自分は何がなのか?

 

何をすると楽しいのか?

 

幸せと感じるのはどんな時なのか?

 

 

 

自分だけのYESやNOやHAPPY。

 

 

 

 

自分と向き合って、自分を感じないと見つけられない。

 

 

 

 

自分が感じるものは、完全なる主観だから。

 

 

 

隣りの人の顔色を伺い、隣の家の芝生の青さを見てきた人が失っているものだから。

 

 

 

ありのままの自分を見て、感じて、そして受け入れて、人生がスタートする。

 

 

 

自分を生きることは、簡単だと思っている人が多いようですが、やってみるとまずできない。

 

 

 

 

怖くて仕方なくなります。

 

 

 

 

孤独になるのが怖い。

 

 

 

 

考えてみてください。

 

 

 

 

自分の感覚を楽しむということは、他者と分離して自分だけの世界を知り、そこを感じて楽しむということなんです。

 

 

 

 

他人の顔色を伺い、これでいいのかな?というようなキョロキョロと正解を探すような気持ちを抱えたまま、自分を感じることはできませんね。

 

 

 

 

自分の意識は一定です。

 

 

 

 

 

 

 

他人への意識が100%になったから、容量を上げて自分への意識を50%増やす、などできません。

 

 

自分の意識をどれだけ他人に分配するかということです。

 

 

 

他人への関心分配率が高かれば高いほど、自分を感じられないのは当然です。

 

 

 

 

その比率を決めるのが、孤独感です。

 

 

 

 

 

 

 

こちらにも書きましたが、人は、生まれながらにして、いかに孤独にならないかと戦っているのです。

 

 

 

 

これは最も強い欲求と言えるのです。

 

 

 

 

孤独にならないために、自分の人生を捨てるほどです。

 

 

 

孤独にならないために、生贄や戦争や乱交や宗教など、ありとあらゆる術を使ってきたのです。

 

 

 

 

孤独に対する不安は、生まれもったものです。

 

 

 

産後しばらくは母親と一体化していますが、自分の意識が大きくなるにつれ(狭くなるにつれとも言う)母がそこに存在するというだけでは満足できず、「ママ見て!!」となっていきます。

 

 

そこで「ママ見て!!」が満たされたかどうかは、その後の孤独に対する意識において、とても大事なことなのです。

 

 

 

「ママ見て!」と叫んで、見てもらったものが、その人自身なのか、その人が成し遂げた社会的な評価なのかで、まるで変わります。

 

 

「見てもらった」というだけでは、本当に自分を見てもらったかどうかわからないということです。

 

 

 

よくできたときだけ褒めてもらえる。

 

言うことを聞いた時だけ褒めてもらえる。

 

 

 

これは、全く個人を見てもらっていません。

 

 

 

この時点で見て貰えていない場合、その先も真の意味で自分自身を見てもらえるという可能性は壊滅的です。

 

 

 

些細なことができても褒められるような小さいころは、親や先生に言われたことができるだけでうれしいものですよね。

 

 

 

でも、それでは満足しなくなって、初めて自我が芽生えるのです。

 

 

 

 

ここ、大事なところです。

 

 

 

 

散々褒められて、それで満足しなかった時に、やっと自我が芽生えるということです。

 

 

 

わかりますよね。

 

 

 

散々褒めてもらえなければ、満足することが無く、自我が芽生えないということです。

 

 

 

だから、いつまでもしょうもないことで、親や世間に対して認めてもらおうとし続けます。

 

 

 

「100点取ったら認めてくれる?

「ここまでやったら認めてくれる?」

「お金稼いだから認めてくれる?」

「結婚したから認めてくれる?」

「子供産んで育てたら認めてくれる?」

「キャリア持ったら認めてくれる?」

「友達沢山いたら認めてくれる?」

 

 

 

 

延々とやり続けるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の意識が、ほとんど他人に向けられている状態です。

 

 

 

 

大人でも必死に流行を追いかけているような人がいますが、あれはまだ自我がちゃんと育っていないと言えるわけです。

 

 

 

自分が良いと思う物が分からないから、流行に流されるのです。

 

 

 

孤独が怖いからです。

 

 

一体化したいからです。

 

 

 

自我が育っていなければ、「自分が良いと思ったもの」というのがわからないのです。

 

 

 

ここをすっ飛ばして、「好きなことで生きたい」なんてできるわけがないんです。

 

 

 

 

高校生になって「周囲はこうだけど私はこれでいい」と言うのが無いとしたら、間違いなく意識分配が他人優先で、自分への抑圧があります。

 

 

ここを開放してい上げない限りは、「親や先生に良いと思われる」人生をチョイスしていきます。

 

 

 

 

そして、誰かが上辺を認めてくれるうちはいいですが、最終的にどんどん荒んでいきます。

 

 

 

古代、人間は孤独を癒すためにいろいろなことを行いました。

 

 

それは民族間で行われ、共有されるだけで、孤独から抜けることができました。

 

 

しかし、今はそのような儀式はありません。

 

 

しかし、孤独はなくならない。

 

 

だから、その代わりに酒や麻薬やネットなどに依存するのです。

 

 

なんとか孤独を感じないように、麻痺させながら、すれすれの状態で生きているということです。

 

 

 

そのように孤独感と言うのは恐ろしいために、なんとか孤独にならないようにします。

 

 

 

そのひとつが、集団に同調することです。

 

 

 

集団に同調することで、個人の自我はほとんど消え去り、代わりに集団の一員になることができるのです。

 

 

 

それは、他人と違った思想を持たないということです。

 

 

周囲に合わせれば、孤独にならないと信じているのです。

 

 

 

幻想ですけれども。

 

 

 

だいたいの人間は、孤独を恐れていることすら気づいていませんし、その恐れから集団に同調しているなどというのは考えもしないことでしょう。

 

 

 

そのように、誰もが持つ孤独の恐れが、環境によって10倍にも1000倍にも膨れ上がるのです。

 

 

 

 

人生の学びは、孤独を癒すために使うものです。

 

 

そこで学べないのなら、経験は役に立ちません。

 

 

経験すれば誰もが学べるわけではありません。

 

 

 

ダメ男に惚れる女性を観ればよくわかるでしょう。

 

 

 

人は、失敗から学ぶまで、同じ事を繰り返すのです。


 

 

 

そして、愛することも学びなのです。

 

 

 

”幸福 感謝 愛” を感じるには、脳の発達が不可欠なんです。

 

 

 

 

愛するって誰にでもできることじゃないんです。 

 

 

 

 

人間に元々備わってる装備ではないのです。

 

 

 

 

そして、愛とは、温かくて柔らかくて包み込んでくれる、、というようなものでもないのです。

 

 

 

 

 

 

また書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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