愛が全てだよ…





神は愛である… この言葉は、志賀島のとある教会の入口にあった言葉…
すべてのものは、神の想い、神の愛から創造されたものだから…
正しくそうだ、とその時思ったよ。。



小さな頃からほんとうに母の愛が欲しかったわたし…
病院で寝たきりになった母が私を見て、姉の名前を呼ぶの。姉も一緒に居るのだけど、とうとう最後まで姉の名前しか出てこなかったわ…私を見て、姉の名前しか出て来ないのよ。母に微笑みかけながら、私はせいこよ、と言っても姉の名前しか出て来なかったのよ。(笑)






その時、あぁ、母は死ぬ時が迫ってきてるこの時も姉とその息子のことしか頭にないのだな、と思ったよ…父や私のことはもはや存在してないのだろうな、と冷静に思えたよ。何も期待もしてなかったから、悲しいとか淋しいとか言った感情も心のなかから湧き出てくることもなかった。死ぬ1週間位前のことだった。


そんな母が危篤になったと、電話があったのが夜の10時半だった…
車を急いで走らせながら、間に合うようにと急いで運転していた時、頭上に母の顔が浮かび出てきて、せいちゃん、と私の名前を呼びながら、元気だった頃の顔で微笑みかけて消えていったの…夜中の11時過ぎだった。その時、私は、今母が息を引き取ったとわかったの。病院に着くと、母は霊安室へと運ばれ、私が急いで駆けつけると、多くの先生方や看護師さん達が最後の挨拶と見送りの為に、夜中なのにもかかわらず、霊柩車の到着を私達家族と共に持っていらっしゃった…程なくして霊柩車が到着し、母の遺体が乗せられたストレッチャーが車に乗せられ…病院の皆様が深々と頭を下げられ、合掌して見送られた姿に私達もお世話ににりました、と深く感謝してお寺に向かったのでした。
檀家であるお寺に夜中に着いて、母の遺体を安置したのだけど、真夜中で誰も母の遺体を見ておく者がいないので、わたしがひとりで、母の遺体に寄り添って、寝たよ。
姉と甥は、サッサと年老いた父と叔母を連れて家に帰ってしまったのよ。姉たちは返ってくるのかと思ったら、じゃあね!って母の遺体と私を残して帰ってしまったのよ… なんか薄情な気がしたわ。。
まぁ、納骨堂とかもあるし、真夜中のお寺で遺体と一緒にその場にひとりでいるのは、やっぱりなんともいえないわよ…
霊感が強い私は、霊になれてるとは言え、薄気味悪かったわよ! 笑笑




母も、死ぬ時は私の名前を呼んで、最後のお別れに来てくれたのね、と思った。
あの時生きていた父は5年後に亡くなり、叔母は7年後に亡くなった…