年配の方なら覚えていると思うが40年近く前、大阪朝日放送の「プロポーズ大作戦」は東京でも人気番組であった。この番組の「フィーリングカップル5対5」と言うコーナーは合コン形式で男子学生5人女子学生5人がお互いに質問し合い気に入った子の番号ボタンを押す。めでたく両思いになればカップル成立だ。1980年、帯広畜産大5人組に対し女子大生5人組かと思ったら、この日は女性アイドル5人が出場。女性の質問に一番から順番に男性陣が答えて行く。遠藤氏は一番ユーモアのセンスが求められる5番。田原俊彦さん似の彼は見事女性アイドルとカップルになり、そのツーショットは全国のお茶の間に届いた。だれが、40年後、この青年の死刑判決を予想したろう。松本サリン事件の被害者河野義之氏も遠藤氏に面会し良い印象を持った事を著書に記している。ヨガや東洋哲学に興味を持ち幸せになる人は沢山いる。片岡鶴太郎さんはヨガの超難関試験を突破。ヨギー(ヨガをする人)になった。今回処刑された麻原の弟子だって殺人をしようとヨガを始めた人は1人もいないはずだ。何故こうなったのか。まずオウム真理教の間違いは人間である麻原が神になってしまった事だ。その人間が麻原でなく「ローマ法王」でも「ダライ、ラマ」でもいけない。尊敬するのは良いが、いくら人格者でも絶対に神ではない。私の信仰するプロテスタントでも見上げるのは牧師でなく神様である。私たちは目に見える牧師を神様にしがちだ。「あの牧師は話しがうまいから」「イケメンで若くてギターが弾けるから」「本を沢山書いているから」と言う理由でせっせと教会通いを続けるのは良いがいつの間にか見上げるのは神様でなく牧師になる危険がある。牧師も人間である。生身の人間だから病になったりケガをしたり事件に巻き込まれる事だってある。死ぬ可能性もある。私たち人間全てそうだ。明日生きている保証はどこにも無い。牧師が海外赴任になると同時に「もうキリスト教やめたわ」となる人も実際にいる。
第2に超能力である。これはオウムに限らずキリスト教にも予知能力や霊感、催眠術が出来るような牧師、信者がいる。空中浮遊までは知らないが。たぶん既存の仏教やイスラム教も同じだろう。ただ、これらの宗教は超能力を前面に出さない。なぜなら超能力が人を幸せにするとは断言出来ず超能力者が必ずしも人格者とは限らないからだ。カトリックの鈴木秀子シスターは階段から転げ落ちて意識不明の重体に陥ったが、その後回復。予知能力が開花したそうだ。最初は信者の相談事にアドバイスする際に予知能力を使っていたが、そのうち背広姿の紳士達が訪れるようになった。彼らは投資家で「上がる株を教えて欲しい」との事だった。鈴木シスターはこれを境に予知能力を封印されたようだ。
  またオウム真理教には理系が多いとマスコミに喧伝されるがキリスト教にも理系出身者はいて数はオウムより遥かに多いと思う。私の所属する日本ホーリネス教団でも旧帝大大学院出身の牧師が放射能について講演したり先日は医師である牧師が精神衛生に関して講義をした。オウム真理教は理系信者を集めて幹部にしたから理系出身者が目立っていただけだ。(仏教などの東洋思想は理論物理学と相性が良いがオウムは関係無い気がする) 
また瞑想中、光などを見る至光体験はオウムの専売特許でない。キリスト教、仏教でも神秘体験はある。心はコロコロ変わるから心だと言われる。麻原も最初は第三次世界大戦阻止を訴えていたが選挙の惨敗から自分がハルマゲドンを起こすに方向転換。ヒンデゥー教の神シヴァ神から聖書の「ヨハネの黙示録」を読むよう言われたと言うからハチャメチャである。黙示録はローマ皇帝に敬意を表さないヨハネがパトモス島に島流しされ、そこから今のトルコにある7つの教会に宛てた手紙だ。黙示録は22章からなるが麻原は自分がキリストになった気分で16章のある部分を取り上げハルマゲドンに固執してしまった。こうなると教団自体がブレーキの効かない車で高速道路をぶっ飛ばしているようなものだ。多くの犠牲者、死刑になった弟子達を思うとやりきれない思いだ。なお、「ポア」と言うのは死の床にある修業者が自分を天国に送るための黙想で「人を殺す」事ではありません。深く知りたい方は「チベット死者の書」をお読みください。