当初「カナージュ キュイール」という名で発表された LADY DIOR.。1995年9月にデビューしたバッグで、パリで開催されたセザンヌ回顧展のレセプションに出席するためにパリをを訪れたダイアナ妃に、 フランス大統領シラク夫人(Diorの上得意客だった)がブラックのカナージュ・キュイールをプレゼント。
結婚前は伯爵令嬢ダイアナ(レディ・ダイアナ)であった「Lady Di」ことダイアナ妃はとても気に入り、ディオール本店まで出向いてその時店頭にあった全色のカナージュ キュイールを購入しました。
「レディ・ディオール」が初めてダイアナ妃によってお目見えしたのは、1995年11月のことです。 この時、英国・バーミンガムにある孤児院にダイアナ妃が訪れた際、彼女はレディ・ディオールを持ち歩き、世界中から注目を浴びます。
その数週間後、アルゼンチンを訪れたダイアナ妃は飛行機から降りてくる際に、やはり「レディ・ディオール」を持っていました。 その後もダイアナ妃は外国を訪問する時にはいつもこのバッグを愛用していた為メディアで取り上げられるようになり、 いつからか「レディ ディオール」と呼ばれるようになり、やがて正式名称となりました。
服装に王室の縛りがなくなって見えるのは、1992年12月9日に夫妻が別居生活に入ることが発表され、1995年11月、全国テレビでチャールズ、カミラ、ダイアナという3人で結婚生活を続けてきたことなどを告白し、1996年2月28日に離婚が成立。という背景があります。
英国ファッション界に貢献したいと考えていたダイアナは公的な場に出るための衣装は王室費から出費され、英国製の服を着ることが多かったけれど、個人的な衣装はチャールズ皇太子の個人的収入(コーンウォール公領の収入)から支払われ外国ブランドの服も集めていました。
洋服店の開店前、あるいは閉店後に特別な手配がなされ、購入しすることが一般的だったためダイアナは時々警護と普通にお店に入っては気を使う支配人に「皆さんに迷惑をかけたくありません。ただ普通の人と同じように買い物をしたいだけです。どうか大袈裟に騒がないでください。」と語りました。
ジェフ・バンクスはダイアナのファッションについて「彼女は華麗さと実用性の妥協点を見出しました。王族の服にはある種の公式が必要で、それがダイアナ妃の服装が時々古臭く見える唯一の原因です。腰丈のジャケットとスカートという組み合わせは彼女にとって着心地がよく、何の心配もなく着ていられるに違いありません。これは生涯、様々な人と会って過ごし、しかもそのなかには鑑識眼の鋭い人もいるのに、常に一分の隙もない恰好をしていなければならないという人には極めて重要なことです」と評し、
マリー・クワントのファッションデザイナーのエルカ・フンデルマルクは「(ダイアナが)イギリスのファッション業界に与えた影響は、幾ら述べても誇張ではない。彼女のおかげで80年代のイギリスのデザイナーたちは国際的な舞台で活躍できた。彼女はたった一人で王侯貴族の女性の服を一新させたわ。ダイアナが登場するまで彼女たちはいつも決まった服しか着なかったし、ケント公妃のようなおしゃれな人でも控え目な色の服に、いつも大きな帽子と白い手袋を身に着けていた。だけど今では誰もがおしゃれな帽子と派手で大胆な色の組み合わせを身に付けている。女王でさえ、服装に合わせて黒や赤の手袋をするようになったのよ。これはファッション革命よ。」と述べたことがあります。
レディディオールのバッグは、 クラシカルなドレスにもモダンなカジュアルスタイルにも美しく寄り添い、現在の女性に愛され続けています。