「ギンガ、ギンガ、ギンガ」(前編)/蒼きヤマトへの憧憬(67) | アディクトリポート

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これ(「ヤマト・ワンダー」)の続き。

1973年の4月に、脚本家の藤川桂介氏(左)が「宇宙戦艦コスモ」のタイトルを提唱し、
さんだ
同時期(4月末)に依頼を受けた豊田有恒氏(右)の提案した仮題「アステロイド6」として、しばらく進行していた西崎義展氏の新アニメ企画。

スタジオぬえの提案で、ようやくタイトルが「宇宙戦艦ヤマト」に決まり、題名にかなうビジュアルを担えるアーティスト/デザイナー探しが始まった。

ぬえの宮武一貫氏の推薦で、
「青の6号」に登場するヤマト・ワンダーつながりで、
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小沢さとる氏に、デザインを依頼することに。

で、ここからが、新しい情報。

1974年の4月頃。

小沢氏に、西崎氏の元へ来るようにとタクシーを手配したものの、当人は一向に現れず、やむなく西崎氏の方から、宮武一貫氏と共に足を運んだ。

そこで小沢氏が※次回作として見せてくれた原稿は、「ギンガ、ギンガ、ギンガ」と題され、戦艦大和を模した宇宙船が、3つの銀河を旅して、必要な「なにか」を獲得する話で、原稿の下書きは、すでに200ページほど出来上がっていた。

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ということで、「ギンガ、ギンガ、ギンガ」の画像を検索するわけだが、
宮武氏が2013年9月のイベントで言及するまで、
この情報は、よほどのヤマト通にも不案内だったわけだから、ネットに画像も(本来)あるわけない。

ならばと「小沢さとる」「ヤマト」で検索して出て来るのは、
小澤さとる未来展:展示会場」と題されたページの、
↓この画像。
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「宇宙戦艦ヤマト:小澤先生デザイン画」
となっていて、
撮影者は前田学史氏、撮影日は2005年7月2日。

次に関連画像が公開されたのは、
知る限り、
2013年7月28日のワンダーフェスティバル
サブマリン707・50周年プロジェクト「オペレーション707」
77歳の小沢氏ご本人に加え、宮武氏も参加したこの催しで、

ぎんが

「ギンガ、ギンガ、ギンガ」の題名と共に、
更に数点の原稿が公開された。

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ヤマトは
よみがえった 
地球生存の
希望を 
その一身に
になって‥‥
その名も
ヤマトワンダーと 
名付けられた。

よみがえ

ギンガフィールド
ゼネレーター。
ギンガギンガ航法。 
ギンガパルスX線。
ギンガコート。
それにギンガコア。
これら教授によって
発明発見された
もののうち どれひとつが
欠けていたとしても
ヤマトはこうして
旅立つことはでき
なかった‥‥。

「銀河教授‥‥」

このヤマトに
あなたが命を
吹き込んでくれな
かったら 私たちは
手をこまねいて
地球の亡びるのを
待つしかなかった
  ‥‥。


というわけで、9月の宮武氏のイベント出演と、
kazutaka
小沢氏とヤマトとの関わりの詳解には、
このワンフェスでの原稿展示を、改めて説明する意図があった。

戦艦大和を模した宇宙船だから、
本番の宇宙戦艦ヤマト(1974)に似ててもフシギはないが、

小沢さとる氏の立体・空間把握能力と正確な描写力は大したもので、ヤマト「現役」時代(1974~1983)には、名だたるアニメーターでも、なかなか到達できなかった境地に、最初の数コマであっさりとたどり着き、その後もまったくブレがない。
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↓ロボットを模した司令塔が、
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後年のアオシマの独自企画プラモデル、合体巨艦ヤマト(1976・デザインは今道英治)に酷似しているのが興味深い。

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原稿の端には「S41」と記されているので、
「ギンガ、ギンガ、ギンガ」(ギンガ・ギンガ・ギンガ?)の執筆時期は、
1966(昭和41)年で、
記事にあるような、「青の6号」(1967)の次回作ではなく、その1年前の作品。

つまり、この宇宙戦艦ヤマトワンダーこそが、
「青の6号」の敵役潜水艦、ヤマト・ワンダーのルーツと言える。

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と言うところまでで、今日はおしまい。

この続きは、また。