2020.6.10

  

    型を会得した人間がするのを「型破り」と言う。

    そうでなければ、ただの「形無し」なんだ。

             中村勘三郎

 
 
 昭和、平成の名優・中村勘三郎は私の2歳年上で、梨園の御曹司であった彼の子役時代から、しばしばテレビドラマ等で観ていた。
 なので、その早すぎる死は同世代の自分には一際切ないものであった。
 勘三郎が、生前しばしば、この「型破り」と「形無し」の話をしていたのは有名な話だ。
 彼がこの芸論を着想した出来事について自身が語っている話がネット記事に出ている。なかなか含蓄のある話である。
 
 
  【引用開始】
 『勘三郎(18代目)がまだ中村勘九郎と名乗っていた若かりし頃、アングラ演劇の旗手、唐十郎が主宰する劇団を見て衝撃を受けたという。
唐十郎の劇団は、当時東京都の中止命令を無視して、新宿西口公園にゲリラ的に紅テントの芝居小屋を立て実施していたのだが、その劇場を見て勘三郎は「これこそ歌舞伎の原点だ。歌舞伎もこれに戻らなきゃいけない。俺もあのような歌舞伎がしたい」と衝撃を受けたのだ。
 早速、先代の勘三郎(父親)に直訴したところ「百年早い。そんなことを考えている間に百回稽古しろ」と言われてしまった。
 しかし当時の勘九郎にはまったく理解ができずにモヤモヤしていたという。
 
 そんな折、たまたまラジオから流れてきた、子ども電話相談番組で「型破りと形無しの違いはなんですか?」と質問があり、
回答者の無着成恭(僧侶で教育者)がこう答えた。 〝そりゃあんた、型がある人間が型を破ると「型破り」、型がない人間が型を破ったら「形無し」ですよ〟
 勘三郎は「 あっこれだ!」と先代の教えの意味を理解した。
 以来、勘三郎氏は徹底的に型を習得し、練習に練習を重ね、先代から受け継いだ十八番演目である「春興鏡獅子」の演技に生涯をかけ心血を注ぐとともに、後継者であるわが子や弟子に対しても幼い頃から徹底的に基本を叩き込んだという。
 その土台をもとに、型破りな歌舞伎に精力的に取り組んだからこそ、歌舞伎界の仲間からもお客様からも認めていただけたのである。』
  【引用終了】
 
 勉強でもスポーツでも音楽でも、全てに当てはまる真理である。
 そして、たとえばピアニストのユジャ・ワンなんかは、まさに「型破り」の人物と言えるだろう。
    本ブログでの紹介記事
 
 
米谷清和、高校生の時の習作