とりあえず、こんばんわ。局長です。

自動車税っていったい何のために使われるんですか?

ガチで国民が払った税金そのものが仕事しない国会議員の

お給料とかに使われていると思うと殺意が湧いてくるんですよね。

なので、国民にも納税しない権利を与えてください。

 

というわけで、前回の続きでも。

九州鉄道記念館の野外展示ゾーンの車両を見て行く局長。

懐かしのボンネット特急485系を見た時には

局長の子供の頃はこれが特急だったよなとしみじみ思ったり。

そんでもって、関西と九州を結んだ昼夜兼行列車こと581系や

サービス電源となるディーゼル発電機を床下に設置した事で

電源車も客車にした14系客車を見てふむふむと思った局長。

ちなみに、九州鉄道記念館に展示されている581系なのですが

後に715系として名前を変え、通勤電車として改造されたという

ちょっと変わったモデルだったりします。

てなわけで、野外展示の列車たちを見てきた局長は

いよいよ本館へと入っていく事に・・・。

 

野外展示を見たら、次はいよいよ本館へと入っていきます。

本館は国道3号線側が正面となっており

局長がいるこの場所は裏側となっています。

裏側が入口なので、そこから九州鉄道記念館へと入っていきましょう。

 

奈緒「そういえば、さっきからなんか電車の音とか聴こえてくるんですよね」

局長「あっ、書き忘れてたな。そういえば、野外展示の電車からはその列車が走っていた当時?の音が鳴るようになってるんだ」

奈緒「えっ!?そうやったんですか!?」

紬「局長、あなたという人は・・・」

局長「と、とにかく書き忘れちまったのは仕方ない!そいじゃ、次ICOCA!」

 

九州鉄道記念館は他の大規模な鉄道博物館などとは違い、

1888年に発足した『九州鉄道』の本社をそのまま使っており

記念館そのものが『日本遺産』として登録されています。

1891年に門司駅(現・門司港駅)~高瀬(現・玉名駅)が

開業した時点で門司を九州の鉄道の起点とし、

そして、博多にあった仮本社はここへ移転してきました。

 

局長「そういうわけで、1891年に現在の場所にて、九州鉄道の本社が博多からここへ移転してきたというわけなんだ」

紬「では、この記念館は元々九州鉄道の本社だったというわけなのですね」

局長「そういう事になるな。ちなみに、九州鉄道に続いて多くの鉄道会社が九州にて発足するんだが、複数の会社の鉄道が乱立する事は各社にとっても列車運行の面においても好ましくなかったことから、九州鉄道が他社を吸収する形で、他社と合併を繰り返していったんだ」

奈緒「そうやったんですか。こういうのって、詳しくないから私らはよく分かりませんけど・・・」

局長「ちなみに、後にJR九州の筑豊本線や平成筑豊鉄道の伊田線になった筑豊鉄道を合併した事で、筑豊炭田という石炭の産地からの石炭輸送が好調だったことから、九州鉄道は旅客より貨物で稼いでいた会社でもあったと言われているな」

奈緒「貨物で稼ぐって、まるで貨物専門の会社みたいですねぇ」

局長「そういう感じに見えるかもな」

 

上には文化庁の『登録有形文化財』の銘板が設置され、

真ん中には日本遺産の『関門ノスタルジック海峡』の

プレートが設置されており、旧九州鉄道本社を使った

九州鉄道記念館が歴史的に重要な建物であるかよく分かりますね。

 

奈緒「しっかし、煉瓦で出来た建物ってすごくレトロな感じがするなぁ」

紬「そうですね。でも、煉瓦の長さが少し違っているのもありますね」

奈緒「ホンマや。所々、煉瓦の長さが長かったり短かったりするのがあるなぁ」

局長「九州鉄道本社に使われた煉瓦の積み方は、『フランス積み』と呼ばれる物なんだ。紬や奈緒が『煉瓦の長さが違ってる』って気づいたろ?フランス積みは長手と小口を交互に並べていくもので、それで積まれた煉瓦の並びを見てみると、長いものと短いものが交互に並んでいるんだ」

奈緒「そうですよね。でも、長いのと短いのを交互に並べていくのって、なにか意味とかあるんですか?」

局長「美観に優れている、という点があるんだ。ちなみに、長いものだけの段と短いものだけの段を積んで行くイギリス積みも一部ミックスさせているみたいだな」

紬「フランス積みより、イギリス積みの方がちょっと楽なような気がしますね」

局長「紬の言う通り、フランス積みは積むのに手間がかかったんだ。なので、九州北部ではここを含めて数例しか存在していないとの事だ」

紬「そうなのですね。まるで、石垣の博物館といわれる金沢城の石垣にも通じる部分がありますね」

局長「それもそうなのかもな。そいじゃ、入っていくとするか」

 

そんなわけで、九州鉄道記念館へと入っていく局長。

ノスタルジックな九州鉄道本社を使った博物館の内部は、

今風にアレンジされていて、これもリノベーションしたよなと・・・

後ろにはキハ07形が描かれたポスターが展示されており、

画風はどこか古っぽさが出ている感じですね。

 

撮影当時は2022年、西九州新幹線のデビューイヤーであり

西九州新幹線が開通してまだ2ヶ月前くらいでした。

N700Sを使った西九州新幹線の前面部って

こんな感じでムニュっとしているなァと・・・。

 

てなわけで、この『ザ・九州初上陸の旅』の終盤において

西九州新幹線にも乗ってきましたので

これについても首を長ーくしてお待ちくださいませ。

 

桃子「それがいつになるのやら・・・」

茜「局長ちゃんの旅記事は、ヘタすりゃ1年以上掛かるからねぇ」

局長「面目ねぇ・・・局長の職場が悪いんだ。だから局長はちっとも悪くねぇ・・・」

桃子「お兄ちゃん!!」

局長「はいっ!!」

桃子「ちゃんと更新して!!じゃないと、後がつっかえてるんでしょ?」

茜「そうだよ~!局長ちゃん、今年はぬまd」

局長「おっとそこまでだ。次ICOCA」

 

というのはさておき、館内に唯一展示されている車両がありますね。

車両の目の前には、列車に乗るであろう親子連れと

その親子連れに弁当を売る弁当売り、そしてその左横には

駅の車掌っぽい人が立っているという構図ですね。

 

てなわけで、館内唯一の実物展示の車両こと『チブ37』をパチリと。

サンフランシスコの路面電車に近そうな見た目をしていますね。

この車両は『客車』であり、九州鉄道が設計して発注した後、

当時の『鉄道院』が1909年に製造しました。

 

局長「37という数字は、全部で47両製造されたなかの37両目を意味しているぞ」

桃子「じゃあ、37番目に作られた客車って事なんだね」

局長「そういう事になる。誕生から20年間活躍した後、1929年に大分県にあった『大分交通耶馬渓線』に譲渡されたんだ」

茜「ねぇ、その大分交通耶馬渓線ってどんな路線とかだったのかな?」

局長「大分交通耶馬渓線は、1913年~1975年まで存在していた私鉄ローカル線だな。大分県中津市にある中津駅から守実温泉駅までを結んでいた全長約36kmの路線だ」

茜「なるほどねぇ~」

局長「ちなみに、この路線が廃止された事で大分県は普通鉄道がJRのみになったらしい。要は東京で言うJR以外の鉄道会社の路線が消滅したって事になるわけだな」

桃子「そんな県があるなんて知らなかった・・・」

茜「茜ちゃん達は、普通にJR以外の会社の鉄道も使うから気が付かないよね」

局長「これぞ、地方の鉄道の実情なのよ・・・」

 

『明治時代の車両』と『九州鉄道の御料車』の紹介パネルをパチリと。

左側にあるパネルは、館内で唯一展示されているチブ37のもので

1971年まで活躍した後、廃車となっています。

廃車後は中津市の『汽車ポッポレストラン』にて保存されてましたが

九州鉄道記念館の建設に伴って寄贈されたという話があります。

 

ちなみに、ここに寄贈される前はツートンカラーだったそうですが

寄贈されるにおいて、当時のカラーリングで復原されました。

 

一方、右側のパネルは九州鉄道の御料車の紹介なのですが

説明文には『東京の交通博物館において丁重に保存されている』

書かれているのですが、東京の交通博物館は今は無いんですよね・・・

しかし、この説明文があるという事は即ち・・・

 

大宮の鉄道博物館にあるのでは!?

 

桃子「だとすると、お兄ちゃんがパチリとしていた可能性があるよね」

局長「そこなんだよ。てなわけで探してみた」

茜「それで、あったのかな!?」

局長「あったので、載せてみたぞ」

 

※2017年に大宮の鉄道博物館で撮影したものです。

 

茜「やっぱりパチリとしてたんだね!局長ちゃん、GJ!」

局長「偶然にパチリとしてたんだよな。九州鉄道記念館には案内板のみでの紹介だったんだが、実車を見に行く時は大宮の『鉄道博物館』にて展示されているから興味を持ったら見に行くと良いぞ」

桃子「まぁ、お兄ちゃんみたいな電車好きなら行くかもね」

局長「そういうこっちゃ!」

 

説明文にあった御料車とはこれの事になります。

本来なら九州鉄道記念館に展示されるはずなのでしょうが

やはり御料車としての存在がデカいというわけなのと

天皇陛下がお住まいになっている東京が近いことから、

その関連で大宮のてっぱくでの展示になるのでしょうね。

 

そんなわけで、説明文を見たらチブ37の客車へ入る事に。

路面電車サイズっぽいチブ37の客車なのですが、

こんな感じで内装がちょっとシンプルな気がしますね。

あと、座席に背もたれみたいなバーは付いていますが

腰掛けるように座ると背中や首が痛んだりするので

座り心地に付いてはあんまり期待しない方がいいです。

 

エレナ「外からの見た目は豪華っぽい感じだったけど、中の様子は今の電車と全然違うネ~。特に、椅子がすごくシンプルだネ~!」

可奈「椅子の座り心地、そんなに良くなさそうだよね」

翼「テーブルとか無いから、ご飯とか車内で食べれなさそう」

局長「まぁ色々な意見が出てるけど、この当時なら割と良い感じだと思うんだよね。ちなみに、復原においては当時の資料を使ったりしたんだが、よく分からない部分があるらしく、当時の酷似車両の写真などを参考にして復原したみたいだな」

翼「じゃあ、今展示されているチブ37の、当時の姿じゃないかもって事ですよね」

局長「そういうこっちゃ。しかし、昔の資料って紛失したり消失したりで無くなってきてるから、復元作業もホンマに大変だからな」

可奈「そうなんですね。それにしても、この客車って明かりが1つだけなんですね。夜とか絶対に1つじゃ足りないよですよね」

エレナ「今のと違って、あんまり明るくなさそうだネ~」

局長「今の電車は、この当時の車両と比べたら、これでもかってぐらい明るいもんな。昔はこれでも十分良かった気がするけどな」

 

極めつけはシートがふかふか~・・・・

じゃなくて畳!( ゚Д゚)

そりゃ、ベンチみたいに硬い木製の椅子より幾分かマシですが

それでも畳の座り心地は今のシートより悪いですよ。

でも、寝転がるには良い感じだったかもですね・・・

 

翼「寝転がるって、こんなに小さなスペースじゃ横になれませんよ~!」

局長「そりゃ無理があるよな。でも、畳が採用されるのは驚きだよな」

可奈「そうですよ~!なんで電車の椅子に畳が使われてるんですか~!?」

局長「色々と調べているが、詳細は不明だな。まぁ要は、畳がシート代わりに使えたからじゃないかと思うぞ」

可奈「そうだったんですね。でも、畳のシートっていうとなんかいつもと違って新鮮ですよね!」

エレナ「エミリーがキョーミ持ちそうだよネ!」

局長「そういうものかねぇ。まぁ、畳の座席っていつもは見かけないから新鮮だよな」

 

車窓からパチリと、座り心地がイマイチなチブ37からは

こんな感じで景色が見えるんですねぇ~(おい)

現役時代に乗れたなら、ゆっくりとした時間が流れてそう・・・

なお、椅子だけは今風にすれば良いと思います(笑)

 

てなわけで、チブ37の車内にてまったりしていた局長。

そういえば、列車の外で弁当売ってたな―って思ったので

チブ37から降りて、ちょと見てくることに・・・。

その乗客たちをパチリと、今とは服装が違いますよね。

 

では、その真ん中にいる弁当売りをちょいと見てみましょう。

弁当売りが売ってる弁当は一体何なのか・・・?

 

箱の中身には、『上等御弁当』が入っていました。

パチリと1枚、『眞養亭』とあるのですがこの会社は

1942年に国策によって他の数社と合併して消滅し、

今は『東筑軒』の一部となっているようです。

中身については不明ですが、多分この当時の普通の駅弁より

かなり豪華だったのは言うまでもないですよね。

 

というわけで、ここまで。ではでは