被害者になった糸岡真二さん

 

事件が起きたのは昨年2017年12月21日、滋賀県草津市のJR草津駅からほど近い商店街にあるちゃんこ店「隠れDining蔵間」の草津店でのことだった。同店に午後7時ごろ、自称不動産仲介業の浜野慶治(46)と土木作業員であった関一也(46)ら7人が訪れた。浜野らは同店を何度か利用したことがあった。この日は奥の座敷で彼らは忘年会を催していた。宴会も終わりに近づいた午後11時ごろ、被告らは締めの雑炊を注文した。

 

ご飯や生卵など雑炊の用意をして、浜野らの部屋に入ってきたアルバイト店員に雑炊を作るよう要求した。同店では、雑炊は客に調理してもうことになっており、メニューもその旨が書かれていたので、店員は「雑炊を作った経験がない」と伝えたが、浜野らは納得せず、雑炊を作ることを強要した。仕方なく店員は記憶を辿って調理することにしたが、火を落として冷え切っている鍋にそのままご飯を入れ、その上に溶かないままの生卵をかけてしまった。

 

それを見た一行は「それは違うやろう」などと激高し、「大将(経営者の糸岡氏)連れてこい」と怒鳴った。店長は雑炊の作り方に問題があったことを認め謝罪したが、浜野被告らは「糸岡とは知り合いなんや。連絡しろ」と、別の店舗にいた糸岡さんを呼ぶよう執拗に要求した。連絡を受けた糸岡さんは午後11時半ごろ店に来てひとりで座敷に入り、正座して謝罪した。だが、浜野らはおさまらず、正座で謝罪する糸岡さんに殴る蹴るの暴行を始めた。

 

浜野慶治                     関一也

 

糸岡さんに対する浜野と関の暴行は代わる代わる繰り返され、少なくとも計50~60回の暴行があったと見られている。同席者は糸岡さんが鍋の中身をぶちまけられたり、鍋で頭を殴られる様子も見たと証言している。この間、糸岡さんは一切抵抗せず、されるがままだった。見かねた同席者が制止しようとすると、理不尽なことに彼らも浜野らから暴行を受け、「何でワシが殴られるんや」と手に負えないと判断した同席者らは1人、またひとりと店を出た。

 

日付も変わった22日午前1時ごろ、同席者のひとりが慌てて店を出た際、体をぶつけ入り口のドアガラスが割れた。その音で近隣店舗が騒ぎに気付き、草津署に通報した。駆けつけた署員は血まみれで正座し、朦朧としていた糸岡さんを発見した。糸岡さんのあばら骨の骨折は十数か所に及び、肺に刺さった骨が致命傷になった。糸岡さんが搬送される様子を見ていた近くの飲食店の男性は「誰か分からないくらい、顔が腫れ上がっていた」という。

 

法廷で浜野は「手加減して殴っており、小突いたという感じであって、激高していたわけではない」と述べて、激しい暴力は加えていないと主張した。そのうえで、「尊い命を奪うことになり、申し訳ない」と述べた。しかし、糸岡さんが無抵抗で謝罪しているのに、暴行をエスカレートさせた詳しい理由などは語らなかった。これについて、ある捜査関係者は「浜野はキレたら止められない性格、やっているうちに収まりがつかなくなったのではないか」と話している。

 

裁判で検察側は論告で「全く落ち度のない被害者に因縁をつけているに等しい」などと、浜野被告に傷害致死罪の量刑の上限にあたる懲役20年、関被告には懲役15年を求刑した。対する弁護側は「犯行は浜野被告の飲酒による自制心の低下も影響している」「周囲が早く110番するなどの措置をしたら、事態の拡大は防げた」などと情状酌量を求めた。糸岡さの妻は「110番したらどんな仕返しをされるか」と通報をためらったことを悔やんだ。

 

浜野は求刑後の最終意見陳述では「20年は重すぎる。それにしても納得できない求刑だ」などと語った。判決は浜野が懲役15年、関被告が同10年だった。浜野は20年の求刑に納得をしていなかったようだが、世間の声も求刑に反対の意味で納得していなかった。なぜなら浜野は2003年4月、暴力団組員であった山本哲也さんを呼び出して殴る蹴るの暴行を加えて死亡させ、遺体を三重県島ヶ原村の山中に遺棄している前科がある。

 

出所後、再び人を殺めたことを考えるとより重い刑が妥当であるというものが大多数であった。しかし、浜野らは殺人罪ではなく傷害致死罪で起訴されているため、懲役20年が最大の量刑であった。両被告は量刑を不服として控訴している。公判で弁護人から「これからどうしたいか」と問われ、「服役後は仏門に入る」と答えた浜野だが、「雑炊の作り方」などという些細で人命を奪うような人間のいうことなど信じることはできるはずがない。