の大空襲で全焼したが戦後いち早く下谷の髙田家保袋家氏等の尽力で復興し今日に至って居る。動物信仰の一形態としても誠に珍しいものである。昭和五十一年に至り堂宇の傷み甚だしくここに恒久的堂宇の再建を發願した所詣者多数の賛同と協力を得て昭和五十三年七月二十日新蟇堂の完成を見た。
写真はすべて、2017.7.2 撮影
備考
社号 福徳稲荷大明神 七面明神 蟇大明神
創建
祭神
祭日
末社
社務所
所在地 東京都台東区松が谷2-8-15
その他 本覚寺境内