鹿鳴館~地震とシャンデリア | ANGIE
先日、お散歩をしていたら、鹿鳴館跡という標識を見つけました。

日比谷公園の向かい、帝国ホテルの隣。

現在複数のオフィスの入る普通のビルです。


 ここであんな華やかなことが行われていたのか~としばし感慨に浸り、

家に帰って調べてみました。

 跡形もなく無くなってしまったのはどうしてでしょう、調べてみました。

「明治東京地震」という地震によって倒壊してしまったのだとか。

同じレンガ造りでも確か大手町あたりには今でも残っているビルがあったような気がしますが~

よっぽど安普請の建物だったのでしょうか、たまたま地盤が弱かったのでしょうか。

不思議です~。




 ところでその明治東京地震、マグニチュードは7、直下型だったそうです。

いや、しかしそう弱い地震でもなかったようです。

なぜか、東京での地震というと、関東大震災、さかのぼって江戸時代の安政地震のことばかり
言われております。

直下型地震はその安政の地震以来おこっていない、とされております。

 しかし、その明治東京地震というのは


明治東京地震








明治東京地震(めいじとうきょうじしん)とは1894年(明治27年)6月20日14時4分、東京湾北部(北緯35.7度、東経139.8度)を震源として発生した地震である。東京の下町と神奈川県横浜市、川崎市を中心に被害をもたらした。地震の規模はM7.0、震源の深さは約50~80kmと推定される。南関東直下地震の一つ。

被害
この地震により死者31人、負傷者157人を出した。建物の被害は煉瓦建造物の被害が多く、また煙突の損壊が目立った。隅田川及び荒川流域及び埼玉県の元荒川などで液状化現象が記録されている

地震に関する記述

樋口一葉の「水の上日記」に、この地震の被害が聞き書きの形で紹介されている。それによると、四谷の松平家では床の間の壁が崩落、土蔵の腰巻が崩れるという被害があったという。また三田のほうでは液状化現象が発生し、噴砂があったという。また、地震同日22時頃に余震があったとも記録されている。

ベルツの日記の6月22日(原文のまま)にも記載がある(ほとんど被害なし)。

谷崎潤一郎の「幼少時代」には、東京の下町の自宅にいた谷崎が被災した経験が記載されている。彼の地震恐怖症の元になったと言われる。

メカニズム
被害の型としては都市直下型だが、震源が内陸地殻内地震(大陸プレート内地震)なのか、太平洋プレートとフィリピン海プレートの境界で発生した地震(プレート境界地震)いずれのタイプの地震であるかは、現在のところ特定されていない[2]。 また太平洋プレート内部の地震、あるいは太平洋プレートの地震特有の東北・関東太平洋側異常震域がないことなどからフィリピン海プレート内部の地震(双方とも海洋プレート内地震)と推定する説もある。





















『鹿鳴館』のシャンデリアが残されているのは、東京・江戸川区平井にある燈明寺(平井聖天)です。

“燈明”とシャンデリアという灯りつながりはあるものの、なぜ『鹿鳴館』のシャンデリアが《お寺》に?? そんな疑問も胸に抱きながら、燈明寺をめざします。
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JR総武線・平井駅北口を出て、ロータリーの脇を抜け駅前商店街をまっすぐ進み、蔵前通りを横断するとすぐに視線の先にお寺の門が見えてきます。
燈明寺です。風格のある立派な門ですね。





門をくぐると、正面の長い階段を登った先にあるのが平井聖天。





左手には鐘楼があり、大晦日には除夜の鐘を撞こうと地元の人たちが集まるのだとか。
そして目指す『鹿鳴館』のシャンデリアは、右手の金堂(本堂)にあります。





事前に連絡もしていなかったのですが、「シャンデリアを見せてください」とお願いすると、快く案内してくださいました。
(※シャンデリアが見たい場合は、事前に電話した方がよいかもしれません)

『鹿鳴館』のシャンデリアとのご対面♪

案内されたのは金堂の2階。高い天井の中央に……、ありました、ありました。 明治の一時代を見守った『鹿鳴館』のシャンデリアとのご対面です!! わぉ!実物です!!!





このシャンデリアは、『鹿鳴館』の大広間を照らしていたメインのライトだったとのこと。この下で明治時代の日本人がダンスしていたのですね・・。

実は燈明寺で実物を見るまで、てっきり、『鹿鳴館』のシャンデリアはしまいこんだ状態で保存されていると思っていました。ところが、シャンデリアは明かりとして現役で働いていました。それも、お寺の本堂で!!

もちろん『鹿鳴館』の華やかだった頃のガス灯ではなく電灯ですが(『鹿鳴館』でも明治20年からは電灯だったようです)。
外光が差し込む昼間に伺ったので、このときは点灯されていませんでしたが、夜の行事などでは「ふつうに明かりとして点ける」のだそうです。

『鹿鳴館』のシャンデリアの下、お経が響く風景を見てみたいなあと思いました。このお寺に足を運ぶ信徒さんたちは、自分たちの頭上に灯る明かりが『鹿鳴館』のものだったとご存じなのでしょうか?

燈明寺(平井聖天)について

燈明寺は真言宗のお寺。平井聖天は関東三聖天のひとつ。
平安時代の創建と伝えられています。江戸時代は、将軍の鷹狩りの際に立ち寄る御膳所でもあったとか。明治時代は伊藤左千夫や正岡子規など文人たちも多く訪れたそうです。


 


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【燈明寺(平井聖天)】
東京都江戸川区平井6-17-30
03-3618-0514
JR平井駅から徒歩8分ぐらい
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