誰がみてもわかる絵を、
描き続けたいですね。
とにかく明るい、それが池川さんに会った時の印象だった。竜王町鏡にお住まい、1年のうち半分は作品づくりのためにパリ・モンマルトルで過ごす池川さん。フランスの美術展で次々と入選。世界で活躍される先生…、もし難しい人ならどうしようという気持ちは、お会いした瞬間に霧散した。
池川さんは 大阪の堺にあった漆(うるし)を調合する会社に就職。当時覚えた漆の技術でガラスに描いた作品が、2年連続で美術展で特選。その後、奥さんの実家があった 滋賀県へ、ここから画家としての生活が始まった。しかし、池川さん29歳の時、最愛の奥さんに先立たれてしまう。
「子供たちが成人するまではここ(滋賀)でがんばろうと思って。でも、子供が成人したら、後は自分の好きに生きようと決めていました」。その決意は固く、男手ひとつで息子さんと娘さんを育て上げられた後、ついに単身フランス・パリへ。池川さん50歳の時である。
「パリに来たばかりの頃は住まいを転々としてました。知り合いもいないし、言葉も話せないし、何でここまで来たんやろう?日本でも描けたのに…、そんなウツみたいな状態でした(笑)」。そんなある日、立ち寄った画材屋さんで日本の著名な画家に偶然出会い、その先生が借りていた部屋を池川さんが借りられること に。さらに、アパート暮らしをしながら懸命に絵を描く姿に、先生はパリで活躍する多くの画家仲間を紹介してくれた。そんな仲間たちとの交流が、異国の地で 沈んだ池川さんの心を蘇生し、さらには作品をさらなる高みへと導いていった。
それから15年、気さくで明るい性格のジャポネ(日本人)は地元モンマルトルの住民たちから慕われ、日本人として初めてモンマルトルの『名誉住民』、さらには『文化使節』の認定状も贈られた。
「これからも、誰が観てもわかる絵を描き続けたい。いつかパリから引き上げた後は、お年寄りに絵を描く楽しさを教えてあげたいですね」
滋賀とパリを結ぶ世界のアーティストは晴れ渡ったパリの空のように、明るく優しかった。
【プロフィール】
昭和14年生まれ
ル・サロン会員 モンマルトル名誉市民 モンマルトル芸術大使
日本とパリの往復15年。治安の悪い異国で、苛酷な錬磨に耐え抜いて生まれた作品は、油絵と水彩のタッチを活かした独特の色彩を放つ。パリで、日本で、多くのファンに愛されている。
アトリエJAPON
滋賀県蒲生郡竜王町鏡1417-28
tel 090-2285-1832