森鴎外の4人の子供たち(1934) | あほじらすの超高級ヴィンテージ専門ブログ

あほじらすの超高級ヴィンテージ専門ブログ

アホなブログからクラシック専門に昇華したいんや

明治・大正期の文豪、森鷗外(1862 - 1922)の4人の子供たちや!

森鴎外の子供たち
↑『婦人之友』1934年3月号より。

右から
森 於菟(おと、1890 - 1967)解剖学専門の医学者
森 茉莉(まり、1903 - 1987)小説家、エッセイスト
森 杏奴(あんぬ、1909 - 1998)随筆家
森 類(るい、1911 - 1991)随筆家。(情報はWikipediaより)

茉莉はんの後ろに見えるのは
鷗外はんの写真やて。みんな当時にしてはハイカラすぎるお名前やね!


婦人之友には茉莉はんの「兄弟姉妹 私達四人」ちゅう文も載っちょる。ちょっと読んでみよ。

「大正十一年の三月、日は幾日であったかと兄と私とは欧羅巴へ旅立った。その時私達を送って来た父は東京駅のもう暗くなった階段を降りながら言った。『まだもう一組残っている』。妹と弟の事を言ったのだ。その残りの一組である妹と弟とが昭和六年十一月に同じ東京駅を発ち先月の十三日に帰って来た。これで父の希望が達せられたのだ。父は欧羅巴に憧れ、死ぬ時まで再び欧羅巴へ行く事を希っていた。それほど父の好きだった欧州へ父の子供が四人とも全部行ってきた。これはとにかく喜びたい事だ。私達四人がどんな風になって行くか、ヨーロッパの影響がどういう風に四人の上に現れるか、それはとにかくとして、二組の欧州行きが果たされたという事は、うれしい事だ。

 兄於菟は助教授で、帝大の医学部に解剖をしている。私は時々気の向いたものを書かせて貰っているし、妹杏奴と弟類は画の勉強中である。お医者の兄もこの頃は随筆なぞ書く。兄於菟は四十五歳、あとの人はそれより下な事は確かである。四人とも未知数だ。何かの道に既成していても人間はいつまでも未知数だと思う。

 小さいながら芽が何かの形になるのはこれからだ。どんな形にもなるか分からない芽達の上に温い太陽と水とを与えてくれるものは私達の勉強より外にない。私達は互に勉強して行く。」


。。。父も子供も揃ってヨーロッパ・ファンやったんね。それにしてもさすが鷗外の子供たち、真面目や!ワイも未知数かもしれんから勉強せにゃ。