100%受け売り演技論シリーズ第4弾 


今回のテーマは


-緊張と集中とリラックス-


人前で、カメラの前で、他人を演じる事を生業とする俳優に、「緊張」と言うやっかいな二文字は常につきまとう。それを克服する為の方法とは?他「正しい集中と間違った集中」について。


・・なんかテレビ番組表のPR文章みたくなってきた(笑)


ではどうぞ(^-^)/


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「緊張の余り体の震えが止まらなかった。声は上ずってしまい、まともに台詞を喋ることも出来なかった」 【ローレン・バコール】


 「緊張」という二文字。
 映画、舞台を問わず、この二文字ほど俳優にとって怖いものは無い。この怖い「緊張」と背中合わせで生きて行く事が俳優の一生だと言っても過言ではない。「緊張」はやっかいである。体と思考を硬直させるのだから当然だ。

 

「何を今更そんなことを」と、思われるかもしれない。
 だが、そう思った方は「緊張」の怖さを知らない人か、余程のキャリアを積んだ名優であろう。
 

本当の「緊張」の怖さとは俳優本人に自覚症状が無いケースに多い。本人は緊張しているのでは無く「集中しているのだ」と思い込んでしまうからだ。

 こうしたケースというのはTV、映画、Vシネマ、舞台といったジャンルを問わず、繁盛に見かけられる。その結果「集中」と勘違いしている緊張によって、俳優個人の演技力に大きな制限がかかってしまっている。


 この勘違いの影響は以下のように出る。
1・体の微妙なバランスを欠き、存在感を薄くする。
2・感情の出し方の微妙な制御を欠き、役の説得力を薄くする。
3・演技の反応速度を狂わす。
4・結果として実力不足(つまり下手クソ)に見られてしまう。


 実に損である。この損な「緊張」に対抗する手段は誰にでも思いつく。
 曰く、リラックスすることだ。

 だが、このリラックスするという事が難しい。

 

 では、どうすれば良いのか?
 

  はっきりと断言しよう。
 すぐに「リラックス」出来る特効薬などというものは無い。

 メンタルコントロール、呼吸などといったものはリラックスの手助けにはなっても決定打には決してならない。

 稽古場でそれらの修練をしたところで本番でやれるかどうかは別問題だ。
 なら、リラックスについては成り行きまかせにするのか? そうでは無い。


 決定打ではないが俳優がリラックスする為に重要な要素が一つある。
 

 それは「勇気」である。  

 昔の演技書には「勇気」の必要性が書かれてあったのに、最近の演技書には何故か「勇気」に触れている物というのは殆ど無い。


 俳優は自分を他人に晒すことによってしか成り立たない。
 この晒すという行為を行う為には大変な勇気が必要となる。自信などという物はそうそうに付くものでも無いし、やったことの無い役柄を自信を持って「名演に出来る」と簡単に言えるわけが無い。そうなると、まず必要とされるのは「勇気」だ。

 「勇気」とは自発行為によってしか生まれず、資質的要素である「度胸」とは全く違う。
 この「勇気」を持った上で役に臨むことが重要である。
 そして、次に本人なりのリラックス法へと繋げていくことがリラックスへの近道だ。


※リラックス法を一つにマニュアル化してしまう演技法は間違いだ。これは俳優個人の性格的個性の無視に他ならない。演技を徹底的にマニュアル化して教えようとするインストラクターには気をつけることだ。


ステラ・アドラーは「演技を教える事はできない」と言った。
 だが、マーロン・ブランドは「ステラにはそれが出来た」とも言う。そのステラにも「勇気」を教える事は出来ない。


優れた演出家や優れた演技インストラクターは「リラックスのきっかけを与える事」「俳優を勇気づける事」は出来るが「勇気」を教えてやることは出来ない。
 
「演じる為の勇気」は俳優個人に帰する問題なのである。
 そして、これが無ければ真の意味での「リラックス」はあり得無い。


 俳優というのは大変な仕事だ。
 リラックスした後には集中という作業が待っている。

 演技をする上でこの二つは表裏一体の物なのだ。


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「リラックス」と「集中」は表裏一体の関係にある。真の意味での集中とはリラックスした状態の元でなければ決してありえない。俳優はリラックスによって演技を行う状態を作り、集中によって役(演じる)に入ると言える。

 この際、弊害となるのは間違った「集中」の仕方をしてしまう事だ。この間違った「集中」の仕方というのは俳優に限らず、何かを行う時の日本人(外国籍でも事実上の日本育ちであれば同じ)には非常に多い事のように感じる。


 間違った「集中」とは何か?
一言で言えば無駄に「気合い」を入れてしまうという事だ。


 分かり易く言えば、一点に凝縮するように「気合い」を入れて集中を図るという事。この型の「集中」を行うと「何かをやっている」という実感が非常に感じ易い為、この型の集中を行う俳優というのは多い。また、小劇場ブーム以降「怒鳴り芝居」が流行った事(既に20年)でこの傾向というのは益々強くなっている。


 ここまで読んで、本格的に武道をやった経験がある方ならこの「集中」の仕方がいかに無謀であるか?という事が良くお分かりかと思う。


 この集中の仕方をした場合、精神と肉体に力みを生じさせるので、俳優自身の実感と反して演技は上滑りし易くなる。特に微妙な演技になればなる程、この型の「集中」は俗に言う「クサイ芝居」へと俳優を導いて行く。
 自分で良い演技をしたつもりなのに演出家にノーと言われ、自分がダメだと感じた時にOKを出された経験が多い俳優は、この型の「集中」をしているケースがよくある。


 抽象的な表現になるが、本当に集中した時というのは「波紋ひとつ無い水面」のように精神が静かになる。この状態で役に入った時に劇世界は初めて自分の居場所となりえるのだ。これが「リラックス」と「集中」が融合した瞬間である。


 この状態を作り出す為には「集中」する時の心のイメージが重要になる。一点凝縮で力によって世界(役及び劇世界)に入るのではなく、スッと静かに自然に世界に入る事が必要だ。


 人間というのは僅かな力みで身体が思うように動かなくなるものだ。ボクシングの試合で相手がグロッキーでまともに動けない状態であるのに、その相手に向けて出したパンチが外れるという光景をよく見かける。これは、パンチを出した選手がチャンスだと思って力むから当たらないのだ。


 ボクシング以上に様々な動きを要求される演技において、間違った「集中」による力みがどんな悪影響を及ぼしてしまうのか? 考えずとも明白である。

 

 「演じる勇気」「高い意識」を持っているのに、この集中の仕方を間違えているせいで演技が滑る俳優というのがいる。こうした俳優を見る度に酷く心の痛みを感じてしまう。

 演技とは様々な要素が複雑に絡み合って出来るものだ。
 この複雑な作業を最も良く行う為には出来る限りシンプルに考え、自然に感じることが必要だ。

 思考を複雑にすればする程、演技が上手くいかない時の簡単な原因を見逃し、思考の泥沼へと俳優が導かれる事を覚えておいて欲しい。

 

-以上-



勇気か・・・

言われてみれば確かにそうかも知んない(--)(__)


演技に限らず、何かに向かって一歩踏み出す時ってのは、それがあるから出来るもんねビックリマーク

よ~し明日からは黄色と黒のカラーリングを身に付けるぜ!


何てったって勇気の印だから(笑) 

※因みにこの組み合わせ、自然界の動物は本能で【危険・注意】を感じるのだとか。(例・スズメバチ、毒キノコ、毒蛇の色等)


ブログのネタが特に無い時は、凄く助かるシリーズになってきてます(*^^*ゞ(笑)



【今日のありがとう】

・度重なるメンテのお陰か今夜のバイクはすこぶる絶好調だったことに♪

・先日のブログを取り敢えずは喜んでくれたツーリングラバーにラブラブ

・雨に濡れても冷たくなくなってきた季節に(^^)v

・生きている奇跡に

・生かされている奇跡に


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