ポルノグラフィティ「メリッサ」
2003年9月26日発売の12thシングル。
アニメ「鋼の錬金術師」初代OPソングで海外でも人気があり、もちろんライブでも定番の超名曲。
発売から16年近く経つわけですけど、先日改めてこの曲の歌詞の凄さに気付いた話をします。
万が一「曲を知らない」と言う人や「改めて聴きたい」というひとの為に、リンク貼ります。
YouTubeだとShort verですが。
フルが聴きたい方はSpotifyとかApple Music/iTunesとかでどうぞ。
なぜ今までこの歌詞の「凄さ」に気づかなかったかというと、単純にノリで騙されてたとしか言いようがないです。
気付いたキッカケは、先日解禁になったストリーミング配信(Spotify)で何気なく改めて「メリッサ」を聴いてたときです。何があったかといえば、特に何があったわけでもなく、強いて言えば「落ち着いて、改めて、曲を味わった」結果です。何がヤバいって「リリース当時は良く聴いてたけど、15年経って久しぶりに聴いてみたら…」とかじゃないんですよ私。「アポロ」「ヒトリノ夜」はリアルタイムでしたし、2006年の横浜スタジアムで初めてライブ行ってから、2008年のツアー以降は全ツアー参加してますからね(荒天中止除く)。ほんとにうすボンヤリ生きてきたことがバレてしまう。
アップテンポで、ブチ上げ系で、高音ボーカルが気持ち良くて、アレンジキラキラしてて、ライブでも手を叩いて、ジャンプして、叫んでするし、歌詞も一見「切り裂いて」とか「遠ざけて」とか「貫け」とか激しいから騙されてた(?)んです。
いや、何が言いたいかと言うと、この曲、
傍から見ると「主人公ただ突っ立ってるだけ」なんですよ。
いや、もう今回の言いたいことはこれで以上なんですけど…
「は?それだけ?そりゃそうでしょ」とか「いや、それがこの曲の魅力の大事な部分やん」とか「そんなんも気付かないでポルノファン名乗ってたの?」とか思った方、あなたが正しい。
でも個人的にはここ最近に 「もう何年も何百回も聴いてきた曲の歌詞の意味が、今ようやく分かった」って体験が齢を重ねるにつれ、少しずつ増えてきてまして。そういう体験こそ、音楽を愛し続ける醍醐味やん?(いい話風)
話を戻すと、この曲がリリースされてからずーっと、私は曲調と一部歌詞の勢いでいつも脳内沸騰してしまって、15年間この素晴らしい歌詞の全体像を正しく捉えられずに来ました。
いま気付いて、興奮しているさまを以下ご覧いただきます。
折角だから歌詞を追って見ていきましょうか。
「メリッサ」
作詞:新藤晴一
作曲:ak.homma
歌詞を順を追って見ていきましょう。(歌詞:青太字)
君の手で切り裂いて 遠い日の記憶を
悲しみの息の根を止めてくれよ
さあ 愛に焦がれた胸を貫け
何があったか知らないけれど、この「メリッサ」の人、物凄く悲しみで激昂してますよね。
もう「悲しい記憶」を何とかしたい!という気持ちが溢れていますが…
ここで「傍から見たスコープ」(曲の内容のうち、その人が実際にどんな行動をしているかを客観的に眺めるスコープ)を通じて主人公を見てみると…
はい、これ頭の中の思ったことなので、特に何も行動はしてません。
そうなんです、サビでは悲しみをなんとかしたいという気持ちの描写のみなんです。
この「傍から見たら」という視点は大事なので、覚えておいてください。
続いてAメロ。
明日が来るはずの空を見て
迷うばかりの心持てあましている
傍らの鳥がはばたいた
どこか光を見つけられたのかな
ライブだとここのタイミングで曲調が落ち着くので、手拍子どうしたらしいかみんな迷う。
激情的なサビから一転、少し落ち着きを取り戻した「メリッサ」の人。
なんとなく爽やかで良い感じですが…早速「傍から見たらスコープ」で見てみましょう。
はい。「空を見て」それから「飛び立つ鳥を見て」いますね。ようやく初アクションですよ。
ここで、気になるのは「この人、歩いてる?立ち止まってる?」という点。
私個人としては、絵面的にも「立ち止まってる」を推したい。あとでその理由も出てきます(予告)。
もしここで「歩いてる説」を採用すると、傍らの鳥が羽ばたく理由が、「なんか歩いてきた人間にビビっただけ」になってしまい、更にそれを見て「光を見つけたのかな?」と考える少し行き過ぎたサイコパス気味野郎になってしまうので…まあ、それもそれでアリかもだけど。
とにかくここでは「この人は空と鳥を見た」が大事。
続いてBメロ。
なあ お前の背に俺も乗せてくれないか
そして一番高い所で置き去りにして
優しさから遠ざけて
サビに向けて盛り上がりと切なさのギアを上げていく曲調。
肝心の「傍から見たらスコープ」を覗いてみると…
何もしてない!まだ飛んでいく鳥を見てるだけ!
そして飛んでいく鳥の背中に自分の想いを乗せようとしている!
あの夕陽にも星空にも乗せられないのに!
そう、つまり未だに立ち止まって、空/鳥を見ているだけ!
ここからサビ!(岡崎体育)
君の手で切り裂いて 遠い日の記憶を
悲しみの息の根を止めてくれよ
さあ 愛に焦がれた胸を貫け
はい、また冒頭と同じく悲しい記憶をどげんかせんといかん話です。
折角鳥の背中に乗せても、まだどうにもならないのですね。むしろ背中に乗せて空高く上がった分、気持ちも昂ぶってしまってます。ここでも話の流れを勘案すると、傍から見れば「まだ飛ぶ鳥を見てる人」です。
2番!
鳥を夕闇に見送った
地を這うばかりの俺を風がなぜる
羽が欲しいとは言わないさ
せめて宙に舞うメリッサの葉になりたい
盛り上がったサビを過ぎ、再び少し冷静さを取り戻したかのように見えます。
羽ばたく鳥は無理でも、風にたゆたう葉っぱくらいに、とトーンダウン。
これを「傍から見る」と…
「鳥が飛んでいって、そして見えなくなった」
「実は夕方だった」
「風が吹いてるのを感じてる」の3本でお送りします!
いや、この人が単に鳥を見失っただけや!
ここで審議に入りたいのは「この人はメリッサの葉が宙に舞うのを見てる?それとも幻という名の心象風景?」問題。
…んー!保留!大事なのは風が吹いてること。
2番Bメロ!
もう ずいぶんと立ち尽くしてみたけど
たぶん答えはないのだろう
この風にも行くあてなどないように
はいきた!「主人公ずっと立ち止まってる説」の重要な証拠!
「ずいぶんと立ち尽くしてきた」!ということはもしかしたら「鳥が羽ばたく前」や「夕闇の前」から立ち尽くしてる可能性すらあるよこの人!
この場面を傍から見たら「立ち尽くしてる」「風の吹いてる辺を眺めてる」ですね。風を見てどうする。
2番サビ!
君の手で鍵をかけて ためらいなどないだろ
間違っても 二度と開くことのないように
さあ 錠の落ちる音で終わらせて
LOCK!LOCK!(腕ブルンブルン)
もう「端から見たらスコープ」を既に構えているあなた!何が見えますか!
はい、そうです。この「メリッサ」の人、「君」のことを考えてはいますが、
何もしてないですね!何もしてないです!
(ここでギターソロ)
そして最後のサビ!
救いのない魂は流されて消えゆく
消えてゆく瞬間にわずか光る
今 月が満ちる夜を生み出すのさ
これもようやく今回気付いたんですけど、傍から見たでいうところの「太陽が沈んだ」ということだったんですよね。「消えゆく魂」は「沈みゆく太陽」のことで、「消える瞬間に光る」は「グリーンフラッシュ現象」のことなんですね。
グリーンフラッシュ:太陽が完全に沈む直前、または昇った直後に、緑色の光が一瞬輝いたようにまたたいたり、太陽の上の弧が赤色でなく緑色に見えるようになる、稀な現象。緑閃光ともいわれる。(Wikipediaより)
「太陽が沈むように、やり場のない気持ちも消えるし、消えるときにまた別の何がが生まれるよ」というとんでもなく深い歌詞でした。もうライブだとこのへんで脳がトンでるので、ここまで深く考えてませんでした。すみませんでした。
で、肝心の主人公ですが、傍から見たところは「太陽が沈むのを見てるだけ」ですね。
あ、曲終わっちゃったよ。
「メリッサ」の人、行動まとめ
・立ち尽くす(基本動作)
-鳥が飛び立って去るのを見た
-風を感じた
-太陽が沈むのを見た
つまり、極論「数回、目線動かしただけの人」の曲なんですよ。
こんな「静から動」の生み出し方ある?!
これでこんな切なさブチ上げフォーー!な曲になるってすごくね?すごくね?
逆に言えば、この「目線ちょっと動かし人」の曲で、あんなに身体も心も動く曲になるって、音楽ってスゲー。
実際の行動が全く無くても!引き裂かれそうな感情を歌詞にして、音に乗せて、演奏して、歌って、パフォーマンスすることで、場が動き、その結果として、言葉にできない心の動きが色々な形で表現され、こっちはその真意に15年以上も気づかないような(それは私の責任)ブチ上げパフォーマンスを出来るという、もうとんでもない芸術ですよ。
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