この世界に新たなともだちが生まれて数週間になる。初めて会ったのは彼が過ごす初めての月曜日。だけど小さくも確かなその存在を、もう何ヶ月もの間心待ちにしていた。友人が母になると聞いたあの日からずっと。


「母親の顔になった」などとよく聞くが、私からみた彼女はなにも変わらなかった。ただ、この世のなによりも大切なものを見る目で見つめ、全身でその愛おしさを伝えている。それは、種類やかたちは違えど確かに私にもそんな目を向け、私も向けていた時期があった。ただそれだけのことなのだ。



そんな彼女を見て思うのは、母のこと。もうすぐ、私の母が姉を産んだ年齢になる。結婚願望のない私はそのことに焦りや感慨といったものはないのだけれど(と書いておくことでその手の感想を防止しておく)、いざこの歳になって感じることは母の人生は母としてのものではなく、人生の中で母になったのだということ。そんな当たり前に気づいてから、私は母のことを名前で呼んでいる。


明るく社交性に優れ、チャーミングで、そのくせ目立つことは苦手な母。好きなことは好きで、嫌いなことは嫌い。ある意味少し子どもらしいところさえ愛おしい。愛すべき私の___ちゃん。それなのに、悲しいことに彼女はよく、いいお母さんじゃなくてごめんねという。たしかに正直、絵本やドラマに出てくるようないいお母さんではないのかもしれない。だけどお母さんとしてどうかではなく、私のお母さんとしては100点満点大当たり+ボーナススコアな存在なのだ。彼女が私の母でなければ、こんな私には育たなかったのだから。




24歳独身の私だが、最近よく「母親の顔になった」と言われる。後輩を見る目を指してのことだ。正直自覚もある。彼女たちの人生を見守ることが楽しく、時に手を貸せることを願い、口を出し過ぎたことを悔い、心から幸せを祈っている。そんな想いが瞳からぼろぼろとこぼれ落ちていることには自分でも気づいている。



そしてさらにふと気づくのだ。

靴を揃えなさい、ゴミは片づけなさい、返事をしなさい、お礼を言いなさい、挨拶をしなさい。そんなことを言っている自分がとても母に似ていること。それはとてもくすぐったく、あたたかな事実だった。


我が家は芸能の世界に身を置く私や姉でも分かるように、所謂誰かの「夢」として挙げられるような職業につくことを否定せず、やりたいことをやりなさいと言って育てられてきた。だが、母にはこれといった夢がなかったのだという。だから私たちはすごいなと思っていたのだと数年前に話してくれた。

そんな母は、私たち娘の夢が叶うことが夢なのだと言ったが、子どもだった私は正直、いまいちその意味がわからなかったし、素直に喜ぶことが出来なかったことをよく覚えている。


だけど、今ならよく分かる。

ずっと出来なかったことが出来るようになったのだとわざわざ伝えにきてくれたり、いつかこういうことがしたいのだといっていた子が実現させていたり、思いがけず褒められて嬉しそうな顔をしていたり、そんな瞬間を見るとき、自分のことのように心が満たされるのだ。母が言っていたのはこういう気持ちなのだろうかとようやく分かるようになった。


そしてそんな愛情を向けてくれていることに、今さらながら泣きそうなほど嬉しく思う。昔とは違う種類の心配かけることも多い最近だけれど、私にも大切な存在がたくさんできて、その子たちからもきっと大切に思われていて、そう思えるのはあなたの愛情を受けて育ったからだということを、ちゃんと伝えたい。




最近、HKT48 16人の7期生を迎え現在52人のグループになった。平均年齢14.4歳と、まだまだ身体も心もやわらかい世代が多く加入した。

新メンバーの加入は、新メンバーだけでなく、在籍していたメンバーもがらりと変わる。先輩になる6期生をはじめ、その作用はすごく大きい。環境の変化はいつだって目まぐるしく、凪の時間はほとんどない。本来であれば、そんな中で人格を形成するような時間を過ごすことは容易なことではないのだと思う。

それでもどうかみんなには健やかに育ってほしい。アイドルとしてだけでなく、人間としても魅力のある人になってほしい。そんな風に願うのは自分のこの場所でそのように育ててもらったからであり、また、ある種の母性なのかもしれない。私ができることはどれほどのものだろう。きっとわずかなことだ。それでも、彼女たちの未来を楽しみにしている。




そんな母の日。

さまざまな母たちへ

おめでとう。